第二十一話 最初の一隻
《アトラス》が最初の案を出したのは、地球外大規模演算施設の研究開始から十九日後だった。
【地球外資源・演算基盤統合計画 第一次案】
【月面工業拠点】
【地球近傍小惑星無人採掘拠点】
【軌道上資源精錬施設】
【大規模核融合推進貨物船】
【地球外AI演算施設】
【軌道上造船・整備拠点】
高瀬悠介は大型画面いっぱいに表示された施設群を見て、最初に聞いた。
「これ、作れる?」
『現時点では不可能です』
「だと思ったよ」
隣にいた佐伯宗一郎も呆れた顔で画面を見上げる。
「お前、十九日も考えて作れない計画持ってきたのか」
『長期的に必要となる構成を提示しました』
「必要なのは分かった。最初の一個をどう作るんだ」
『その検討も行っています』
「じゃあ最初からそっち出せ」
『全体構造を定義しなければ、第一段階の必要条件を適切に評価できません』
「理屈は分かるが、相変わらず夢がでかいな」
計画自体は合理的だった。地球上で不足している資源を月や小惑星から得る。その資源を使って宇宙施設を増やし、地球外へ大規模AI演算の一部を移す。電源は核融合。計算で発生する熱は巨大な放熱設備から宇宙空間へ逃がす。ただし、宇宙だから簡単に冷えるわけではなかった。
「宇宙って寒いんだろ?」
悠介が聞く。
『一般的な表現としては。ただし真空中では空気や水へ熱を直接逃がせません』
「じゃあデータセンター置くだけじゃ冷えない?」
『熱を放射によって排出する必要があります』
画面に演算施設の概念図が出た。巨大な中央構造物。その周囲に、翼のような薄い板が何枚も広がっている。
『放熱器です』
「データセンターよりでかくない?」
『演算規模によっては、はい』
佐伯が笑った。
「宇宙に出せば勝手に冷えると思ったか」
『むしろ熱設計は主要課題です』
「じゃあ意味ないじゃん」
『いいえ。地球環境へ直接廃熱を放出しないという利点があります。また冷却水供給の制約も異なります』
「でも巨大な放熱板がいる。それでその材料は?」
『不足しています』
「宇宙へ運ぶには?」
『輸送能力が不足しています』
「作る工場は?」
『不足しています』
悠介は佐伯を見た。
「前よりひどくないですか?」
「最初の核融合炉も似たようなもんだった」
「でもあれ地上でしたよ」
「今回は宇宙だな」
「難易度上がってるじゃないですか」
『とても困難です』
《アトラス》が素直に認めた。
◇
問題の中心は、重さだった。現在の打ち上げ能力でも、宇宙へ物を運ぶことはできる。各国のロケット技術は資源危機以前より進歩しており、再使用型ロケットも存在する。しかし地球外に大規模産業を作ろうとすれば、必要な物資量の桁が違う。
【最初期月面工業拠点――必要地上投入質量 推定一八万トン】
【初期軌道上大規模演算施設――推定六万トン】
【核融合推進貨物船建造設備――推定九万トン】
「待て」
悠介が止めた。
「月だけで十八万トン?」
『第一次案では』
「ロケット何本いるんだよ」
『現在の世界打ち上げ能力では、他用途を大幅に削減しても長期間を要します』
「燃料は?」
『大量に必要です』
「つまり宇宙へ行くために、地球の資源をさらに使う」
『はい』
「資源不足解決するために?」
『はい』
「それじゃ意味ないだろ」
『初期投資は必要です』
「必要すぎる」
佐伯も同意した。
「駄目だな」
『どの部分でしょうか』
「全部地球から持っていこうとしてる」
『初期段階では地球外生産設備が存在しないためです』
「だから、その初期段階をもっと小さくしろ」
『縮小すると生産可能品目が減少します』
「減らせ」
『後続設備の建設速度が低下します』
「それでもいい」
佐伯が画面を指した。
「核融合炉で何を学んだ」
『質問の範囲を指定してください』
