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人類より百倍賢いAIがいるのに日本が滅びそうです ~「資源はありません」から始まる文明再建計画~  作者: 神野啓次


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3/13

第三話 輸入が止まった国

 最初に消えたのは、ガソリンだった。正確にはなくなったわけではない。政府が一般向け販売を制限したのだ。中東からの原油輸入量が急減し、さらに東南アジア経由のタンカー運航まで不安定になったことで、国内石油備蓄の取り崩しが始まった。政府は当初、「供給に重大な問題はない」と繰り返していたが、その言葉は一週間ごとに変わっていった。


【石油製品の安定供給に万全を期します】

【不要不急の自動車利用を控えてください】

【一回あたりの給油量を二十リットルに制限します】

【公共交通機関の利用を強く推奨します】


 そして八月二日。


【燃料優先供給制度を開始します】


 救急、消防、警察、自衛隊、農業、物流、上下水道、発電所保守。それらが第一優先となり、一般車両への販売量は大幅に減らされた。


 高瀬悠介がその通知を見たのは、朝食を食べながらだった。


「月十二リットル?」

『現時点での一般世帯向け割当量です』

「十二リットルで何しろってんだよ」

『公共交通機関への転換が推奨されています』

「分かってるよ」


 テレビでは政府広報が流れている。


『燃料供給は停止しておりません。国民生活に必要な最低限の供給量は確保されています』


 悠介はパンを齧りながら画面を見る。


「最低限って便利な言葉だよな」

『定義を確認しますか?』

「しなくていい」


 パンも以前より小さくなっていた。値段は上がり、量は減った。小麦の輸入価格が急騰し、政府が製粉会社へ価格補助を出している。それでも原料そのものが予定通り入ってこないため、菓子パンや麺類の種類は目に見えて減っていた。牛乳も一人一本、食用油も一本。卵は週によって値段が倍近く変わり、肉売り場では輸入牛肉がほとんど消え、国産肉には見たこともない値札がついている。


「米だけはあるか」


『現在、日本国内の主食用米在庫は比較的安定しています』

「なら米食っときゃ死なないな」

『栄養バランスには注意が必要です』

「そういうこと言ってる場合か?」

『健康管理は継続すべきです』


 AIはいつでも正しい。それが最近、少し腹立たしくなっていた。


 市役所へ向かう電車は以前より混雑していた。燃料制限によって自家用車通勤を諦めた人間が一斉に鉄道へ流れ込んだからだ。冷房は動いているものの、電力節約のため設定温度は高い。乗客の額には汗が浮かび、それでも誰も文句を言わない。文句を言っても電気が増えるわけではなかった。


 駅のホームには新しい表示が出ていた。


【電力需給逼迫に伴い、十時から十六時まで一部列車を減便します】


「人増えてるのに減便すんのかよ」


 隣にいた男が呟いた。誰も返事をしなかった。悪い知らせは、電車の中にも流れ続けていた。


【自動車部品大手、国内三工場の操業停止を発表】

【住宅設備メーカー、資材調達難で民事再生を申請】

【中小運送会社の倒産件数、前年同期比三・八倍】

【完全失業率、五か月連続上昇】

【主要企業、来年度新卒採用計画を相次ぎ縮小】


 以前なら一社の大企業倒産だけでも大きなニュースになった。今は毎日のように流れる。


 原料が入らない。電気が足りない。輸送費が高い。製品を作っても客が買えない。そのどれか一つなら耐えられる企業も、全部同時には耐えられなかった。


     ◇


 市役所では、さらに悪い知らせが待っていた。


「今日から食料対策班を常設する。それと生活支援窓口を増員する」


 朝の会議で課長が言った。


「食料だけじゃないんですか?」

「失業者が増えすぎてる」


 大型画面に資料が表示された。


【市内失業給付申請――三か月前比二・四倍】

【生活保護新規申請――同一・九倍】

【企業倒産・休廃業――増加傾向】

【新規求人件数――前年比四二%減】

【来年度新卒採用予定数――前年比三六%減】


 悠介は画面を見つめた。


「こんなに?」

「工場が止まれば、その下請けも止まる。運送も止まる。飲食も小売も客が減る。資材不足で建設も止まり始めた。AIが仕事を奪った時代とは違う。今度は仕事そのものが消えてる」


