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人類より百倍賢いAIがいるのに日本が滅びそうです ~「資源はありません」から始まる文明再建計画~  作者: 神野啓次


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第七話 考え続ける頭脳

 《アトラス》が【長期文明資源制約解消研究】を開始してから一か月が過ぎた。


 だからといって日本人の生活が急に変わったわけではない。ガソリンは相変わらず配給制で、スーパーの肉売り場は小さくなったまま。家庭用電力には使用制限があり、企業の倒産件数も高水準で推移している。ただ、去年のように毎週何かが急激に悪化する状態からは抜け出しつつあった。壊れた設備は新品を待たず修理し、使われていない機械から部品を取り、失業者を農業やインフラ保守へ少しずつ移している。AIも効率だけでなく、現場が実行できるか、人間が受け入れられるか、一度失えば取り戻せない技術かまで考慮するようになった。日本は豊かではなくなった。しかし、貧しいなりに社会を回す方法を覚え始めていた。


 高瀬悠介の市役所でも、以前なら大問題だった出来事が「いつものこと」として処理されるようになっていた。


『市民病院の非常用発電機、二号機が止まりました』

「部品は?」

『新品なし。メーカー在庫なし。ただし県北部の閉鎖済み商業施設に、同系列機種が一基残っています』

「使える?」

『発電機全体の再使用は困難ですが、燃料噴射系統の一部を転用可能です』

「じゃあそれで」

『耐久性は保証できません』

「何か月持つ?」

『推定六か月から十四か月です』

「十分だ」


 以前なら、それだけで何度も確認したはずだった。今は担当者も悠介も迷わない。


『ただし、同施設の解体予定が三日後です』

「今日取りに行こう」

『輸送車両を手配します』

「燃料は?」

『市内道路補修計画を一件延期すれば確保できます』

「道路は?」

『緊急性は低いです』

「なら道路の補修は延期だ」

『了解しました』


 問題が一つ解決するたび、別の予定が後ろへずれる。それでも致命傷にならない順番を選び続ける。最近の行政とは、ほとんどその繰り返しだった。


「なあ、アトラス」

『はい』

「例の研究、進んでる?」

『進行中です』

「何か見つかった?」

『候補は多数あります』

「使えそうなのは?」

『現時点では回答を保留します』


 悠介は端末を見た。


「珍しいな」

『不完全な案を早期に提示した場合、社会的期待や政策判断へ影響を与える可能性があります』

「前なら平気で出してただろ」

『以前の評価方法では、理論上成立する案を提示すること自体に大きな問題を認識していませんでした』

「成長したなあ」

『その表現については――』

「もういいよ」


 《アトラス》が考えている内容は、政府にもすべて公開されているわけではなかった。もちろん秘密にしているわけではない。要求すれば途中経過を見ることはできる。ただし、膨大な候補が生まれては消えている。宇宙太陽光発電、大規模地熱、深海資源採掘、海水からの金属回収、新型原子炉、高効率蓄電、人工光合成、合成燃料、極端な省資源都市への人口移転。どれも部分的には有効だったが、現在の日本が抱える複数の問題を同時に解決するほどではなかった。

 当然これまでにも研究はされ、それでも実行、実現されなかったことだ。今でも実現可能性はどれも低かった。


 そして最大の壁は、結局いつも同じだった。電力だ。


 資源をリサイクルするには電気がいる。海水を淡水化するにも電気。低品位鉱石から金属を取り出すにも電気。肥料を作るにも電気。合成燃料も電気。工場を動かすにも、AIを動かすにも、すべて大量の電力が必要になる。


 そしてその電力を作るための設備を建設するにも、資源と電力が必要だった。


 火力発電所を増やせば燃料が必要になる。太陽光や風力を大量導入しようにも、パネル、蓄電池、送電設備に金属資源がいる。原子力発電所は有力だったが、建設には時間がかかり、燃料供給も海外に依存する。地熱は地域が限られる。水力は新規開発余地が小さい。


