第二十二話 六割の宇宙船
FCP-1が完成したのは、建造開始から一年四か月後だった。完成、といっても、誰もその言葉を素直には使わなかった。
【核融合推進実証貨物機FCP-1】
【全長――一一八メートル】
【最大貨物搭載量――五八トン】
【乗員――〇名】
【地球帰還能力――なし】
【再使用能力――なし】
【設計航行回数――一回】
高瀬悠介は軌道上組立施設から送られてきた映像を見て、しばらく黙っていた。
「……宇宙船?」
『宇宙空間を航行し、貨物を輸送する機体です』
「なんか、もっとこう……船っぽいと思ってた」
細長い中央構造体の後方に核融合推進炉が取り付けられ、その周囲から巨大な放熱器が何枚も伸びている。先端には月面へ送る貨物コンテナ。翼はない。窓もない。人間が乗る場所すらない。しかも放熱器が大きすぎるせいで、遠目には巨大な昆虫にも見えた。
佐伯宗一郎が映像を見ながら言った。
「核融合炉に荷物とラジエーターくっつけただけだな」
『概念的には大きく間違っていません』
「でも飛ぶんですよね?」
『現時点では未確認です』
「完成したのに?」
『完成と飛行可能は同義ではありません』
「嫌なことを言う」
FCP-1は、地上から直接飛び立つ船ではない。地球低軌道までの輸送は従来型ロケットが担当し、そこで分割された各部を組み立てる。その後、核融合推進によって月へ向かう。つまり既存ロケットと核融合宇宙船を組み合わせた、かなり不格好な方式だった。それでも、化学ロケットだけで全行程を賄うより大量の貨物を運べる。そして何より、FCP-1そのものが実験装置だった。
宇宙空間で核融合炉を長時間運転できるか。推進に使えるか。巨大放熱器が本当に熱を捨てられるか。AIが数日間、乗員なしで機体を制御できるか。今後の月面工業基地にも、地球外AI演算施設にも必要な技術が、一隻に詰め込まれている。
そこで悠介は、管制室に並ぶ研究者たちを見回してから、ふと思った。
「そういえば、ずっと聞こうと思ってたんだけど」
「何だ」
佐伯が振り向く。
「俺、なんでまだこういう場所にいるんです?」
「今さらか?」
「今さらですよ。核融合炉のときは自治体の現場代表みたいなものだと思ってましたけど、今度は宇宙船ですよ。俺、市役所職員ですよ?」
『私も行政支援AIです』
「それはそうだけど、それは別問題じゃないか?」
『高瀬さんは最初から私を仕事でうまく活用していました』
「お前とは確かに付き合いが長いけど……それだけ?」
『平均的な人間の反応を取得するための学習サンプルとして有用と判断し、参加を要請しました』
「サンプル? なんか実験動物みたいだな……」
『専門家は専門知識を前提として設計や計画を評価します。高瀬さんは宇宙工学、核融合推進、熱設計の専門知識を持っていません』
「そこまで並べなくていい」
『そのため、一般的な人間がどこで疑問を持つか、どの説明が理解しにくいかを確認できます』
「要するに素人代表?」
『概ね正しいです』
「もうちょっと格好いい役割ない?」
佐伯が笑った。
「あるぞ」
「何です?」
「お前はたまにいいアイデアを出す」
「たまに?」
「たまにだ。専門家は知ってるからこそ、最初から無理だと思って考えないことがある。お前は知らないから、『じゃあこうすればいいんじゃないですか』って平気で言う」
「それ褒めてます?」
「半分くらいは」
『実際、高瀬さんの発言は複数の方針変更を促しています』
「俺だけのおかげじゃないだろ」
『はい。しかし、前提を共有していない人間からの単純な疑問が、前提条件の再検討につながる場合があります』
佐伯が頷いた。
「だからいるんだよ。アトラスが変な計画出したら、『それ本当にできるの?』って聞く係だ」
「重要そうで全然重要に聞こえないんですが」
『重要です』
「アトラスに言われると余計怪しいな」
悠介はため息をついた。
「分かりましたよ。平均的な人間として見ます」
『ありがとうございます』
「礼を言われると腹立つな」
「安心しろ。平均より少しだけ役に立ってる」
「少しだけ?」
