第二十六話 それでも追いつかない
軌道演算複合施設(OCC)が十二施設まで増えた頃、世界では「AIを宇宙へ移す」という言葉が、ようやく未来技術ではなく現実の政策として扱われるようになっていた。
【地球外AI演算比率――二・一%】
【地球外演算施設総数――十二】
【月面由来構造材使用率――平均六四%】
【地球からの打上げ質量――初期OCC比五三%削減】
数字だけを見れば順調だった。月面工場は拡張され、小惑星から持ち込まれる資源も増えた。OCC-1の頃は七百八十トンもあった施設が、同等演算能力なら地球から運ぶ必要のある精密部品は半分以下まで減っている。骨格、遮蔽材、タンク、一部の放熱器支持構造は月で作り、精密演算装置と制御機器だけを地球から持ち込めるようになった。
高瀬悠介は大型画面に並ぶ数字を見ながら言った。
「二・一%か。最初は〇・〇三%だったよな」
『はい』
「七十倍?」
『正確には約七十倍です』
「じゃあかなり進んでるじゃん」
『進んでいます』
「気温は?」
『上昇傾向を維持しています』
「……そこは進んでないんだな」
『はい』
世界平均気温のグラフは、下がるどころか、わずかに傾きを増していた。地球外へ演算設備を出している。AI一処理あたりの消費電力も下がっている。核融合電源も増えている。それでも足りない。
「なんで?」
『世界AI総演算量の増加速度が、地球外移転速度を上回っているためです』
「前にも聞いたな」
《アトラス》が別のグラフを表示する。
【世界AI総演算量――前年比二二・四%増】
【地球外AI演算量――前年比一〇一%増】
【地球上AI演算量――前年比一九・七%増】
「宇宙は倍になってるのに、地上も二割増えてる。追い出してるそばから増えてる?」
『概ね正しいです』
悠介はしばらく数字を見た。
「これ、引っ越しじゃないな」
『どういう意味でしょうか』
「家から荷物減らそうとして倉庫借りたのに、空いた場所にまた荷物買ってる」
『類似しています』
「しかも倉庫より買う速度のほうが速い」
佐伯宗一郎が横で笑った。
「平均的な人間にも分かる例えだな」
「まだそれ言うんですか」
『説明として有用です』
「アトラスまで乗るな」
◇
AI利用が増えている理由は、一つではなかった。個人向けAI。企業AI。医療。行政。教育。物流。研究。軍事。気候予測。宇宙開発。そして皮肉なことに、AI環境負荷を減らすための技術開発にも大量のAIが使われていた。
「OCCを作るのにもAI使ってる?」
『はい』
月面工場。小惑星採掘船。宇宙での活動は無人で行われている。必要なAIのリソースは膨大だった。
「AI減らすためにAI増やしてる?」
『短期的には、その側面があります』
「嫌になるな」
『長期的には地球上の負荷削減に寄与します』
「長期的には、ばっかりだな」
しかし人間側にも、AIを減らす理由がなかった。新薬開発期間は短くなる。新素材の探索は速くなる。事故予測は改善。工場の資源効率も上がる。企業は人員不足をAIで補う。国家は安全保障のために使う。科学者は他国に研究速度で負けないために使う。個人は仕事と生活を少し楽にするために使う。その一つ一つだけ見れば、ほとんど合理的だった。
「誰かが無駄に使ってるから増えてる、って話じゃない?」
『無駄と評価できる利用も存在します。ただし、それだけを停止しても現在の増加率を相殺できません』
「娯楽を全部切っても?」
『不十分です』
「広告も?」
『不十分です』
「じゃあ結局、役に立つAIが増えてる」
『はい』
「余計止められないな」
『はい』
数年前の国際会議で、各国はAI総演算量の削減に合意できなかった。その後も状況は変わっていない。むしろ悪化している。中央大陸人民共和国は復興のためAIを増やし続ける。東海連邦は安全保障上、それに追随する。アメリカは宇宙開発、軍事、研究で削減できない。欧州は規制を進めたが、域内企業から競争力低下への反発が強まり、当初案より緩い制限しか実施できなかった。
日本も例外ではない。
【国内AI総演算量――四年前比一七四%】
「うちも増えてるじゃん」
『はい』