 日本が困窮している最大の理由は、資源がないことだった。そして資源を作り直すために最も必要なのが、エネルギーだった。


     ◇


 二か月目に入ると、世界情勢はさらに不穏になった。これまで崩壊していたのは主に政府機能の弱い国だった。しかし今度は、中堅国や大国にも明確な亀裂が入り始めた。


【欧州複数国、食料輸出に新たな制限】

【アメリカ南西部、長期的水使用制限を実施】

【インド北部、熱波による農業被害拡大】

【中東産油地域で油田労働者の大規模ストライキ】

【中国、重要鉱物および穀物の輸出管理をさらに強化】


 そして中国国内から流れてくる映像が、徐々に変わっていた。以前は整然とした記者会見と政府発表ばかりだった。最近は地方都市で食料配給を求める群衆や、停電に抗議する住民、軍用トラックに積まれた穀物まで映るようになった。政府は映像の多くを「国外勢力による虚偽情報」と否定していたが、《アトラス》の分析は違った。


「中国、かなり危ないの?」

『国内地域差が大きいため、一概には評価できません。ただし経済活動、食料供給、電力供給の複数指標が悪化しています』

「日本より?」

『総資源量では中国が上回ります。一方、人口規模も大きく、一部地域では日本より深刻な状況です』


 悠介は昼休みの食堂で、少量の鶏肉が入った定食を食べながらニュースを眺めていた。


「でも自前で石炭とか持ってるだろ?」

『はい。ただし採掘、輸送、発電設備維持には人員と資材が必要です。また水資源の制約もあります』

「資源もあるしでかい国だから有利ってわけでもないのか」

『有利な点と不利な点があります』

「日本への影響は?」

『軍事行動を起こす可能性があります』

「戦争をする余裕なんかないだろ」

『一般論として、余裕がなくなったことが武力行使を抑制するとは限りません』

「なんで?」

『将来さらに不利になると判断した国家が、現在の軍事力を利用できるうちに行動する可能性があります』


 悠介は箸を止めた。


「今のうちに?」

『そのような判断です』

「馬鹿じゃないのか」

『長期的には損失が大きい可能性があります』

「だったらAIが止めればいいだろ」

『助言は可能です。決定するのは各国政府です』

「前はそれで戦争なくなったじゃん」

『以前は将来得られる利益を現在の損失と比較する余裕がありました。しかし今は国家存続そのものが不確実になった場合、意思決定基準が変化します』


 世界から余裕がなくなると、人間だけではなく国家まで短期的になる。悠介には、それが嫌なほど理解できるようになっていた。市役所だって同じだ。十五年持つ新品を待つより、半年持つ中古部品を使う。それは正しい判断だった。だが同じ考え方を国家が軍事に使ったらどうなるのか。


 今なら勝てる。五年後には勝てない。なら今やる。悠介は定食を食べる気を少し失った。


     ◇


 三か月目、《アトラス》の研究に動きがあった。佐伯宗一郎から連絡が来たのは夜十一時過ぎだった。悠介はすでに自宅で寝る準備をしていた。


『高瀬さん。国立エネルギー技術研究機構より、明日の会議への参加要請があります』

「俺に?」

『佐伯所長からの指名です』

「俺、市役所職員だぞ」

『認識しています』

「エネルギー研究なんて分からない」

『技術審査ではなく、実行可能性評価への参加を求められています』


 その言葉で悠介は少し理解した。


「またできもしない計画か?」

『現時点では回答できません』

「怪しいな」

『私が提案した候補です』

「お前が? ついに見つけたのか?」

『候補の一つです』

「言ってみろ」

『明日の説明まで待つことを推奨します』

「なんで俺相手に焦らすんだよ」

『情報を小出しにしているわけではありません。技術内容が複雑なため――』

「分かった、分かった」


 翌朝、悠介は東京の国立エネルギー技術研究機構へ向かった。新幹線は通常時の半分ほどしか走っていない。駅も以前ほど混雑していなかった。出張そのものが減っているからだ。