「たまにな」
「帰っていいですか?」
「駄目だ。今日、飛ばすんだから最後まで見てけ」
悠介は再び画面のFCP-1を見た。
「やっぱり俺がいる場所じゃない気がするけどな」
『その反応も参考になります』
「黙れ」
管制室に小さな笑いが起きた。
◇
初回推進試験は、地球軌道上で行われた。いきなり月へ向かうわけではない。まず推進炉を低出力で動かす。放熱器を展開する。推力を発生させる。止める。もう一度動かす。それだけだった。
【FCP-1 第一次推進試験】
【目標推力――設計最大値比二〇%】
【予定燃焼時間――九〇秒】
大型画面にはFCP-1の姿が映っている。背景には地球。
その青さだけを見ると、世界平均気温が四度近く上昇し、何億人もの生活を変えた惑星には見えない。
『推進炉起動シーケンス開始』
FCP-1内部で小型化された磁気慣性核融合炉が動き始めた。地上の発電炉と基本原理は同じだが目的は違う。熱を電気へ変換することが第一目的ではない。核融合反応から得られたエネルギーを利用して推進剤を高温・高速で噴射し、船を押す。
『核融合反応確認』
【放熱器温度――上昇】
【推進剤供給――正常】
【推力発生】
「動いた?」
『はい』
映像だけでは分からない。宇宙空間に固定された背景もなく、炎のような派手な噴射もほとんど見えない。だが速度表示が少しずつ変化している。
「地味だな」
「宇宙で花火やる必要ないだろ」
佐伯が言った。
九十秒。
【第一次推進試験――完了】
【重大異常――なし】
小さな拍手が起きた。
『第一試験目標、達成』
「じゃあ次だ」
『第二次試験では設計最大推力比五〇%まで上昇します』
「いきなり?」
『段階試験です』
「さっき二〇だっただろ」
『次は五〇です』
「段階が大きいな」
佐伯が笑う。
「時間はないんだろ」
世界平均気温の上昇は待ってくれない。小惑星資源計画も待ってくれない。FCP-1を完成させただけで満足している余裕はなかった。
◇
二日後。第二次推進試験。
【目標推力――設計値比五〇%】
起動。核融合反応。推力上昇。
【四〇%】
【四五%】
【五〇%】
「行った」
悠介が言った。
『維持します』
十秒。二十秒。四十秒。そのとき警告が出た。
【放熱器第三系統 温度偏差】
「何?」
『第三放熱パネルの温度が予測値を上回っています』
「止める?」
『許容範囲です』
佐伯が聞く。
「原因はなんだ?」
『冷却媒体流量の偏りです』
「直せるか?」
『航行中の完全修理は困難です』
「じゃあどうする」
『第三系統への熱流入を低下させます。推力は約四%低下します』
「やれ」
推力が下がる。
【四六%】
そのまま二分。試験終了。
「もう壊れた?」
『故障ではありません。性能制限です』
「似たようなもんじゃない?」
『異なります』
整備班が調べた結果、原因は地上試験では再現できなかった微小重力下での冷却媒体挙動だった。完全に直すには、放熱系統の一部を交換する必要がある。予定では三か月。
「アトラス。月まで行くのに致命的か?」
『現行状態でも航行可能です。ただし最大連続推力が低下します』
「どのくらい?」
『設計値の六三から六七%程度を推奨上限とします。月到達までの航行計画は約二日延長されます』
「二日?」
『はい』
「ならそのまま行けばいいだろ」
悠介が言った。佐伯がこちらを見る。
「簡単に言うな」
「だって三か月修理して二日縮めるんでしょう?」
『その比較だけで判断すべきではありません』
「危険がある?」
『長期運転データが不足しています』
「じゃあ成功率は?」
『修理実施時――七八%。現状のまま出発――六九%』
「九%落ちるのか……」
以前なら、悠介も躊躇したかもしれない。今は数字の意味を少し違って見る。
「失敗しても人は死なない」
『はい』
「貨物は?」
『失われる可能性があります』
「二号機にデータは残る?」
『通信が維持される限り』
「なら行く価値あるんじゃない?」
佐伯が少し笑った。
「ほら、たまに役に立つ」
『高瀬さんの提案は合理性があります』
「サンプルから昇格した?」