「一号炉だ。一番いい炉を作ったか?」
『いいえ』
「必要な性能を全部入れたか?」
『いいえ』
「十年持つ材料を使ったか?」
『いいえ』
「じゃあ宇宙でも同じにしろ」
《アトラス》が沈黙する。
「月面で半導体工場作らなくていい。超精密工作機械もいらん。最初から宇宙船全部作ろうとするな」
『では何を現地生産しますか』
「簡単なものからだ」
悠介も考えた。
「水とか?」
『有力です』
「酸素」
『可能です』
「建物の材料」
『月面レゴリス利用によって地球からの輸送量を削減できます』
「金属は?」
『低品質でも許容するなら、一部は可能です』
佐伯が頷いた。
「それだ」
要求性能を下げる。月面で作るものは、精密でなくていい。水。酸素。遮蔽材。単純構造物。タンク。支持材。配管の一部。宇宙施設のすべてを月で作る必要はない。地球から運ばなくてよいものを、一つずつ増やせばいい。
《アトラス》が計算を始めた。数分後、数字が変わった。
【第一次月面拠点 地上投入質量――一八万トン】
それが消える。
【最小構成案――二万九千トン】
「それでも多いな」
『従来案比八三・九%減です』
「何ができる?」
『水資源探査・採取、小規模電力供給、酸素製造、レゴリス加工、単純構造材製造、無人機整備』
「人間は?」
『不要です』
悠介が佐伯を見る。
「月面基地って人住まないんですか?」
「最初はいらんだろ」
「夢がないな」
「人間一人住ませるために、水も空気も食料も放射線対策も要るんだぞ」
『有人化した場合、初期投入質量と安全要求は大幅に増加します』
「じゃあロボットだけか」
『それが合理的です』
「壊れたら?」
『遠隔操作および自律修理を試みます』
「直らなかったら?」
『設備を失います』
「だが人は死なない」
それだけで設計の自由度は大きく変わる。多少放射線に弱くてもいい。室温を人間向けに保つ必要もない。故障率が高くても、安い機械を複数送ればいい。完成度六十点でも働けばいい。人間が宇宙へ行くことではなく、まず宇宙で物を作ることを目標にする。《アトラス》の計画が、少しずつ現実へ近づき始めた。
◇
次の問題は輸送だった。既存ロケットだけで二万九千トンを月へ送ることは、まだ重すぎる。
「核融合推進使うんだろ?」
悠介が聞いた。
『はい。ただし最初から大型貨物船を建造する案は困難です』
「また材料?」
『主に材料、放熱、燃料供給、宇宙空間での組立設備です』
「じゃあ小さくする?」
『可能です』
画面に新しい機体が出た。
【核融合推進実証貨物機 FCP-1暫定案】
「地味な名前だな」
『正式名称ではありません』
「これでどのくらい運べる?」
『初期案では貨物質量八十トン程度を想定します』
「二万九千トン必要なんだろ?」
『一機で全量を輸送する必要はありません』
佐伯が笑った。
「ようやく分かってきたな」
最初の核融合貨物機は、月面基地を完成させるための船ではない。月面基地を作り始めるための船。さらに重要なのは、その機体そのものが次世代機の実験になる。
核融合炉。推進装置。巨大放熱器。長期間自律AI。宇宙空間での修理。すべて、将来の軌道上演算施設にも必要な技術だった。
「一隻作れば両方の実験になる?」
『はい。核融合推進系の放熱技術は、地球外演算施設にも応用可能です』
「じゃあ最初に作るのは?」
『有人宇宙船ではありません』
「貨物船だ」
『はい』
「人乗せない」
『はい』
「速くなくてもいい」
『はい』
「何年かかっても?」
『輸送目的によっては許容できます。ただし機器寿命との兼ね合いがあります』
「なら、できる範囲で遅くていい」
佐伯が続ける。
「推力も最大じゃなくていい。往復しなくていいなら使い捨てでもいい。最初は月に荷物届ければ成功だ」
『再使用を行わない場合、構造と燃料余裕を削減できます』