 課長の説明に、誰も口を挟まなかった。


「企業側も採用どころじゃない。中途採用はほぼ凍結。来年の新卒採用も大幅減の見込みだ」

「じゃあ大学生は?」

「厳しいだろうな」


 会議室の端で、若い職員が顔を曇らせた。弟か妹でもいるのかもしれない。不況なら本来は政府が景気対策を打つ。公共事業を増やし、企業に補助金を出し、失業者へ給付し、新しい産業を育てる。だが今回は、その常識が通用しなかった。


「生活保護予算は?」

「このままだと年度内に足りなくなる」

「補正予算を組むしかないでしょう」

「国も地方も財政が悪化してる。税収が落ちてるからな」

『補足します』


 《アトラス》が割り込んだ。


『当市の法人関連税収は、現時点の推計で前年度比二二%減少する見込みです。一方、生活保護、住宅支援、失業者向け給付、電気料金補助、食料支援に必要な歳出は大幅に増加します』


「国債なり地方債なり出せばいい」


 副市長が言った。


『財源調達は可能です。ただし、現在の問題は通貨不足だけではありません』


 画面が切り替わる。


【追加予算による購入対象】

【食料――供給不足】

【燃料――供給不足】

【建設資材――供給不足】

【電力設備――供給不足】

【医薬品原料――一部不足】


 悠介は思わず苦笑した。


「金を出しても買う物がない?」

『一部については、その通りです』

「じゃあ生活保護増やしても……」

『現金給付は家賃、既存商品の購入、各種料金支払いには有効です。しかし国内総供給量そのものを増やす効果は限定的です』


 失業した人間に金を渡す必要はある。渡さなければ生活できない。だが全員に金を配ったところで、スーパーに米が百袋しかなければ百袋しか買えない。財政危機と物資不足が、同時に進んでいた。


「金がない。物もない。仕事もない、か」


 しばらく沈黙が続いたあと、農政担当者が資料を切り替えた。


【輸入飼料供給量――前年比六一%】

【三か月後予測――四三%から五二%】

【国内畜産維持可能規模――低下】


「餌がない」

「牛とか豚って、餌がなかったらどうするんです?」


 悠介の質問に担当者が苦い顔をした。


「飼育頭数を減らすしかない」

「減らすって?」

「分かるだろ」

「ああ……」


 生き物だから、工場の機械のように「しばらく停止」というわけにはいかない。餌を確保できない家畜は早めに出荷する。そのため一時的には肉の流通量が増えるかもしれないが、その後は急激に減る。


『現在の飼料在庫および国内生産能力を考慮した場合、優先的に乳牛、採卵鶏、繁殖用家畜へ飼料を配分することを推奨します』


「それ以外は?」

『段階的な飼育頭数削減が必要です』


 会議室が静かになった。


「食料の配給も検討に入った」


 課長が続ける。


「本当にやるんですか?」

「まだ決定じゃない。ただ価格に任せるだけだと、金のある奴が買い占めて必要な家庭に回らなくなる」

「戦時中みたいですね」


 誰かが言った。今度も笑う者はいなかった。


『対象世帯、年齢、健康状態、備蓄量、地域供給量を考慮した配給計画を作成できます』

「またAI頼みか」

『現在の人口規模で紙の配給票を人手のみで運用する場合、多数の追加職員が必要です』

「分かってる。言ってみただけだ」


 結局、食料が不足してもAIを使う。燃料が不足してもAIを使う。生活保護申請が急増しても、審査と給付管理をAIに頼る。電気が不足しているからAIを減らしたいのに、社会が苦しくなるほどAIが必要になる。