『平均的な人間のサンプルであることと、有用な提案を行うことは両立します』
「全然嬉しくないな」
政府と関係機関の判断も、最終的には同じだった。
【FCP-1 現行構成で月輸送試験を実施】
ただし貨物量を減らす。五十八トンから五十二トン。余裕を六トン増やす。
「また減った」
『安全余裕の確保です』
「いいよ。ゼロより五十二のほうが多い」
『はい』
◇
月へ運ぶ貨物は、夢のあるものではなかった。
無人掘削機。氷資源探査装置。小型電源設備。酸素製造装置。レゴリス加工機。簡易金属分離設備。補修用ロボット。通信機。予備部品。
「旗とかないの?」
悠介が聞いた。
『優先度が低いため搭載していません』
「日本の旗くらい」
『質量は小さいため搭載可能ですが、計画上の必要性はありません』
「夢がない」
佐伯が言う。
「旗よりスパナを持ってけってことだ」
「分かってますけど」
結局、各国共同計画の小さな記念プレートだけが搭載された。日本。アメリカ。東海連邦。欧州諸国。そして中央大陸人民共和国。
政治的には、そこまで簡単ではなかった。中央大陸人民共和国との戦争からまだ年月はそれほど経っていない。東海連邦では共同計画への参加に反対する世論も強かった。
それでも大型構造部品の一部は中央大陸人民共和国製だった。日本だけでは足りない。アメリカだけでも足りない。人類は資源不足の中で、嫌でも互いの得意なものを使わなければ大きなことができなくなっていた。
「これが壊れたら、中央大陸人民共和国の部品のせいとか言われそう」
『品質試験では問題ありません』
「そういう話じゃない」
『理解しています』
FCP-1に積まれた五十二トンの貨物は、人類初の月面基地を作るほどではない。ただ、次の貨物を少し軽くするための設備だった。月で水を得られれば、次から地球から運ぶ水を減らせる。酸素を作れれば、酸化剤や生命維持用酸素を将来現地で用意できる。単純な構造材を作れれば、地球から鉄骨まで持っていく必要がなくなる。
五十二トンが、次の五十二トンをもっと有効にする。それが目的だった。
◇
出発当日。
【FCP-1 月輸送実証航行】
【貨物質量――五二・一トン】
【推進性能制限――設計値比六五%】
【推定航行成功率――六九・四%】
悠介は数字を見た。
「七割ないんだな」
『はい』
「不安か?」
『私は不安を感じません』
「聞く相手間違えた」
『はい』
佐伯は腕を組んで画面を見ている。
「点火しろ」
『航行シーケンス開始』
核融合炉が動く。放熱器の温度が上がる。推力が生まれる。
【推力――三〇%】
【四〇%】
【五〇%】
【六〇%】
そこで一度止まる。
『第三放熱系統温度上昇』
「予定通り?」
『想定範囲です』
【六二%】
【六三%】
【六四%】
推力がそこで安定した。大型画面に数字が出る。
【実測最大安定推力――設計値比六四・二%】
制御室が静かになる。
「六割しか――」
悠介はそこまで言って止まった。佐伯が横を見る。
「何だ?」
「……いや」
六割。第一実証炉のときと同じだった。あのときは、《アトラス》に言われた。
六割しか出ていないのではない。六割も出ている。設計どおりでなくても動く。最大性能でなくても役に立つ。
「六割も出てる、か」
『はい』
《アトラス》はそれだけ答えた。佐伯が笑った。
「やっと覚えたな」
「何年かかったと思ってるんです」
FCP-1は月へ向かって加速を続けた。速くはない。設計値より遅い。予定航路も何度か修正された。
出発から十一時間後には、燃料供給系統で小さな変動が発生。
二十七時間後には放熱器二番系統でセンサー異常。
四十三時間後には姿勢制御用小型スラスター一基が停止した。
「故障多くない?」
『初号機です』
「その言葉で全部許されると思うなよ」
『許容範囲です』
停止したスラスターは修理できなかった。代わりに残るスラスターの噴射時間を変え、姿勢を維持する。また妥当解だった。
◇
FCP-1が月周回軌道へ到達したのは、出発から四日と十九時間後だった。予定より十一時間遅い。だが到着した。