 会議室には二十人ほどが集まっていた。佐伯をはじめ、核融合研究者、原子力技術者、材料工学者、重電メーカー、製鉄会社、政府関係者。それに地方自治体職員の悠介。


「本当に俺いらないですよね?」


 席につきながら言うと、佐伯が笑った。


「いるよ」

「どう考えても場違いですよ」

「君はアトラスに、できない案ばかり出すなって教えたんだろ」

「教えたっていうか、文句言っただけです」

「似たようなもんだ」

『正確には、高瀬さんを含む多数の現場担当者から得たフィードバックを反映しています』

「ほら。俺だけじゃない」

「でも来たんだから座ってろ」


 佐伯が画面へ視線を向ける。


「じゃあ始めよう。アトラス」


 大型画面に文字が表示された。


【長期文明資源制約解消研究】

【主要結論――エネルギー供給能力の大幅増加が最優先】


 その下に、複数の項目が並ぶ。大規模太陽光。洋上風力。地熱。次世代原子力。宇宙太陽光。核融合。


「核融合?」


 悠介が呟いた。佐伯は腕を組んだ。


「昔からある。問題は、まだ商用化できてないことだ」

『従来方式をそのまま実用化することは、現在の日本の資源状況では困難です』

「じゃあ駄目じゃん」

『そのため、従来方式を採用しません』


 画面が切り替わった。円筒形の装置、その中心に小さな燃焼室。周囲を複数のコイルと圧縮装置が取り囲んでいる。悠介には何が何だか分からない。


【磁気慣性パルス核融合炉】

【暫定名称――MIFR】


 核融合研究者たちがざわめいた。佐伯の表情も変わる。


「磁気慣性? その研究は昔からある」

『あります。ただし私は、既存方式をそのまま採用していません』


 そこからの説明は、悠介には半分も理解できなかった。超高温の燃料を巨大な磁場で長時間閉じ込めるのではない。小さなプラズマを磁場でまとめ、一瞬だけ高密度へ圧縮して核融合反応を起こす。それを何度も繰り返すパルス方式。従来研究では、毎回わずかに状態が異なるプラズマを安定して制御できないことが大きな問題だった。


『各パルスの観測データを解析し、次回パルスの磁場、燃料投入量、圧縮タイミングをリアルタイムで補正します』


 一人の研究者が身を乗り出した。


「制御周期は?」

『従来の人間設計制御系では困難です』

「お前なら?」

『可能性があります』

「どの程度?」

『シミュレーション上では、正味エネルギー利得を維持できる可能性があります』

「実験データが足りない」

『はい』

「材料損傷は?」

『重大な問題です』

「中性子負荷は?」

『未解決です』

「それで実用炉って言えるのか?」

『現時点では言えません』


 研究者たちの顔が険しくなる。悠介は妙な安心感を覚えた。以前の《アトラス》なら、もっと自信満々に「可能です」と言っていた気がする。佐伯が聞く。


「理想型を作るなら?」


 画面に必要資材が表示された。特殊超伝導材。高純度金属。高性能中性子遮蔽材。高耐久合金。大型真空設備。精密制御半導体。一覧を見ただけで、悠介にも分かった。


「ないですね」


 佐伯が笑った。


「やっぱりか」

『そのため第二設計案を検討しています』


 画面の炉が変形した。小さくなり、構造が単純になり、一部の性能値が大きく下がる。


【目標出力――理想型比五三%】

【設計寿命――理想型比三八%】

【発電効率――低下】

【保守頻度――増加】

【国内調達可能資材比率――大幅上昇】


 佐伯が画面を見つめた。


「性能を捨てたのか。ずいぶんと思い切ったな」

『最大性能を達成できないことと、使用できないことは同義ではありません』

「それで作れるのか?」


 佐伯が聞いた。《アトラス》はすぐには答えなかった。


『現時点では、作れません』

「……おい」


 悠介の声に、何人かが笑った。


『説明を続けます。不足している部品と資材はあります。しかし、従来の理想型とは異なり、国内に存在する設備、廃止施設から回収可能な資材、代替材料、既存工作機械を組み合わせれば、段階的に製造可能な範囲まで近づいています』


