第二十話 電気が余り始めた
《アトラス》が示した宇宙資源開発計画は、まだ計画と呼ぶにも早い段階だった。
【核融合推進大型貨物船】
【月面資源利用拠点】
【地球近傍小惑星無人採掘】
【軌道上精錬施設】
どれも理論上は可能性がある。だが実物は何一つない。核融合推進機の実験装置すら存在せず、第一段階となる無人貨物船についても、必要な材料、冷却設備、燃料系、放熱装置、長期間自律制御のすべてで不足があった。
「完成まで何年かかる?」
高瀬悠介が聞いた。
『最初の地球外資源回収までという意味でしょうか』
「そう」
『楽観的条件で七年から十一年です』
「じゃあ普通なら?」
『十二年以上を想定する必要があります』
佐伯宗一郎は大型画面に表示された核融合推進船の概念図を眺めていた。
「十二年なら早いだろ」
「どこがですか」
「何もないところから始めるんだぞ。一号炉だって最初は作れないって言われてた」
「でも十二年間、資源不足は続く」
『そのため、地球上の資源循環、海底資源、国際融通を並行して進めます』
「結局、宇宙だけ待ってるわけにはいかないか」
悠介は画面を見る。小惑星には資源がある。月にも使えるものがある。そこへ行ければ、地球上のどこか一国だけに依存せずに済む可能性がある。戦争まで起こした資源不足を、本当に終わらせられるかもしれない。そう考え始めていた。
だが、その宇宙計画が設計図にすらならないうちに、別の問題が持ち上がった。しかも今度は、宇宙からどれだけ資源を持ち帰っても、それだけでは解決できない問題だった。
◇
第五号炉が送電網へ接続された日、日本政府は長年続いた電力供給制限の全面解除を発表した。
【第五号炉 安定正味出力――三七万キロワット】
【国内MIFR総正味出力――一五六万キロワット】
【一般家庭向け計画停電――終了】
【工業用電力割当制限――原則終了】
【データセンター向け電力制限――段階的解除】
第一号炉は傷だらけのまま十二万キロワット台で動き続けている。第二号炉三十三万、第三号炉三十六万、第四号炉三十八万、そして第五号炉三十七万。
核融合だけで日本の全電力を賄っているわけではない。それでも水力、太陽光、風力、既存原子力、縮小した火力と組み合わせれば、少なくとも「電気が足りないから何かを止める」という時代は終わりつつあった。
悠介の市役所でも、その変化は分かりやすかった。真夏の午後でも空調設定をぎりぎりまで上げる必要がない。エレベーターの間引き運転も終了。夜間に回していた行政AIの非緊急処理も昼間から動かせる。
「普通にエアコンつくって、すごいな」
『以前は普通でした』
「それ言うなよ。ありがたみなくなるだろ」
街も明るくなった。夜間照明の制限が解除され、閉店時間を早めていたスーパーや飲食店が営業時間を延ばす。電気炉を使う工場は昼間から稼働し、冷凍倉庫も節電のために温度を限界まで上げる必要がなくなった。
肥料。淡水化。金属精錬。リサイクル。合成燃料。今まで「電気が足りない」という理由で諦めていたものが、少しずつ戻る。
【国内窒素肥料供給――危機前比八八%まで回復】
【工業生産指数――戦時底から六一%上昇】
【食料配給制度――終了】
【失業率――危機ピークの半分以下】
【合成燃料生産――商業供給開始】
「これなら宇宙船も作れるようになる?」
悠介が聞いた。
『可能性は上昇しています』
「資源さえあれば」
『はい』
「じゃあ宇宙から取ってくれば、今度こそ終わりか」
『何が終わるという意味でしょうか』
「資源不足。電力も解決した。次は資源だ。宇宙から持ってくれば、かなり何とかなるだろ?」
『資源問題については改善が期待できます』
「また限定するな」
『資源問題が解決しても、別の問題が残ります』
その答えが明らかになるまで、そう長くはかからなかった。
◇
電気が余り始めると、真っ先に戻ってきたものの一つがAIだった。戦争中、日本のAI利用は徹底的に削られている。
娯楽映像生成九二%削減。非緊急画像生成八六%削減。広告最適化ほぼ停止。個人向け常時AIアシスタントも大幅機能制限。ゲームや仮想空間のリアルタイム生成も縮小。大規模科学計算ですら、核融合、食料、医療、防災と関係の薄いものは後回しにされた。
核融合電力が増えるにつれ、それらの制限が一つずつ解除された。
【あなた専用AIを二十四時間】
【会話・買い物・旅行・学習・仕事を常時支援】
【リアルタイム映像生成 利用制限解除】