 会議が終わる直前、《アトラス》が新しい通知を表示した。


【追加情報】

【ブラジル政府――大豆輸出制限を発表】

【オーストラリア――小麦輸出枠の再検討を開始】

【インド――複数農産物の輸出規制を拡大】


 課長が低く呟いた。


「連鎖し始めたな」


     ◇


 一週間後、スーパーに配給用の端末が設置された。まだ全面配給ではない。政府は「購入量適正化制度」と呼んでいたが、やっていることは実質的な購入制限だった。米、小麦製品、食用油、粉ミルク、卵、一部の冷凍食品。個人IDを端末にかざすと、その週に購入可能な量が表示される。


 悠介も仕事帰りにスーパーへ寄った。


【食用油――残り一】

【小麦製品――残り二・四キログラム相当】

【卵――残り一パック】


 商品棚の前では、高齢の女性が店員に怒っていた。


「孫が来るのよ。もう一袋くらいいいでしょう?」

「申し訳ありません。こちらでは変更できないんです」

「昔はこんなことなかったわよ」


 店員は困った顔をしている。レジの近くでは、四十代くらいの男が求人情報を眺めていた。端末には十数件の募集が表示されているが、そのほとんどが介護、インフラ保守、農業補助などの人手不足分野だった。


「前は営業だったんだけどな……」


 男が誰にともなく呟いた。悠介は足を止めかけたが、そのまま通り過ぎた。以前なら、失業しても次を探せばよかった。今は企業側に雇う余力がない。原材料が来ない工場が新しい社員を採るはずもなく、客の減った店が人員を増やすはずもない。AIによって新しい職業へ転換するための教育プログラムはいくらでも提示できる。だが、教育を終えた先に求人がなければ意味がなかった。


 昔は、という言葉を最近よく聞くようになった。

 昔はガソリンを好きなだけ買えた。昔は冷房を好きに使えた。昔は肉を好きに買えた。昔は会社を辞めても次の仕事があった。昔は外国から必要なものが届いた。

 誰も。それが特別なことだとは思っていなかった。


     ◇


 さらに一か月が過ぎた。日本政府はついに、石油製品の本格的な配給制度を発表した。


【第一優先――医療・消防・警察・防衛】

【第二優先――食料生産・物流・上下水道・発電設備保守】

【第三優先――公共交通・基幹産業】

【一般利用――地域別割当】


 民間航空便は三割以上削減され、高速道路を走る車も目に見えて減った。トラック物流は重要物資に集中され、宅配便は翌日配送を終了した。同じころ、雇用情勢もさらに悪化していた。


【企業倒産件数――過去最高を更新】

【完全失業率――七・一%】

【二十五歳未満失業率――一二・八%】

【主要企業来年度新卒採用――前年比四四%減】

【生活保護受給世帯――過去最多】


 大学四年生が内定を取り消されるニュースが珍しくなくなった。新卒採用を完全停止する企業も増え、「就職氷河期」という古い言葉が再び使われ始めた。しかし昔と違って、景気が回復するまで待てばいいという保証はなかった。


 市役所の生活支援窓口には毎朝列ができた。会社が潰れた人。勤務日数を半分に減らされた人。住宅ローンを払えなくなった人。来春卒業予定なのに一社も求人がない学生。悠介たち行政職員は、その申請を処理する。もちろん《アトラス》を使って。AIがなければ、増え続ける申請件数を今の職員数では到底さばけなかった。それでも、まだ日本は崩壊していなかった。


 コンビニは開いている。水道も出る。電気も一日の大半は使える。病院も動いている。生活保護も支給されている。行政も機能している。それは奇跡ではない。AIが、足りないものを毎日細かく振り分けているからだった。


 どの病院へ薬を送るか。どのスーパーへ米を送るか。どの発電所へ燃料を回すか。どの工場を今日は止めるか。どの列車を減らすか。どの世帯へ追加の食料支援が必要か。何万人もの生活を、何兆通りもの組み合わせから計算している。だからこそ、悠介はある日の会議で提示された資料を見て絶句した。