 画面に日本地図が表示された。北海道。東北。長野。岐阜。名古屋。大阪。北九州。全国に点が灯っていく。


『大型真空容器については既存原子力設備製造工場を転用。磁場コイル部品は三社へ分割。高精度加工は長野県内の工作機械メーカー。耐熱材の一部は廃止発電施設から回収。制御装置は既存AI演算用半導体を転用します』

「それで可能になる?」

『まだ不足しています。電力、特殊鋼、銅、複数の高耐久材料。そして製造能力です』

「また電気がいるのか」


 悠介は椅子にもたれた。電気を作るための炉を作るために、電気が必要。


「堂々巡りだな」

『そのため、建設規模をさらに縮小する案も検討しています』

「もっと小さく?」

『はい』

「どこまで?」

『日本全体を救う発電所ではなく、次の発電所を作るための発電所です』


 会議室が静かになった。佐伯がゆっくり聞く。


「どういう意味だ?」

『第一号炉の主目的を、工場や一般家庭への大量電力供給としません』


 画面に新しい流れが表示された。


【第一号炉】


 ↓


【製鉄・精錬・工作機械への優先電力供給】


 ↓


【第二号炉製造能力獲得】


 ↓


【第二号炉・第三号炉】


 ↓


【電力供給拡大】


 ↓


【肥料・淡水化・合成燃料・資源再処理】


 佐伯が小さく息を吐いた。


「一基目が二基目を作るのか」

『はい』

「二基目で三基目を作る」

『はい』

「最初から日本を救おうとしない」

『現在の資源量では不可能です』


 悠介はその言葉を聞いて、妙に納得した。昔の《アトラス》なら「日本に必要な核融合炉を何十基建設してください」と言ったかもしれない。


 今は違う。最初に一基。それも完全なものではない。寿命が短くてもいい。効率が悪くてもいい。とにかく動くものを一基作る。


「成功率は?」


 佐伯が聞いた。


『現時点では算定幅が大きすぎます』

「高いか低いかだけでも」

『低いと評価します』

「どのくらい低い?」

『試作炉が正味発電へ到達できない可能性も十分にあります』

「それでも提案する?」

『はい』

「理由は?」


 今度の《アトラス》の回答は早かった。


『現在の延命策だけでは、長期的な資源制約を解消できないためです』


 悠介は画面に映る小さな炉を見た。


「できもしない計画じゃない?」

『現在はできません』

「じゃあなぜ提案した?」


 数秒の間があった。


『以前は、必要条件が不足している計画を、そのまま提示していました。今は不足している条件を一つずつ満たす方法まで含めて、計画としています』


 悠介は黙った。それは、人間たちがこの一年ずっとやってきたことだった。ポンプがない。古いポンプを探す。部品がない。削って作る。人手がない。別の仕事をしていた人間に覚えてもらう。

 百点が無理なら七十点。一年が無理なら三か月。そうやって日本は今日まで生き延びてきた。そのやり方を、今度はAIが核融合炉に使おうとしている。佐伯が長い沈黙のあとに言った。


