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人類より百倍賢いAIがいるのに日本が滅びそうです ~「資源はありません」から始まる文明再建計画~  作者: 神野啓次


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第二十七話 地球を冷やす

 《アトラス》が【太陽―地球系L1近傍日射調整構造体】の第一次案を提出したのは、それから三十二日後だった。


【目的――地球平均受熱量の微小低減】

【初期目標――地球到達太陽光〇・〇五%相当の散乱】

【構造――分散型薄膜ユニット】

【設置位置――太陽―地球系L1近傍】

【必要総面積――推定数千平方キロメートル級】

【必要総質量――材料・構造方式により大幅変動】


 高瀬悠介は、最後まで読んでから聞いた。


「数千平方キロ?」

『薄膜総面積です』

「でかいな」

『一枚の構造体ではありません』

「何枚くらい?」

『初期実用案では数百万から数千万ユニットを想定しています』

「余計でかく感じる」


 大型画面には、地球と太陽の間に薄い点の群れが表示されていた。巨大な一枚の傘を広げるわけではない。非常に薄い膜や微細な散乱構造体を大量に配置し、その姿勢や位置を少しずつ調整することで、地球へ届く太陽光のごく一部だけを減らす。


「〇・〇五%で意味ある?」

『地球全体へ入射する太陽エネルギーは極めて大きいため、微小な比率でも気候影響は無視できません』

「人間が暗くなったって感じる?」

『日常生活で知覚することは困難と予測します』

「農作物は?」

『程度は地域、作物、季節、雲量によって異なります』


 佐伯宗一郎が資料を見ながら言った。


「気温だけ下がる都合のいい装置じゃないってことだな」

『はい』

「雨も変わる?」

『変化する可能性があります』

「台風」

『影響する可能性があります』

「海流」

『長期的には』

「農業」

『地域差があります』

「全部じゃないか」

『気候系全体に作用します』


 悠介は腕を組んだ。


「……怖いな」

『はい』

「はいって」

『大規模運用には重大な不確実性があります』

「アトラスが怖いって言うと余計怖いな」

『私は恐怖を感じません』

「知ってるよ」


     ◇


 技術的な問題だけなら、過去の計画よりむしろ単純な部分もあった。薄膜そのものは複雑な機械ではない。高度な演算装置も必要ない。問題は量だった。


【月面薄膜材料生産能力――現状比約四十倍必要】

【小惑星由来金属資源供給――現状比約二十七倍必要】

【輸送能力――FCR系列換算で大幅不足】

【自律配置機――数百万単位必要】


「結局作れない?」

『現時点では実用規模は困難です』

「実証なら?」

『可能です』

「どのくらい?」


【実証規模――地球受熱量への影響は実質測定不能】

【目的――配置制御・耐久性・姿勢制御・故障時挙動の確認】


「つまり冷やす実験じゃない?」

『はい』

「じゃあ何を確かめるんだ?」

『安全に置けるか。安全に外せるか。壊れた際に制御不能にならないか。予定どおり散乱率を調整できるか』

「外せる、が重要なんだな」


 佐伯が頷いた。


「効きすぎたら止められないと困る」

「核融合炉なら止めればいい」

『日射調整構造体も配置変更または姿勢変更によって効果を低下させる設計が可能です』

「完全に?」

『一部損傷や通信喪失を考慮すると完全性は保証できません』

「またそこか」


 それでも《アトラス》の案は、巨大な固定構造体より安全側に振られていた。一つ一つのユニットは小さい。一部が故障しても全体への影響は小さい。姿勢を変えれば散乱効果を下げられる。制御を失ったユニットは徐々に有効位置から外れるよう設計する。