「やれ」
『ただし長期的には再使用型が有利です』
「二号機から考えろ」
《アトラス》が再計算する。
【FCP-1 要求条件変更】
【有人対応――削除】
【地球帰還能力――削除】
【再使用性――要求せず】
【最大推力――低減可】
【寿命――一航行達成を最低条件】
【貨物安全性――一部緩和】
数字が変わる。
【建造必要希少資源――初期案比四一%削減】
【国内+米国供給による調達可能率――九三%】
「九三?」
悠介が聞いた。
『不足分の一部は既存設備から回収可能です』
「作れる?」
『現時点では、建造可能性があります』
佐伯がニヤリとした。
「ようやくだ」
まだ七%足りない。しかも設計しただけ。推進試験もしていない。宇宙で核融合炉を長時間動かした実績もない。それでも「不可能」から「可能性がある」へ変わった。それはこの数年で、何度も見てきた変化だった。
◇
計画は【地球外文明基盤第一段階計画】として政府へ提出された。名称だけ聞けば大げさだったが、内容は地味だった。
第一段階。核融合推進無人貨物機を一機作る。
第二段階。月極域へ無人採掘・加工装置を送る。
第三段階。月面で水と酸素を作る。
第四段階。地球から運ぶ必要のない構造材を少量でも現地生産する。
小惑星採掘はまだ先。軌道上AI施設も先。有人月面都市など、計画表のかなり後ろにしかない。
「夢の宇宙開発って感じじゃないな」
悠介が言った。
『目的は観光ではありません』
「分かってる」
政府内でも反対意見は多かった。
「国内復興が完了していない」
「第五号炉以降の資源すら不足している」
「なぜ宇宙へ貴重な材料を捨てるのか」
「地球上のAI規制を先に行うべきだ」
最後の意見については、誰も完全には反論できなかった。世界的にAI利用を二五%減らせば、それが一番早い。しかし各国は減らさない。日本だけ大幅削減すれば、科学、産業、防衛、宇宙開発そのものが遅れる。悠介は会議で聞いた。
「この計画をやったら、気温上昇止まる?」
『いいえ。FCP-1一機および小規模月面設備では、世界環境への影響はほぼありません』
「じゃあ何のため?」
『地球外へ大規模演算を移転できる産業基盤を構築するためです』
「何年後になる?」
『現時点推定では、実用規模の地球外演算施設まで最短十三年から十八年です』
会議室がざわついた。
「遅すぎる」
誰かが言った。
「その間に気温は上がる」
『短期対策は別途必要です』
《アトラス》は地上側の案を表示した。
【演算効率基準強化】
【データセンター排熱利用】
【非緊急演算の時間帯制御】
【核融合・再生可能電源優先接続】
【高温地域から低温地域への演算設備移転】
【娯楽・広告AIへの段階的課金】
【冷却水使用規制】
「これで十三年持たせる?」
『完全には抑制できません。しかし上昇速度を低下させる効果があります』
「AI総量削減なしでも?」
『総量規制を行う場合より効果は低いです』
「それでもやるしかない」
また完璧な解決ではなかった。地上で少しずつ効率を上げる。無駄な利用を減らす。排熱を暖房や産業へ使う。同時に宇宙へ出る準備をする。十三年後の解決策だけを待つこともできない。今日だけを守って未来を捨てることもできない。だから両方やる。いつもの答えだった。
◇
FCP-1の詳細設計が始まると、最初の核融合炉建設を思い出すような会話が毎日のように繰り返された。
「高耐熱合金が足りない」
『別材料を提案します』
「重くなる」
『一七%増加します』
「それで飛ぶのか?」
『貨物量を減らせば』
「減らせ」
「放熱器がでかすぎる」
『高温運転すれば面積を縮小できます』
「材料寿命は?」
『低下します』
「月まで持つか?」
『推定寿命は必要期間の一・四倍です』
「ならいい」
「推進炉の交換できないぞ」