【国内AI基盤施設向け電力――優先供給を継続】


「まだ優先するのかよ」


 誰かが言った。


「家庭は計画停電まで始まってるんだぞ」

「工場だって止めてる」

「AIセンターの電力を産業に回せないのか?」


 《アトラス》が答える。


『可能です』

「じゃあ回せ」

『削減量を指定してください』

「二〇%」


 数秒後、予測が表示された。


【物流最適化能力――低下】

【電力需給予測精度――低下】

【医療資源配分処理――遅延】

【食料供給調整能力――低下】

【生活支援給付処理――遅延】

【追加燃料消費――増加】

【停電発生リスク――上昇】


「……またこれか」

『はい』


 部長が両手で顔を覆った。


「AIに使ってる電気を取り返そうとすると、別の場所で余計に電気と燃料を食う」

『一定範囲を超えた削減では、その可能性が高くなります』

「じゃあ何%なら削れる?」

『現在の社会機能を大幅に低下させない条件では、七・二%程度です』

「七%じゃ何も変わらん」

『短期的な電力需給改善効果は限定的です』

「八方塞がりじゃないか」


 誰も否定しなかった。悠介は画面に表示された日本地図を見る。赤い数字、黄色い警告、在庫、残存燃料、発電余力、食料備蓄、輸送能力、失業率、生活保護世帯数。そのほとんどが少しずつ悪化していた。


「アトラス」

『はい』

「日本は、あとどのくらい持つ?」


 室内の空気が変わった。冗談ではなく聞いていることが全員に分かった。


『「持つ」の定義を指定してください』

「今みたいな生活を維持できる期間」

『現在の消費水準を維持した場合、複数の重要資源で六か月以内に追加制限が必要となる可能性が高いです』

「一年後は?」

『現在と同程度の国民生活を維持できない可能性があります』

「雇用は?」

『国際物流と国内工業生産が回復しない場合、失業率はさらに上昇する可能性があります。生活支援関連支出も増加します』

「予算は持つのか?」

『追加の財源調達は可能です』

「じゃあ何とかなる?」

『財源のみでは不足する物資、生産設備、電力、燃料を増加させることはできません』


 悠介は思わず天井を見た。


「金があっても駄目か」

『はい』

「だからといって金がなくても困る」

『はい』

「最悪だな」

『否定できません』

「二年後」


 少し間があった。


『国際物流が回復しない場合、大幅な産業構造および生活様式の変更が必要です』

「つまり?」


 悠介が聞いた。《アトラス》は一切感情を込めずに答えた。


『これまでの日本社会を、そのまま維持することは困難です』


 誰も喋らなかった。戦争をしているわけではない。爆撃もされていない。都市も壊れていない。銀行口座には金もある。工場も港も道路も残っている。世界最高水準のAIまである。それでも、外国から物が届かないというだけで、日本は少しずつ貧しくなっていた。


 仕事が消える。税収が減る。生活保護が増える。政府は金を配る。だが配る金で買う物そのものが減っていく。


 悠介は窓の外を見た。遠くにAI演算センターの冷却塔が見える。人類より百倍賢い頭脳は、今日も休まず日本を支えている。だがその頭脳がどれほど賢くても、タンカー一隻分の石油を生み出すことはできない。失われた鉱山から鉱石を掘り出すこともできない。存在しない求人を、画面の中から作り出すこともできない。


「資源がないんだな」

『はい』

「本当に、物がない」

『その通りです』


 悠介は椅子に背を預けた。


「じゃあ、どうすればいい?」

『複数の対策があります』


 いつもの返事だった。国内農業の拡大。リサイクルの強化。代替素材の開発。電力利用の再配分。燃料消費削減。失業者の農業・インフラ部門への再配置。海外資源権益の再確保。


 すべて正しい。全部やるべきだ。そしてその多くに、同じ但し書きがついていた。


【必要資源――不足】

【必要設備――不足】

【必要電力――不足】

【実施困難】


 悠介は思わず笑った。


「できないことばっかり言うようになったな」


《アトラス》は少し間を置いた。


『現在、実行可能な選択肢が減少しています』


 その返事に、誰も笑えなかった。日本はまだ豊かな国の姿をしていた。しかしその中身は確実に痩せ始めていた。



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― 新着の感想 ―
これはありえる未来ですね。 恐ろしいです。
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