「宇宙へ移してるのに?」
『国内事業者が利用する地球外演算分を含みます』
「地上だけだと?」
『四年前比一四六%です』
「結局増えてる」
『はい』
「人のことを言えないな」
◇
政府は再び《アトラス》へ対策案を求めた。
【条件】
【大幅なAI総量規制――国際合意困難】
【核融合電力供給――増加継続】
【地球外演算施設――拡張可能】
【世界平均気温上昇――十年以内に抑制必要】
【各国経済・安全保障能力――重大な低下は許容されない】
「要求が無茶じゃない?」
悠介が言った。
『複数条件が競合しています』
「簡単に言うと?」
『AIは減らせない。地球は冷やす必要がある。経済も軍事も落とせない』
「そう、それ」
佐伯が腕を組む。
「で、答えは?」
『現在案では不十分です』
「どのくらい足りない?」
《アトラス》が予測を表示する。
【現行建設速度維持】
【十年後地球外AI演算比率――推定一三~一七%】
【十年後世界AI総演算量――現状比約五・四倍】
【十年後地球上AI絶対演算量――現状比約四・五倍】
「全然減ってない」
『はい』
「宇宙に一七%移しても、地上で四倍?」
『演算需要の増加を抑制できない場合です』
「じゃあOCCをもっと作ろう」
『必要建設速度は現在の約九倍です』
「九倍なら……」
『月面工業能力、核融合推進船数、放熱材生産、演算半導体供給、資源採掘量のすべてが不足します』
「小惑星から取る」
『そのための採掘船建造能力も不足します』
「採掘船を増やす」
『そのための資源が必要です』
「……また資源」
結局、そこへ戻る。小惑星採掘は始まった。だが年間数千、一万トン規模では、世界全体の巨大な産業需要から見ればまだ小さい。宇宙でAIを動かすには、演算装置だけでは足りない。
核融合炉。送電設備。放熱器。構造材。通信設備。修理ロボット。それらも大量に必要になる。
「他に方法はないの?」
『あります』
【AI演算需要成長率抑制】
「やっぱり減らす話?」
『総量削減ではありません。増加速度の抑制です』
「例えば?」
『新規大規模演算設備への環境負荷課金。低効率AIサービスの段階的制限。高性能モデルの重複訓練削減。企業間での基盤モデル共有。非緊急処理の地球外優先割当などです』
「今の二二%増を?」
『年一〇%以下へ抑制できれば、地球外移転が追いつく可能性が上昇します』
「世界でできる?」
『完全な強制は困難です』
「またか」
『ただし総量削減よりは合意可能性が高いと評価します』
「減らせじゃなくて、増やす速度落とせだから?」
『はい』
その案は国際会議へ持ち込まれた。
◇
以前の削減交渉よりは、確かに反応が良かった。アメリカは、既存の軍事・研究AIを削減しないことを条件に検討を表明。中央大陸人民共和国も、復興用AIの現状維持が認められるなら新規増設効率基準を受け入れる余地があるとした。東海連邦も同様。欧州はむしろさらに厳しい案を要求した。それでも完全にはまとまらない。
最終的に成立したのは、強制上限ではなかった。
【国際AI環境効率基準】
【新設大規模演算施設――一定以上のエネルギー効率を義務化】
【非緊急大規模演算――地球外施設利用を優先】
【同一目的の超大規模モデル重複訓練――共同利用推奨】
【AI事業者――電力・冷却・排熱量の公開】
【各国目標――AI演算需要増加率年一二%以下】
「一二%?」
『当初提案は一〇%です』
「妥協した?」
『はい』
「どこかの国が守らなかったら?」
『強制制裁は限定的です』
「弱いな」
『成立可能性を優先しました』
「妥当解?」
『はい』
だが、その妥当解でも不十分だった。
◇
二年後。
【世界AI総演算量増加率――一四・八%】
【目標――一二%以下】
【地球外AI演算比率――五・六%】
【地球上AI演算量――前年比八・四%増】
「減ってない」
『増加率は低下しています』
「でも増えてる」
OCCは四十一施設まで増えた。月面工業拠点も三か所。小惑星採掘量は年間七万トンを超えた。宇宙資源利用協定も、多少の違反や揉め事を抱えながら機能している。人類は確実に前進している。それでも、地球の気温はまだ止まらない。
