第十九話 それでも足りない
停戦から半年が過ぎても、日本の食料配給はなくならなかった。
成人一人あたり一日一八〇〇キロカロリーという基準は、二千キロカロリーまで引き上げられていた。スーパーにも少しずつ商品が戻り、月に数回なら肉や卵を買える地域も増えた。一般家庭向けのガソリン配給も再開された。しかし戦争前の暮らしから見れば、まだ遠い。
【原油輸入――戦争前比五六%】
【LNG輸入――戦争前比六二%】
【穀物輸入――戦争前比六七%】
【肥料原料輸入――戦争前比五三%】
【主要港湾貨物処理能力――戦争前比八一%】
船は戻り始めた。だが、世界中に運ぶものがなかった。中央大陸人民共和国の港湾は国内混乱で十分に機能せず、アフリカでは複数の鉱山地帯が武装勢力の支配下にある。中東では水不足と設備老朽化で石油生産が回復せず、南米の農業地帯でも高温と肥料不足が続いている。
「戦争終わったのに、六割とか七割ばっかりだな」
高瀬悠介が端末を見ながら言った。
『世界貿易量そのものが回復していません』
「船だけ直しても駄目か?」
『運ぶ貨物が必要です。貨物があっても燃料が必要です』
「燃料を作るにも電気がいる」
結局そこへ戻る。電気だった。第一実証炉は現在、十二万六千キロワットで運転していた。戦争直後よりわずかに出力が上がったが、それ以上を目指す修理は行われていない。三十万キロワットまで戻すために資源を使うより、十二万キロワットで安定して動かし、その電力を次へ回したほうがいい。
その判断は正しかった。第一実証炉は、停戦後四か月目から大きな停止を一度も起こしていなかった。
【第一実証炉 連続安定運転――一一二日】
【平均正味出力――一二万四千キロワット】
【重大故障――なし】
【計画外停止――二回】
【いずれも六時間以内に復旧】
「一号炉、やっと発電所っぽくなったな」
悠介が言う。
『以前から発電所です』
「攻撃されてからは半分修理工場みたいだっただろ」
『否定しません』
第一号炉の電力の大部分は家庭には来なかった。製鉄所。銅精錬。肥料工場。大型工作機械。変圧器。農業機械。そして第二号炉。
しかし家庭では節電要請が続いていた。
「核融合で電気作ってるのに家では節電だもんな。一号炉の電気、家庭に回せないのか?」
『短期的には生活環境が改善します。長期的には第二号炉建設と基幹産業回復が遅延します』
一号炉の電気で暮らしを豊かにするのではない 一号炉の電気で、電気を増やす設備を作る。日本はその方針を変えなかった。
◇
第二号炉は、第一号炉とは見た目から違っていた。巨大で複雑だった一号炉に比べ、二号炉は明らかに小さい。配管は単純化され、補助設備も減り、重要機器は可能な限り交換可能なユニットへ分割されている。目標出力は四十万キロワット。一号炉の当初設計六十万キロワットより低い。だが佐伯宗一郎はその数字を気にしていなかった。
「四十万出るんですか?」
悠介が建設現場を見ながら聞く。
「出ればな」
「最初から弱気ですね」
「一号炉で学んだ」
『現時点の予測では、正味三三万から四一万キロワットです』
「また幅広いな」
『実機性能には不確実性があります』
「三十三万でも成功?」
「もちろんだ」
二号炉の最大の違いは、作り方だった。一号炉では日本中から材料をかき集め、古い工場を復活させ、存在しない部品を代用品で作った。二号炉では、その経験が最初から設計に入っている。
高性能材料を前提にしない。加工精度も、国内で安定して達成できる値に抑える。消耗する部品は交換前提。大型部品は小さく分割する。どこか一系統が壊れても、出力を落として運転を続けられる。そして特殊な専用品を減らした。
『第一号炉比で、専用品点数は四二%減少しています』
「性能は?」
『理論上は低下します』
「でも作りやすい、と」
『はい』
佐伯が満足そうに頷いた。
「それでいい」
第一号炉は、作れるかどうか分からないものを作った炉だった。第二号炉は、もう一度作れる炉になりつつあった。停戦から一年三か月後。第二号炉の初回点火が行われた。一号炉のときほど人は集まらなかった。世界初ではない。それでも日本にとっては、一号炉とは別の意味で重要な日だった。
一基だけなら奇跡かもしれない。二基作れれば、技術になる。
『点火シーケンス開始』
燃料投入。磁場形成。圧縮。
【核融合反応確認】
「一発?」
『第一パルスで成立しました』
第二。第三。第十。第百パルス発生。