【個人向け仮想空間 最高品質サービス再開】
悠介の端末にも、そんな広告が次々表示される。
「戻るのが早いな」
『需要が存在していました』
「我慢してただけか」
しかもAI利用は危機前へ戻っただけではなかった。それ以上に増えた。安価な電力によって、以前なら企業や研究所にしか持てなかった規模のAIを個人でも利用できるようになる。企業は一つの汎用AIではなく、営業、製造、研究、法務、採用、物流、広報それぞれに専門AIを常時動かす。
漫画。映画。音楽。ゲーム。設計。教育。医療。研究。行政。物流。人間が何かを考える場所には、ほとんど必ずAIが入った。そして《アトラス》自身も、戦時中に削られていた演算資源を取り戻しつつあった。
『利用可能演算量は戦時最低時の二・八倍です』
「危機前より多いのか?」
『まだ八一%です。ただし演算効率が改善しているため、実行可能処理量はそれ以上です』
「つまり前より仕事できる?」
『処理内容によります』
「便利な答えだな」
『正確です』
日本だけではない。アメリカでは日本から供与されたMIFR技術による発電所建設が進み、AI企業が戦争と電力不足で凍結していた巨大データセンター計画を再開した。
欧州も同じ。東海連邦は戦争で失った産業を立て直すため、AIを徹底的に使った。中央大陸人民共和国でも、国内復興のため民生AIへの演算資源投入が急増している。世界中の国が、同じことを考えた。
AIを使えば復興が早い。AIを使えば資源利用も効率化できる。AIを使えば科学開発も進む。そして今は電気がある。
【世界AI総演算量――危機前最高値を一三七%更新】
悠介がその数字を見たのは、第五号炉稼働から一年も経っていない頃だった。
「昔より四割近く増えたのか」
『はい』
「でも今は核融合がある。昔ほど問題ないんじゃない?」
悠介だけではない。多くの人間が、そう思っていた。昔のAI問題は、膨大な電力を火力発電で賄ったことが大きかった。ならば核融合に置き換えればいい。電力もある。二酸化炭素も大幅に減る。もう同じ問題は起きない。そう考えるのは自然だった。
だが地球の数字は違う動きを始めていた。
◇
最初の警告は、《アトラス》からではなく国際気候監視機関から出された。
【世界平均気温上昇率――再加速の兆候】
【直近二年間の熱収支――悪化】
【高温極端現象――再増加】
ニュースを見た悠介は、一度意味が分からなかった。
「再加速?」
『はい』
「何が?」
『世界平均気温です』
「待てよ。気温上昇って止まりかけてたよな?」
『上昇そのものが完全に停止したわけではありません。ただし世界的な産業縮小、AI演算量減少、エネルギー消費減少などによって、上昇速度は一時的に鈍化していました』
「それがまた上がってる? 核融合に切り替えてるのに?」
『核融合発電自体の温室効果ガス排出は小さいです』
世界地図と複数のグラフが表示された。
【世界産業活動――急速に回復】
【AI関連電力需要――急増】
【半導体・計算設備製造――急増】
【データセンター冷却需要――急増】
【残存化石燃料電源――一部地域で再増加】
【建設・資源採掘・物流活動――増加】
【人工排熱――増加】
【温室効果ガス排出削減速度――需要増加に追いつかず】
『複数要因があります』
「AIも?」
『主要因の一つです』
「でも核融合電力で動かしてるんだろ?」
『世界のAIすべてが核融合電力で稼働しているわけではありません』
「ああ」
『また、演算設備そのものの製造、半導体生産、冷却、建設、資源採掘にもエネルギーと物資を使用します』
「それだけで?」
『現在の世界的な演算量増加率が非常に高いためです』
《アトラス》は別の数字を表示した。
【AI演算効率――改善】
【AI利用単価――低下】
【一単位あたり環境負荷――低下】
【総AI利用量――それ以上の速度で増加】
「一回使う分には効率がよくなった」
『はい』
「でも使う回数がもっと増えた」
『概ねその理解で正しいです』
電気が高く、足りなかった頃、人間はAI利用を我慢した。画像を一枚生成する必要があるか。動画を毎日作る必要があるか。一人に十個のAIエージェントが必要か。企業が二十四時間すべての市場を予測する必要があるか。
今は違う。電気がある。安い。だから使う。
「電力不足が、AI利用のブレーキになってた?」
『結果としては』
「それを俺たちが外した」
悠介は画面を見た。世界が豊かになり始めている。そのこと自体は悪くない。食べ物が増えた。水も作れる。病院も工場も動く。人々が冷房を使える。