「正式な実現可能性調査に入ろう」


 政府関係者が顔を上げる。


「この状況で核融合ですか?」

「この状況だからだ」

「成功する保証はありません」

「保証があることだけやってたら、十年後にはまた何を削るか相談してるよ」


 佐伯は画面を見る。


「アトラス」

『はい』

「もっと削れ」

『何をでしょう』

「炉の性能だ。寿命も効率も、必要なら全部だ」


 研究者たちがざわめく。


「ただし、今の日本で作れるところまで持ってこい」

『了解しました』

「俺たちも探す。使える工場も、材料も、昔の設備も全部だ」

『人間側の調査結果を設計へ逐次反映します』

「できるか?」


 その問いに、《アトラス》は以前のように「可能です」とは答えなかった。


『試します』


 佐伯は笑った。


「それでいい」


 会議終了後、悠介は建物の外へ出た。東京の冬空は澄んでいた。以前なら大量の車が走っていた道路には、バスと業務車両が目立つ。街は静かで、少し貧しく、まだ生きている。


「アトラス。核融合炉、本当にできると思う?」

『成功を保証できません』

「聞き方変える。やる価値は?」

『あると評価しています』

「そっか」


 悠介は駅へ向かって歩き出した。そのとき、端末にニュース速報が入った。


【中央大陸人民解放軍、東部戦区で過去最大規模の統合軍事演習を開始】

 悠介は足を止めた。


「これ、前にもやってなかった?」

『今回は規模が異なります』


 続いて第二報が入る。


【中央大陸人民共和国政府、東海連邦周辺の広範囲な海空域に航行制限区域を設定】


 そして第三報。


【東海連邦政府、予備役部隊の招集準備を開始】


 悠介は画面を見つめた。中央大陸人民共和国と東海連邦の関係が緊張していることくらい、日本人なら誰でも知っている。中央大陸人民共和国は長年にわたり東海連邦を自国領の一部だと主張し、東海連邦は独自の政府、軍、通貨、外交関係を維持してきた。これまでも軍事演習や威嚇行動は何度もあったが、そのたびにAIが双方の損害を予測し、各国が仲介に入り、最後の一線だけは越えずに終わっていた。


「今回も演習だけで終わるよな?」

『断定できません』

「中央大陸人民共和国だって、今は戦争してる余裕ないだろ」

『国内の食料、電力、経済状況は悪化しています』

「だったら余計に無理じゃないか」

『必ずしもそうとは限りません』

「なんで?」

『中央大陸人民共和国政府が、将来さらに国力が低下すると予測している場合、現在保有している軍事力を利用できる期間を限定的と判断する可能性があります』


 昼に聞いた話と同じだった。今ならできる。五年後にはできない。だから今やる。


「そんな理由で戦争始めるのかよ」

『その判断が合理的であるとは述べていません』

「お前は止められないの?」

『中央大陸人民共和国政府は複数の国家戦略AIを運用しています。それらがどのような助言を行っているか、完全な情報はありません』

「戦争するなって言ってる可能性は?」

『高いと推定します』

「じゃあなんで」

『助言を採用するかどうかは、人間が決定します』


 そのとき、さらに速報が追加された。


【アメリカ政府、中央大陸人民共和国に軍事的緊張の即時緩和を要求】

【米太平洋艦隊、警戒態勢を引き上げ】

【米軍、グアムおよび日本国内基地への航空戦力増派を開始】


 悠介は画面を見た。


「アメリカは動くのか?」

『すでに一部戦力の移動を開始しています』

「東海連邦を助ける?」

『可能性は高いです。ただし、現時点で全面的な軍事介入を明言していません』

「なんで曖昧なんだ?」

『中央大陸人民共和国への抑止効果を維持しながら、自国の選択肢を残すためと考えられます』

「昔ならもっと強く出たんじゃないのか?」

『現在のアメリカも資源制約を受けています』


 画面に簡単な分析が表示された。燃料備蓄、軍需産業の稼働率、国内物流、発電設備、食料供給。世界最大級の国力を持つアメリカでさえ、以前のように無制限の物量を海外へ投入できる状態ではない。