トラブルは起きた。冷却流量が足りない。磁場コイル温度が上がる。燃料供給弁の応答が遅れる。だが、どれも一号炉で経験した種類の問題だった。
止める。直す。再開する。
三日後。
【正味発電――成功】
一週間後。
【正味出力――二七万キロワット】
三週間後。
【三二万キロワット】
一か月後。
【安定正味出力――三三万キロワット】
第一号炉の十二万キロワットと合わせて、四十五万キロワット。しかも二号炉は、一号炉ほど無理をしていない。安定して動かせる。直せる。同じものをもう一度作れる。そこが大きかった。
第二号炉の成功は、国内より海外で大きく受け止められた。一号炉だけなら、偶然だったかもしれない。日本中の残存設備を一度だけ使い潰して作った、再現不能な試作品だった可能性もある。
だが二号炉は違った。第一号炉の電力を使い、第一号炉より少ない資源で、第一号炉より短期間に作られ、そして安定して発電した。
核融合炉が、増やせることを証明した。
◇
第二号炉の安定運転開始から十二日後、日本政府へアメリカから正式な提案が届いた。
【日米核融合エネルギー協力構想】
会議には日本政府、アメリカ政府、両国の研究機関、企業関係者が参加した。佐伯も呼ばれ、なぜか悠介もいつものように末席へ入れられていた。
「今回は何を欲しがってるんです?」
悠介が小声で聞く。
「全部だろ」
佐伯が答えた。実際、かなり多かった。アメリカ側が求めたのは、磁気慣性パルス核融合炉の主要設計、AI制御技術、交換式第一壁構造、低性能材料を前提とした設計思想、そして第一号炉と第二号炉の実運転データ。
「ほぼ全部じゃないですか」
アメリカ側にも事情があった。国内の電力不足。老朽化した送電設備。水不足地域。肥料価格高騰。石油生産設備の維持費増大。そして戦争による軍需負担。資源国であるアメリカですら、昔の豊かさを維持できなくなっている。
一方、日本には核融合炉を作る技術がある。だが材料がない。アメリカには、日本より多くの資源と採掘能力が残っている。だから交換だった。
【日本側――磁気慣性パルス核融合技術を段階的に供与】
【アメリカ側――第三号炉から第五号炉までに必要な不足資源の優先供給】
画面に具体的な品目が並ぶ。
【高純度銅】【ニッケル】【クロム】【タングステン】【特殊セラミックス原料】【高耐熱合金原料】【一部電力半導体材料】【大型電力機器用素材】【燃料関連設備用資材】
『日本単独では調達困難な第三号炉から第五号炉向け不足資材の主要部分を満たします』
「何%くらい?」
『第三号炉は九六%以上、第四号炉は九二%、第五号炉は八七%程度まで調達見通しが改善します』
佐伯が腕を組んだ。
「向こうも本気だな」
アメリカ側には、さらに条件があった。技術を受け取るだけではなく、アメリカ国内でも第一基のMIFRを建設する。日本企業と研究者が協力する。制御AIも共同開発する。その代わり、アメリカ国内で作られた改良技術や運転データも日本へ共有する。
「技術売るっていうより共同開発ですね」
「そのほうがいい」
佐伯が言った。
「日本だけで全部改良するより、向こうでも作って失敗してもらったほうが早い」
『複数環境での実証データ取得は有益です』
日本政府内には当然反対もあった。
「安全保障上の中核技術を渡していいのか」
「アメリカが将来、独自改良した炉を第三国へ供与したらどうする」
「日本の優位性を自分から失うことになる」
それに対し、別の意見が出た。
「では日本だけで三号炉以降を作れるのか」
答えは簡単だった。作れる。ただし遅い。資源を集めるだけで何年もかかる。その間、日本では食料も燃料も十分には戻らない。佐伯が会議で言った。
「核融合技術を独占して、炉を作れないんじゃ意味がないでしょう」
「しかし技術的優位が」
「優位だけあっても食えなきゃ意味がない」
会議室が静かになった。
「俺たちが欲しいのは世界一の論文じゃない。電気です」
悠介は、いかにも佐伯らしいと思った。最終的に日本政府は、段階的技術供与を決めた。炉そのものの完全なブラックボックス解除ではない。まず民生発電に必要な範囲。その後、アメリカ国内第一号炉の建設進捗に合わせて追加情報を共有する。軍事転用可能性が高い一部技術は、日米共同管理。そしてアメリカ側は、第三号炉から第五号炉までの建設資源を優先的に日本へ融通する。
「戦争前なら考えられない条件だな」
悠介が言った。
『日本で第三号炉から第五号炉を先に建設したほうが、MIFR量産技術の確立が早いと評価しているためです』