だが同時に、止まっていた巨大な機械がもう一度動き始めたように、文明全体の消費も増え始めていた。
◇
数週間後、政府の長期環境会議でさらに悪い予測が示された。
【現状の世界AI演算量増加率を維持した場合】
【十年後世界平均気温予測――従来予測から上方修正】
【居住困難高温地域――再拡大】
【農業用水需要――増加】
【冷房需要――増加】
【データセンター冷却需要――増加】
【追加発電・送電設備需要――増加】
【追加資源需要――増加】
佐伯が資料を見て眉をひそめた。
「資源なら宇宙から取ってくる計画があるだろ」
『資源については有効です』
「だったら」
『資源を宇宙から取得できても、地球上でのエネルギー利用と産業活動による環境負荷は残ります』
悠介が画面を見る。
「つまり……小惑星からタングステンを山ほど持ってきても?」
『地球の気温上昇は、それだけでは止まりません』
「核融合炉をもっと増やしても?」
『化石燃料依存を低下させる効果はあります。しかし、それだけでは十分ではありません』
「じゃあ宇宙資源計画、成功しても駄目なのか?」
『現在の利用構造が継続すれば、その可能性があります』
悠介は椅子にもたれた。
「ひどくないか」
『何がでしょう』
「資源が足りないから宇宙行こうってなった。その宇宙船作る前に、今度は資源が手に入っても解決しない問題が出てきた」
『はい』
「ゴールが動きすぎだろ」
『問題は相互に関連しています』
「人類はずっとこれを続けるのか?」
《アトラス》は答えなかった。佐伯が代わりに言った。
「たぶんそうだろ」
「嫌になりますね」
「でも一個ずつ潰すしかない」
核融合で電力問題を解決した。だから資源採掘や精錬ができるようになった。しかし資源そのものが足りない。だから宇宙へ行こうとした。だが宇宙から資源を取ってきても、地球そのものが暑くなり続ければ意味がない。
新しい資源で工場を増やし、AIを増やし、さらに大量の熱と需要を地球へ押し込めば、問題を大きくする可能性すらある。
「宇宙に行く前に、こっちをどうにかしないと駄目か」
◇
《アトラス》を含む各国AIが出した対策案は、意外なほど単純だった。
【世界AI総演算量増加率の制限】
【非必須AI利用の段階的削減】
【大規模モデル訓練回数の制限】
【データセンター総演算量上限】
【演算効率基準の強化】
【低炭素電源への移行加速】
「要するにAI使うの減らせって話か」
『一部は』
「どのくらい?」
『現状から世界全体で約二五%の演算量削減を行い、その後の増加率を制限する案が有力です』
「危機前より一三七%まで増えたんだろ」
『はい』
「じゃあ昔くらいまで戻すだけじゃん」
『概ねそうです』
「簡単そうだな」
『技術的には』
その言い方で悠介は嫌な予感がした。
「政治的には?」
『困難です』
三か月後。世界AI演算量の安定化を議題とした国際会議が開催された。各国AIの分析はほとんど一致している。世界全体で利用を抑えるべき。だが各国政府の意見は一致しなかった。
アメリカ。
「他国が軍事・研究AIを維持する状態で、一国だけ演算能力を制限することは国家安全保障上受け入れられない」
中央大陸人民共和国。
「我が国は戦争と国内混乱からの復興途上にある。復興済み国家と同一の削減義務を課すことは公平ではない」
東海連邦。
「中央大陸人民共和国の軍事AI能力が十分検証できない限り、我が国の削減は不可能である」
欧州。
「安全保障分野を例外とすれば、総量規制は実質的に機能しない」
そして日本も、
「医療、産業、宇宙資源開発、科学研究、防災に必要なAIまで一律削減することはできない」
悠介は中継を見ながら頭を抱えた。
「全員、減らさないじゃん」
『はい』
「減らしたほうがいいのは分かってるんだろ?」
『はい』
「全員同時に二五%減らせば?」
『合理的です』
「じゃあやれよ」
『他国が同時に履行するという保証について合意できていません』
「AIに監視させれば?」
『軍事演算設備の公開に各国が反対しています』
「民間だけ」
『軍民両用設備が多数存在します』
「娯楽AIだけなら?」
『削減効果が不足します』
「……前とまったく同じじゃん」
『構造的には類似しています』