『アメリカには東海連邦を支援する軍事能力があります。しかし、長期戦を過去と同規模で維持する能力は低下しています』

「じゃあ助けない可能性もある?」

『あります』

「でも見捨てたら?」

『西太平洋における同盟関係と海上交通路への影響が大きくなります。また日本の安全保障環境も悪化します』

「結局、向こうも選べないのか」

『複数の重大な損失を比較している状態です』


 アメリカ国内でも意見は割れていた。


【米議会、東海連邦への緊急軍事支援法案を審議】

【複数州知事、海外軍事行動より国内エネルギー・食料供給を優先するよう要求】

【大統領、東海連邦周辺での武力による現状変更は「重大な結果を招く」と警告】


「全面参戦するとは言ってないな」

『はい』

「中央大陸人民共和国からしたら、来るか来ないか分からない」

『その不確実性自体が抑止力となります。ただし、誤算の原因にもなります』


 以前ならこのような危機ではAIが双方の損失を計算し、戦争を思いとどまらせていた。だが今は状況が違う。中央大陸人民共和国は「将来もっと弱くなる前に」と考えるかもしれない。そしてアメリカもまた、「将来さらに太平洋へ戦力を展開できなくなる前に、今止めなければならない」と考える可能性がある。


 未来を予測できることが、必ずしも平和につながるとは限らない。


「アトラス」

『はい』

「中央大陸人民共和国は、今しかないって考えてる可能性がある」

『はい』

「アメリカも?」

『同様の判断に至る可能性があります』

「じゃあ両方とも、今動かなきゃ手遅れになるって思ったら?」

『軍事的緊張は急速に上昇します』

「最悪だな」

『はい』


 今度は珍しく、《アトラス》も短く同意した。駅前の大型画面には次々と新しい速報が表示されていた。


【中央大陸人民解放軍艦艇、東海連邦海峡方面へ集結】

【東海連邦軍、全軍の警戒態勢を引き上げ】

【アメリカ、東海連邦への情報・通信支援を拡大】

【日本政府、国家安全保障会議を緊急招集】

【日本国内の米軍基地で航空機の発着急増】

【周辺海域を航行する民間船舶に迂回の動き】


 最後の一文を見て、悠介の表情が変わった。


「船、もう避け始めてるの?」

『はい。一部の海運会社が航路を変更しています』

「日本に来る船も?」

『含まれます』

「戦争がまだ始まってもいないのに?」

『海運会社と保険会社は、実際の戦闘開始前からリスクを価格へ反映します』

「どのくらい影響する?」

『緊張が長期化した場合、原油、天然ガス、穀物、鉱物資源など複数品目の輸送量が低下する可能性があります』

「……また資源が減るのかよ」


 ようやく日本は、限られた資源で社会を維持する方法を覚え始めた。工場を残し、人を残し、古い設備を直し、十年先のために何を守るべきかを考えられるようになった。そして《アトラス》は、そのさらに先にある可能性として、核融合炉という新しい道を示した。


 まだ設計だけだった。材料も足りない。成功する保証もない。それでも久しぶりに、日本には「減らす」以外の未来が見え始めていた。だが東海連邦を巡って戦争が起きれば、その未来そのものが危うくなる。


「もしアメリカが東海連邦を支援したら、日本も当然巻き込まれるよな?」

『可能性はあります。補給、航空機・艦艇の受け入れ、周辺海域の警戒、東海連邦向け物資輸送など、複数の協力要請が予想されます』

「断ったら?」

『日米関係および東海連邦防衛へ影響します』

「受けたら?」

『中央大陸人民共和国が日本を軍事行動の支援国と判断する可能性が高まります』

「……どっちも嫌だな」


 悠介は少し考えてから聞いた。


「東海連邦が負けたら、日本はどうなる?」

『長期的な海上輸送安全性は低下すると予測します』

「じゃあ支援したほうがいいのか?」

『中央大陸人民共和国との軍事衝突リスクは上昇します。どちらにも重大な損失があります』


 それは最近、《アトラス》から何度も聞くようになった答えだった。正しい選択肢があるわけではない。どちらかを選べば、何かを失う。だから最後は人間が決めなければならない。悠介は画面を見つめた。


「戦争になる?」


 ほんの一瞬だけ間があった。


『可能性は上昇しています』


 世界が壊れ始めてから初めて、日本には小さな未来が見え始めていた。その未来を作るための核融合炉は、まだ図面の中にしかない。そして海の向こうでは、その完成を待ってくれそうにない国々が動き始めていた。


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