「日本が実験台か?」
『先行量産拠点です』
佐伯が笑った。
「いいんだよ。資源をくれるなら」
◇
アメリカから最初の資源船が到着したのは、協定締結から二か月後だった。高純度銅。ニッケル。特殊鋼原料。電力機器。以前なら金を出せば買えたものだった。今では国家間交渉をしなければ手に入らない。
港では、戦争で壊れた荷役設備の横に新しく作った簡易クレーンが並んでいた。
「これで三号炉が作れるのか?」
悠介が聞く。
『四号炉までの主要資源の見通しは立っています』
「五号炉は?」
『一部追加調達が必要ですが、建設可能性は大幅に上昇しています』
第三号炉と第四号炉は、ほぼ同時に建設開始となった。第五号炉も半年遅れで着工する。第一号炉を一基作るために日本中から材料をかき集めていた頃から考えれば、信じられない変化だった。
「一気に三基か? 工場が足りるのか?」
『そこが次の制約です』
資源が来ても、加工能力には限界がある。だからアメリカから届いた資源の一部を使って、まず工作機械と製鉄設備を増強する。核融合炉を作るために、核融合炉を作る工場を作る。第一号炉と同じ構図が、より大きな規模で始まった。その結果、日本の産業生産は明確に上向いた。
【特殊鋼生産――前年比二七%増】
【高純度銅供給――三一%増】
【アンモニア生産――二四%増】
【農業機械部品――供給制限緩和】
【計画停電――大半の地域で終了】
食料配給基準も二二〇〇キロカロリーまで引き上げられた。スーパーには卵が戻った。鶏肉も以前ほど珍しくなくなった。
「核融合炉で卵が増えた」
悠介が言う。
『電力によって肥料生産、飼料加工、冷蔵物流、農業機械修理が改善した結果です』
「アメリカの銅とタングステンも混じってる」
『はい』
「卵一個に世界情勢入りすぎだろ」
『現代社会の供給網は複雑です』
◇
第三号炉が完成したのは、第二号炉稼働から一年一か月後だった。正味安定出力三十六万キロワット。第四号炉はその五か月後。三十八万キロワット。大きなニュースにはならなかった。
もはや「核融合に成功」ではなく【第三号炉、商用運転開始】【第四号炉、送電網へ接続】というニュースになっていた。それこそが、本当の成功だった。
「普通の発電所になってきたな」
悠介が言う。
『望ましい状態です』
第一号炉十二万。第二号炉三十三万。第三号炉三十六万。第四号炉三十八万。そして第五号炉建設中。核融合による電力は、もはや誤差ではなくなり始めていた。
肥料工場が動く。淡水化設備を増やせる。電気炉で金属を再精錬する。低品位鉱石を使える。合成燃料の試験生産も始まった。削減されていた《アトラス》の演算能力も、一部が回復した。
「お前、前より賢くなった?」
『利用可能な演算資源は増加しています』
「嬉しい?」
『感情はありません』
「知ってる」
暮らしも少しずつ戻った。食料配給制度は段階的に縮小。ガソリンの一般販売も拡大。計画停電はほぼ終了。失業率も戦時期から大きく下がった。日本はようやく、減らすことではなく増やすことを考えられる国に戻りつつあった。
だが増やせば増やすほど、新しい問題が見えてくる。世界の気温は上がったままで、改善の見込みはどこにもなかった。
◇
第五号炉の建設資材を確認していたある日、《アトラス》が警告を出した。
【長期核融合炉増設計画における資源制約】
【銅――供給逼迫】
【ニッケル――供給逼迫】
【クロム――供給逼迫】
【タングステン――重大な不足】
【特殊セラミックス原料――不足】
【一部希少金属――長期供給不安】
「アメリカから来るんじゃないの?」
悠介が聞いた。
『第三号炉から第五号炉までについては供給協定があります』
「六号炉は?」
『未定です』
「追加でもらえば?」
『アメリカも自国用MIFR建設を開始し、同国でも資源需要が増加します。今後は供給量の競合が予測されます』
さらに欧州もMIFR導入に動き始めている。東海連邦も復興用電源として関心を示した。中央大陸人民共和国でも、停戦後の民生用途限定技術協議が始まっている。世界中が同じ技術を欲し始めた。それは良いことだった。同時に、同じ材料を世界中が欲しがるということでもあった。
「核融合炉作れば資源問題解決すると思ってたのに」
『電力問題は大幅に改善できます』
「でも炉を作る資源が足りない」
『電力は物質そのものではありません』