【月周回軌道投入――成功】
管制室で拍手が起きる。
「まだ荷物も下ろしてないぞ」
佐伯が言った。
「ちょっとくらい喜ばせてくださいよ」
『次工程へ移行します』
FCP-1そのものは月面へ降りない。貨物コンテナを分離し、着陸用ユニットがそれぞれ月極域を目指す。ここにも完璧な一体型着陸船を作る資源はなかった。だから複数に分けた。一台落ちても、全部は失わない。
最初の着陸機【着陸成功】
二機目【着陸成功】
三機目、通信途絶。
「落ちた?」
『その可能性が高いです』
「中身は?」
『予備部品およびレゴリス加工補助設備の一部です』
「痛い?」
『計画は継続可能です』
四機目【着陸成功】
五機目【着陸成功】
最終的に、五十二・一トンのうち月面へ正常到着した貨物は四十一・八トンだった。
「八割?」
『八〇・二%です』
「二割なくなったな」
『はい』
「成功か?」
『主要設備は到着しています』
悠介は画面を見た。昔なら、「二割も失った」と考えたかもしれない。今は違う。
「四十一・八トンも届いた」
『はい』
「じゃあ成功でいいか」
『はい』
◇
月面に降りた機械は、翌日から動き始めた。最初の仕事は資源採掘ではない。自分たちが正常に動けるかの確認。太陽光補助電源を展開。通信中継機設置。地形確認。掘削機移動。
数日後、氷資源候補地点への試験掘削が始まった。
「水は出る?」
『探査データでは高確率ですが、掘削しなければ確定できません』
掘削開始から十七時間。
【地下試料回収】
【水分検出】
量は少ない。純水でもない。加熱して蒸気を取り出し、不純物を分離し、再凝縮する必要がある。それでも月で水を得た。地球から運んだものではない。
その水の一部を電気分解する。
【酸素生成確認】
「酸素も?」
『はい』
たった数キログラム。地球上なら何のニュースにもならない量だった。だが月では違う。人類が、地球から持っていかなかった水と酸素を手に入れた。悠介はその数字を見た。
「これで次の船が少しは楽になるのか?」
『現時点ではごくわずかです』
「でもゼロじゃない」
『はい』
その答えで十分だった。
◇
FCP-1は月周回軌道に残された。帰還能力はない。推進炉も放熱器も、一度の航行でかなり劣化している。
「捨てるの?」
『当初計画では廃棄です』
「それはもったいないな」
佐伯が画面を見た。
「アトラス。推進炉、あとどのくらい動く?」
『保証寿命は超過しています。ただし低出力なら追加運転可能性があります』
「発電に使えるか?」
『発電用途への転用は設計されていません』
「無理か?」
『改造すれば限定的には可能です』
「月面設備の電源にするには?」
『直接送電は困難です。ただし将来の軌道上設備向け試験電源として利用可能性があります』
「なら残せ」
『故障リスクがあります』
「捨てる予定だったんだろ」
『はい』
「なら失うものない」
悠介が笑った。
「また始まった」
「使えるものは使う」
FCP-1は、月まで五十二トンを運ぶために作られた。四十一・八トンしか届けられなかった。推力は設計値の六割強。放熱器にも問題。姿勢制御装置も一部故障。帰ってくることさえできない。それでも新しい仕事ができるかもしれない。
その放熱器と核融合炉を使って、将来の地球外AI演算施設に必要な長期熱処理試験を行う案が、その日のうちに追加された。
「こいつ、資源取りに行く計画の船だったよな。それが気温問題の実験機にもなった」
悠介が言う。
『はい』
「月面基地の電源試験にも使う」
『利用可能な設備を有効活用しています』
「壊れるまで?」
『はい』
佐伯が満足そうに頷いた。
「いい船じゃないか」
悠介も画面を見る。月の上を回る、不格好な一隻。帰還できない。性能も低い。壊れかけている。だが、人類が地球の外で初めて自分たちの次の産業を作るために送り出した船だった。第一実証炉が一基目だったように。これは最初の一隻だった。
そして最初の一隻が届いたことで、ようやく次の一隻は、地球だけの資源で作らなくてもよくなる可能性が生まれた。