「壊れたら勝手に効かなくなる?」

『その方向を目指します』

「それなら少しは安心だな」

『はい』


 また一つ、人間が過去の失敗から学んだ設計だった。壊れないものを作るのではない。壊れても危険が増えないものを作る。


     ◇


 問題は、その次だった。《アトラス》が提出した気候予測には、世界平均気温低下という一行だけでは済まない結果が並んでいた。


【日射〇・〇五%低減時】

【世界平均気温上昇率――低下】

【高緯度地域――影響比較的小】

【一部熱帯地域――高温被害軽減】

【地域降水量――最大数%変動可能性】

【モンスーン強度――変動可能性】

【農業生産――地域別に増減】

【海洋表層温度――変化】


「損する場所がある?」


 悠介が聞いた。


『あります』


「どこ?」


 地図が色分けされる。高温被害が大きく減る地域。乾燥が改善する可能性がある地域。逆に降水量が減る可能性がある地域。農業収量が少し落ちる可能性がある地域。


「平均ではいい?」

『世界全体の熱被害は減少すると予測されます』

「でも一部は悪くなる」


 佐伯が言った。


「だからこれは技術会議だけじゃ決められない」

「アトラスならやる?」

『質問が不十分です』

「世界平均の被害が減るなら」

『それだけを目的とするなら実施が有利です。しかし地域別損失をどこまで許容するかという価値判断を含みます』

「誰かの農業収量が三%落ちても、別の国で熱中症死者が何万人減るなら?」

『比較基準を指定してください』

「できない?」

『計算はできます。決定はできません』


 悠介は黙った。何度も見た光景だった。数字は出せる。予測もできる。でも最後の線だけはAIが引けない。


     ◇


 国際会議は、宇宙資源協定のとき以上に荒れた。議題は【地球日射調整実証計画】。実証段階では気候への実質影響はほぼない。それでも各国は、その先にある実用化を見ていた。


 欧州代表。


「温暖化が既に危険域へ入っている以上、あらゆる選択肢を検討すべきだ」


 高温被害の大きい国々からは賛成意見が相次いだ。


「毎年数万人が熱波で死亡している。実証すら拒む余裕はない」

「農地が失われ続けている。未来の不確実性より、現在の被害のほうが大きい」


 一方で反対も強かった。


「一部国家が地球全体の日射量を操作する権利はない」

「予測不能な降水変化が起これば誰が責任を負うのか」

「農業被害への補償制度なしに認められない」


 中央大陸人民共和国も慎重だった。


「地球規模の環境制御技術を少数国の管理下へ置くことは受け入れられない」


 アメリカは技術的検証には賛成したが、国際機関による一元管理には反対。


 東海連邦は軍事転用を問題にした。


「日射調整設備の局所的制御が可能になれば、気象兵器として利用される懸念がある」


 悠介は会議中継を見ていた。


「またまとまらないな」

『はい』

「実証だけなんだろ?」

『はい』

「今は気温に影響しない」

『実証に成功すれば、将来の実用化可能性が高まるためです』

「みんなその先で揉めてるのか」


 佐伯が言った。


「考えないで始めるよりはマシだ」

「でも何年会議する気です?」

「そこが問題だ」


 地球の気温は、その間も上がっている。


     ◇


 交渉が長引くなか、《アトラス》が新しい案を出した。


【実証段階と実用段階の法的分離】

【実証設備――最大散乱能力を気候影響閾値以下に物理制限】

【実用規模への拡張――別途国際承認必須】

【制御AI――複数国分散】

【単独国家による操作――不可能化】

【全操作履歴――常時公開】


「物理的に大きく効かないようにする?」

『はい』

「ソフトで制限するだけじゃなく?」

『はい』

「勝手に改造したら?」

『設備追加が必要です。既存実証設備のみでは有意な気候操作はできません』

「それなら実証くらいは認めやすい?」

『合意可能性が上昇します』

「また妥当解か」


 さらに補償制度も加えられた。将来、実用運用へ進む場合は、気候変動による地域損失を国際基金で補償する。


 農業。水資源。漁業。災害。当然、因果関係の判定は難しい。それでも「損した国は我慢しろ」よりはましだった。


 最終的な採決まで、さらに七か月かかった。


【地球日射調整技術実証協定――採択】


 賛成。条件付き賛成。棄権。反対。全会一致ではない。それでも必要数を超えた。


「決まった?」

『はい』

「地球を冷やせるのか?」

『まだです』

「分かってる」


     ◇


 最初の実証ユニットは、月面で作られた。地球で作られたのは、姿勢制御装置、通信機、センサー、薄膜の一部特殊層だけ。支持フレームの七三%。基本薄膜基材の六一%。推進剤の大部分。それらは月由来だった。


【実証ユニット第一群――一万二千基】


「一万二千? 数百万必要って言ってなかった?」

『今回は配置制御実証です』


 FCR系列を改造した輸送船が、月軌道からL1近傍へ向かった。数年前なら、地球からすべてを打ち上げるしかなかった。今は月で作り、月から運べる。小惑星由来金属も一部使われている。人類が資源不足を解決するために作った設備が、そのまま気候対策に使われ始めていた。