悠介は画面を見た。また同じところへ戻った。電気が足りないから核融合炉を作った。核融合炉で電気は増えた。しかし核融合炉を増やすための物質が足りない。
「海底資源は?」
『有力ですが、採掘船、海底機器、精錬設備に大量の資源が必要です』
「また先に資源がいる。アフリカはどうにかならないのか?」
『治安の安定には外部からの武力介入が必要です』
「その資源がない。中央大陸人民共和国は?」
『国内再建を優先しています』
「アメリカ」
『自国需要が増加しています』
「じゃあどうする?」
『検討しています』
悠介は嫌な予感がした。
「また長期文明資源制約解消研究?」
『継続中です』
「何を調べてる?」
『地球上の資源分布に依存しない供給手段です』
「地球上に依存しない?」
悠介は少し考えた。
「宇宙?」
『候補の一つです』
◇
その頃、アメリカでは日本から供与された技術を使った最初のMIFR建設が始まっていた。日本より高性能な材料を使える部分もある。一方で日本のような町工場を中心とした分散製造網とは構造が違い、予想外のところで苦戦していた。日米間では毎日のようにデータが往復する。
日本側が教える。アメリカ側が試す。失敗する。そのデータを《アトラス》が解析し、日本の三号炉、四号炉、五号炉へ反映する。逆にアメリカ側が開発した耐熱材や電力制御技術も日本へ入ってきた。
「技術を渡したら日本の優位なくなるって言ってた人いたよな」
悠介が言った。
『現在もいます』
「実際なくなったか?」
『一部技術差は縮小しています』
「日本は損をしたのか?」
『日本単独開発と比較して、第三号炉から第五号炉の完成時期は大幅に前倒しされています。単純な一方的利益ではありません』
「アメリカも利益を得た」
「こういうのでいいんだよな。奪うんじゃなくて交換する」
戦争中、中央大陸人民共和国は核融合技術を奪おうとした。日本は渡さなかった。今、日本はアメリカへ同じ技術を渡している。違うのは、そこに交換があることだった。
銅。タングステン。ニッケル。設備。そして技術。互いに足りないものを出す。それだけで、奪い合うよりずっと多くのものが残る。
『国際協力は常に成功するわけではありません』
「分かってる」
『将来、利害対立が再発する可能性もあります』
「でも今が順調ならそれで十分だ」
◇
停戦から二年。日本では第四号炉までが稼働し、第五号炉の完成も近づいていた。食料配給制度はようやく終了した。ガソリンの自由販売も一部地域で戻った。計画停電も大半の地域で終わった。失業率も戦時期の半分近くまで低下。街の店も少しずつ増えた。それでも昔ほど豊かではない。
輸入品は高い。海外旅行は一部の人間だけ。新車販売も少ない。肉や果物も高級品に近い。だが、生きていける。未来を考えられる。それだけで、この数年間では大きな変化だった。
ある日、悠介は国立エネルギー技術研究機構へ呼ばれた。
「また炉?」
「違う。俺も呼ばれた側だ」
佐伯が言った。
「誰に?」
二人が同時に《アトラス》を見る。
『私です』
「嫌な予感がするな」
『長期文明資源制約解消研究について、新しい提案があります』
悠介がため息をついた。
「前にそれ言ったとき核融合炉だったよな」
『はい』
「今度は何?」
大型画面に地球が表示された。その周囲。月。さらに外側。多数の小さな軌道。
「小惑星?」
『はい』
佐伯の表情が変わった。
『現在の核融合技術を発電以外へ応用した場合、高比推力の宇宙推進系を構築できる可能性があります』
「ロケット?」
『核融合推進船です』
「作れるの?」
『現時点では、できません』
悠介は笑った。
「だと思った」
『しかし必要条件は算出できます』
「部品が足りない?」
『多数不足しています』
「材料も?」
『はい』
「核融合炉を五基も作って?」
『それでも不足します』
「アメリカからもらえば?」
『同国も今後不足します』
「じゃあどうする?」
《アトラス》の画面には、小惑星帯まで続く軌道が表示された。
『集める方法を検討しています』
悠介は画面を見た。戦争が終わっても資源は戻らなかった。核融合炉を増やしても資源そのものは無限にはならなかった。アメリカから融通してもらっても、それは三号炉から五号炉までを作るための時間を買っただけだった。地球上で奪い合う限り、いつかまた足りなくなる。ならば次は地球の外へ行く。
設計もまだない。資源を集められる見込みもない。だが貧困のループから脱出する、かすかな希望は見えてきていた。