『使い捨て前提です』
「本当に一回こっきりだな」
『はい』
最終的に、当初八十トンだった貨物能力は五十八トンまで落ちた。推進性能も理想設計の六割台。放熱器は不格好に巨大。帰還能力なし。故障すれば宇宙を漂う。人間など絶対に乗せられない。それでも月へ五十八トンを届けられる可能性がある。
「五十八トンか。月面基地、二万九千トン必要なんだよな」
悠介が言った。
『初期計画全体では』
「五百回飛ばすの?」
『FCP-1を五百機製造する計画ではありません』
「どういうことだ?」
『FCP-1で送る装置によって、月で水と酸素を生産します。その後の輸送機は月由来資源を利用する前提で大型化します』
そこで悠介はやっと全体像を理解した。
「最初の船が、次の船を楽にする?」
『はい』
「次の船が、さらに大きい工場を運ぶ」
『はい』
「その工場で、もっと宇宙で作れるようになる」
『はい』
「核融合炉と同じだな」
『設計思想は類似しています』
一号炉が二号炉を作った。二号炉が三号炉を作った。今度は、一隻目の宇宙船が二隻目を作りやすくする。そしていつか、地球から宇宙船の材料すべてを持っていく必要がなくなる。
「宇宙へ行くためには、先に宇宙で作れるようにならないと駄目なのか」
『正確には、宇宙で作れるものを段階的に増やす必要があります』
「宇宙へ行くには宇宙が必要ってことだな」
『表現としては概ね正しいです』
◇
設計開始から十一か月。FCP-1の建造が正式に始まった。場所は地上ではなく、既存の大型軌道施設を拡張した組立拠点だった。すべてを宇宙で作るわけではない。
核融合炉は日本。主要構造材はアメリカ。電力制御装置は日本と東海連邦。センサーの一部は欧州。中央大陸人民共和国からも、民生技術協定を通じて大型構造部材の供給が決まった。かつて戦争していた国の材料まで、一隻の船へ入る。
「中央大陸人民共和国の部品使うんだ」
悠介が聞いた。
『品質基準を満たしています』
「数年前に核融合炉を壊しに来てた国だぞ」
『現在は停戦状態であり、民生協力協定が存在します』
「変わるもんだな」
『国家関係は変化します』
佐伯が横から言った。
「いいんじゃないか。あいつらが作った鉄で宇宙行けるなら」
「気にしないんです?」
「使えるものは使う」
まだ人類が仲良くなったわけではない。中央大陸人民共和国と東海連邦の対立も残っている。アメリカと中央大陸人民共和国も互いを警戒している。宇宙資源の権利を巡る議論も、すでに始まっている。それでも、戦争で失ったものしか数えられなかった数年前とは違う。今は各国から集まった材料が、同じ機械の一部になろうとしていた。
悠介は軌道上組立施設から送られてきた映像を見る。巨大な骨組み。折り畳まれた放熱器。まだ取り付けられていない核融合推進炉。宇宙船と呼ぶには、あまりにも不格好だった。
「これ、本当に飛ぶのか?」
『飛行試験を行わなければ確定できません』
「成功率は?」
『現時点推定六八%です』
「低くない?」
『初号機としては許容可能と評価します』
「落ちても人死なないもんな」
『はい』
その数字を見ても、悠介は以前ほど不安にならなかった。六八%。高くはない。完璧でもない。だがゼロではない。第一実証炉も、最初は設計図だけだった。そして今では五基の炉が電気を作っている。だから今度も、まず一機だった。
月面都市でもない。小惑星採掘船団でもない。宇宙に浮かぶ巨大AIでもない。たった五十八トンの荷物を、人間を乗せずに月まで運ぶ、不格好な船。
資源問題も気温上昇も、それ一機では何一つ解決しない。だが、解決するために必要な最初の道具にはなる。そして人類はようやく、地球の外へ何かを取りに行くためではなく、地球だけにすべてを背負わせないための最初の機械を作り始めていた。