「無駄じゃなかったな」


 悠介が言った。


『何がでしょう』

「月工場も小惑星も、最初は資源取るためだった」

『はい』

「今度は地球冷やすために使う」

『はい』

「一個の技術って、何に使うか分からないな」

『用途は変化します』


     ◇


 第一群がL1近傍へ到達するまで四十六日。そこから配置に十八日。ユニットは互いに数十メートルから数百メートル離れながら、巨大な薄い群れを形成していった。


【配置完了率――三〇%】

【六〇%】

【九〇%】

【一〇〇%】


 悠介は管制室で画面を見ていた。映像では何も分からない。一つ一つが薄すぎ、小さすぎる。


「本当にそこにある?」

『はい』

「一万二千も?」

『はい』

「地味だな」

『実用設備は外観を目的としていません』

「分かったよ」


 次に散乱状態へ移行する。


【散乱率――一〇%】


 これは設備能力の一〇%であり、地球日射の一〇%ではない。


【三〇%】

【五〇%】


 ユニットの一部で姿勢制御誤差。二百三十七基が群れから離脱。通信不能六十一基。


「壊れた?」

『一部は』

「危険は?」

『設計どおり、散乱効果を失う方向へ離脱しています』

「本当に効いたな」

『はい』


 七十二時間後。


【実証群安定運用――成功】

【地球平均日射への影響――検出限界以下】

【姿勢制御――許容範囲】

【故障時安全挙動――概ね設計どおり】


 拍手が起きた。


「成功?」

『第一段階は』

「また第一段階か」


 その日の世界平均気温は、一度も下がらなかった。一万二千枚程度で地球を冷やせるはずもない。それでも人類は初めて太陽と地球の間に、地球へ届く熱を調整するための人工構造体を置いた。


     ◇


 実証成功から一年。議論はさらに激しくなった。実用化するのか。しないのか。どこまでやるのか。


 《アトラス》の最新版予測。


【日射低減〇・〇二%――気温上昇率を約二割低減可能】

【〇・〇五%――約半減可能】

【〇・〇八%――現行条件下で上昇ほぼ停止の可能性】

【〇・一%超――地域気候影響増大】


「〇・〇八で止まる?」

『現在モデルでは可能性があります』

「じゃあ〇・一までやれば?」

『地域別影響が増加します』


 世界平均だけを見るなら、多く遮ればいい。だが、それでは誰かが損をする。雨が減る。作物が減る。気温が下がりすぎる地域も出るかもしれない。最適値などなかった。


「アトラスなら〇・〇八?」

『私は決定しません』

「分かってる」

『ただし、現在の予測では〇・〇五%以下から段階的に開始し、実測結果を見ながら調整する案のリスクが比較的小さいです』

「まず半分くらい?」

『気温上昇率を低下させます』

「それでも上がる」

『はい』

「でもデータは取れる」


 佐伯が頷いた。


「一号炉と同じだな」

「また?」

「最初から完成形を動かすなって話だ」

「まず六割?」

「今回は五割くらいだ」


 悠介は笑った。


「本当に全部それですね」


     ◇


 最終的に採択された実用第一段階は、〇・〇三%だった。誰も満足していない。高温被害国は少なすぎると言った。慎重派は多すぎると言った。産業界は費用を問題にした。農業国は補償制度を要求した。宇宙開発国は負担割合で揉めた。それでも決まった。


【地球日射調整第一段階】

【目標日射低減――〇・〇三%】

【運用期間――三年間】

【六か月ごとに影響評価】

【重大な地域気候異常検出時――縮小または中止】

【単独国家による変更権限――なし】


「〇・〇三か。それじゃ気温の上昇は止まらないよな?」

『上昇速度を低下させます。現在行っている施策も有効です』


 OCCを増やす。核融合も増やす。AIの効率化と規制もする。化石燃料の使用も減らす。


「全部やる?」

『はい』


 悠介は苦笑した。


「やっぱ万能解はないな」

『はい』

「もっと一発で全部解決する技術とかないの?」

『確認されていません』

「残念」


 しかし、以前ほど残念には思わなかった。一つで全部解決できないなら、いくつも使えばいい。


     ◇


 第一段階の建設開始から四年後。L1近傍には、かつての実証群とは比較にならない数の薄膜ユニットが浮かんでいた。月面工場は十七拠点。地球近傍小惑星採掘量は年間二百八十万トン。そのかなりの割合が地球へ降ろされず、宇宙構造物へ直接使われている。OCCも百を超えた。


【地球外AI演算比率――一八・四%】

【世界AI演算量増加率――年七・一%】

【地球日射低減――〇・〇二八%】


 そして世界平均気温。


【年間上昇――+〇・〇三℃】


 悠介は数字を見た。


「上昇率が減った」


 以前は〇・〇七度。今は〇・〇三度。まだ上がっている。それでも半分以下。


「成功?」

『まだです』

「そう言うと思った」

『三年間の評価期間が必要です』

「でも前よりいい?」

『はい』


 悠介はその答えを聞いて、画面の地球を見た。まだ暑い。海面も元には戻らない。失われた農地もすぐには戻らない。世界平均気温は危機以前よりはるかに高い。それでも、上昇速度だけはようやく鈍り始めた。


 人類は太陽を止めたわけではない。AIを捨てたわけでもない。豊かさを全部諦めたわけでもない。ただ地球へ入り続ける熱のほんの一部を減らし、同時に自分たちが出す負荷を少しずつ外へ移した。それで十分かどうかは、まだ誰にも分からない。


 だが少なくとも、世界平均気温のグラフは、何十年ぶりかに明らかに傾きを緩めていた。



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