【世界平均気温――危機前基準比+四・三八℃】
【年間上昇――+〇・〇七℃】
悠介は数字を見た。
「前より小さい?」
『ピーク時より低下しています』
「でも十年で〇・七度」
『単純加算すれば』
「これ以上暑くなったら?」
『新たな居住困難地域の拡大、農業収量低下、水需要増加、冷房需要増加が予測されます』
冷房が増える。AI冷却も増える。電気を増やす。さらに熱が出る。
「嫌な循環だな」
悠介は画面の地球を見る。
「アトラス。OCCを今の十倍の速度で作ったら?」
『資源と製造能力が不足します』
「小惑星採掘を十倍」
『採掘船が不足します』
「核融合炉を増やす」
『電力供給には有効ですが、地球上で利用する場合、人工排熱増加要因になります』
「AIを止める」
『国際的な大幅削減は成立していません』
「じゃあ詰んでる?」
『いいえ』
悠介が顔を上げた。
「あるの?」
『現在の質問は、地球上で発生する熱をどう減らすか、という前提です』
「そうだろ」
『別の方法があります』
佐伯も画面を見る。
「何だ」
《アトラス》が地球と太陽を表示した。巨大な太陽。その周囲を回る地球。そして、その間に小さな印が一つ現れた。
【太陽―地球系L1近傍】
「L1?」
『太陽と地球の重力、および公転運動の関係から、一定の位置関係を維持しやすい領域です』
「そこで何をするんだ?」
『太陽光の一部を散乱または偏向する構造体です』
悠介は数秒黙った。
「……太陽を遮るのか」
『一部をです』
「どのくらい?」
『必要量は設計条件によります』
「地球が暗くならない?」
『初期案では、人間が日常生活で容易に知覚できない程度を想定しています』
佐伯が立ち上がった。
「それで冷えるのか?」
『地球へ流入する太陽エネルギーをわずかに減少させれば、温暖化要因の一部を相殺できます』
「どれくらいの設備がいる?」
《アトラス》が計算結果を表示した。
【初期実証――小規模】
【実用規模――極めて大規模】
【必要薄膜・支持構造材――数百万~数千万トン級の可能性】
「数千万トン?」
『設計により大きく変動します』
悠介は気づいた。月面工場。小惑星採掘。核融合推進船。OCC。これまで資源とAIの問題を解決するために作ってきた宇宙インフラが、別の用途に使える。
「ここまでやってきたこと、全部つながる?」
『技術的には』
「技術的には、ってことは」
『実施判断には重大な政治的・倫理的問題があります』
「例えば?」
『誰が地球へ届く太陽光量を決定するのか』
悠介は黙った。
『地域によって気候影響が異なる可能性があります』
雨。農業。季節。海流。台風。気候は一つの数字ではない。
『ある地域では有利となり、別の地域では不利となる可能性があります』
「つまり、世界平均では良くても、損する国が出る?」
『はい』
「誰が決める?」
『私は決められません』
「最適解は?」
『目的関数を定義できません』
数年前と同じだった。核融合炉を守るか、人命を守るか。技術を渡すか、渡さないか。資源を誰に配るか。そして今度は、地球に届く太陽光をどれだけ減らすか。
AIは計算できる。影響も予測できる。だが、誰にどれだけの損失を受け入れさせていいのかは決められない。佐伯が低い声で言った。
「技術的にはできるのか」
『実証段階なら』
「本番は?」
『現在の宇宙生産能力では不足しています』
「また資源か」
悠介は思わず笑った。
「でも今回は、前よりマシだな」
『なぜでしょうか』
「足りないものを取りに行く方法は、もうある」
《アトラス》は一拍置いた。
『はい』
地球近傍小惑星から資源を得る。月で構造材を作る。核融合船で運ぶ。AIで制御する。それでも足りなければ、また増やす。問題は、作れるかどうかだけではない。
作っていいのか。誰が決めるのか。どこまで使うのか。人類は、ようやく次の問題まで辿り着いた。
宇宙へAIを出しても、追いつかなかった。なら今度は、地球へ入ってくる熱そのものを変える。それは、これまでのどの計画より大きく、そしてこれまでのどの計画より、人間が決めなければならないものだった。