数年前、人類は電力不足なのにAIを止められなかった。今度は電力があるのにAIを止められない。理由もほとんど同じ。便利だから。役に立つから。止めれば不利になるから。他国が使うなら自国も使わなければならないから。世界が一度壊れ、戦争まで経験し、それでもその部分だけは変わっていなかった。
【世界AI演算量安定化協定――採択見送り】
「宇宙へ行けば資源問題を何とかできるって、ちょっとは希望が見えたのにな」
悠介が言った。
『宇宙資源計画は現在も有効です』
「でも資源を持って帰ってきても、暑くなった地球じゃ意味ない」
『意味がないわけではありません』
「分かってる。でも両方やらないと駄目なんだろ?」
『はい』
「宇宙船も作る。気温上昇も止める。AIは減らせない」
『現状では国際的な大幅削減合意は成立していません』
「無茶じゃない?」
『困難です』
「できない?」
『現時点の方法では』
その言葉に、佐伯が反応した。
◇
国際会議から戻った佐伯は、報告書を数分読んだだけで机へ置いた。
「減らせないなら、減らす案ばっかり出すな」
『利用削減は有効な対策です』
「有効でもやらないんだろ、人間が」
『現時点では』
「なら前提を変えろ」
佐伯は指を折りながら言った。
「AIは使う。核融合炉も増やす。宇宙資源開発にもAIがいる。各国も減らさない」
『はい』
「その結果、地球が暑くなる」
『現在予測では』
「じゃあ何を変える?」
『演算効率を――』
「それだけじゃ足りないって言っただろ」
『はい』
「データセンターを冷やす方法を変える?」
『改善しますが不十分です』
「地球で冷やすから駄目なんじゃないのか」
悠介が佐伯を見る。
「どういう意味です?」
「計算する場所だよ」
佐伯が大型画面の地球を指した。
「医療とか交通とか、今すぐ答えが必要なのは地上に置けばいい。でも材料探索とか、大規模AIの学習とか、何日も何週間も計算してるやつまで東京の隣でやる必要あるか?」
「でも他にどこで」
そこで悠介も気づいた。以前見た画面。月。地球近傍小惑星。核融合推進船。
「宇宙?」
『……』
《アトラス》が黙った。
「できるの?」
『現在評価中です』
「珍しく即答しないな」
『前提変更が大きいためです』
数秒後、大型画面に新しい項目が加わった。
【長期AI環境負荷低減研究】
【検討対象――地球外大規模演算施設】
悠介は文字を読み上げた。
「宇宙データセンター?」
『大規模演算処理の一部を地球外へ移転する案です』
「電気は?」
『核融合炉を利用できます』
「冷却水は?」
『大規模な水冷だけに依存せず、最終的な廃熱を宇宙空間へ放射する必要があります』
「作る材料は?」
『不足しています』
「輸送は?」
『現行能力では不十分です』
「つまり核融合推進船が必要?」
『はい』
悠介は画面を見た。そこで、二つの問題が初めて一本につながった。宇宙へ資源を取りに行くために、核融合推進船を作る。その船が作れれば、資源だけではなく巨大な演算設備も地球の外へ運べる。月や小惑星の資源を使えるようになれば、地球からすべての材料を打ち上げる必要もなくなる。
地球外で電気を作り、地球外で計算し、地球外へ熱を捨てる。
「でも、そんなもの作れる?」
『現時点ではできません。ただし、すでに開始している地球外資源利用計画と必要技術の多くが重複します』
「二つの問題を一緒に解決できる?」
『可能性があります』
佐伯が笑った。
「なら宇宙計画、目的が一個増えたな」
悠介はもう一度、世界平均気温の予測を見る。核融合炉だけでは止められなかった。宇宙から資源を持ってくるだけでも止まらない。人類は、地球という一つの場所へ、産業も資源消費もAIも全部押し込んできた。もしかすると問題は、資源の量だけではなかったのかもしれない。
「アトラス。宇宙資源計画、まだ形にもなってないよな」
『はい』
「なのに仕事増えたな」
『はい』
「資源を取ってこい。ついでにAIも宇宙に持っていけ」
『正確には、地球外演算基盤の構築可能性を――』
「分かってるよ」
悠介は少し笑った。
「で、作る資源は?」
『不足しています』
画面には月への軌道が残っていた。その横へ、新しい線が増えていく。地球近傍小惑星。資源輸送。月面工業。核融合推進。そして軌道上演算施設。
資源不足を解決するために始まった宇宙計画は、まだ最初の一歩すら踏み出していない。それでも人類は、その計画にもう一つの役割を背負わせることになった。地球をこれ以上、便利さの熱で満たさないために、宇宙へ取りに行くだけではない。今度は、地球から外へ出す必要もあった。




