第十七話 両方守れ
午前七時二分、中央大陸人民共和国軍による日本への攻撃が始まった。最初に鳴ったのは市役所の警報だった。高瀬悠介は危機管理室の大型画面を見ていたが、何が起きたのかを理解するより先に、《アトラス》が淡々と告げた。
『中央大陸人民共和国軍による長距離攻撃を確認しました。複数の目標へ向かっています』
「核融合炉は?」
『攻撃対象に含まれる可能性が高いです』
画面の日本地図に複数の赤い表示が現れた。第一実証炉だけではない。自衛隊基地、港湾、飛行場、通信施設、在日米軍関連施設。中央大陸人民共和国政府は直後に声明を出し、日本が東海連邦への軍事支援拠点となり、核融合技術を「敵対的軍事同盟」に独占しているとして、限定的な軍事行動を開始したと発表した。
「限定的ってなんだよ」
『攻撃側の表現です』
「攻撃されたほうには関係ないな」
市内ではすでに防災無線が鳴り続け、住民へ地下施設や頑丈な建物への避難が呼びかけられている。鉄道は一部区間で停止、高速道路も緊急車両優先へ切り替わった。テレビも通信端末も同じ情報を流している。
【中央大陸人民共和国軍、日本国内複数施設への攻撃開始】
【日本政府「明白な武力攻撃」と認定】
【自衛隊、迎撃および防衛行動開始】
【アメリカ政府、日本防衛のため軍事行動を開始すると発表】
ついにアメリカも直接動いた。
『日本への武力攻撃を受け、日米安全保障上の対応として中央大陸人民共和国軍への軍事行動を開始しています』
悠介は画面から視線を離せなかった。世界中のAIがこの未来を予測していたはずだ。戦争を始めれば損をする。長期化すればもっと損をする。日本まで攻撃すればアメリカも介入する。中央大陸人民共和国自身にも、それを計算できるAIがいた。それでも攻撃は始まった。
未来を知っていることと、その未来を避けることは違う。
『第一波の一部を迎撃しました』
《アトラス》が告げる。
数秒後、画面が揺れた。映像ではない。通信経路の一部が切り替わったためだった。
【第一実証炉周辺 通信障害】
「当たった?」
『確認中です』
悠介の喉が乾いた。第三案では、第一実証炉だけを完全に守ろうとはしない。防空戦力を住民地域や周辺インフラにも分散し、炉そのものは多少の損傷を受けても早期復旧できる状態を目指す。その代わり、交換可能な制御装置や重要部品はすでに地下へ退避させてある。消防、工事、電力復旧の人員も一か所に集めず、周囲へ分散配置していた。
理屈は分かっている。それでも、本当に攻撃を受ける瞬間まで、この計画が正しかったかどうかは分からない。
◇
午前七時十九分、第一実証炉周辺への第一波攻撃が終了した。現地から映像が届いた。悠介は息を呑んだ。
発電所建屋の一部が見えない。大量の煙が上がり、外周設備の一部が炎を上げている。送電設備も損傷し、複数の鉄塔が倒れていた。
「炉は?」
『主要炉体の状態を確認しています』
「早く」
『通信回線が不安定です』
「アトラスなら分かるだろ!」
『不確実な情報を確定情報として提示できません』
「……分かった」
三十秒ほどが異様に長かった。
『主真空容器――健全性確認』
悠介が息を吐く。
『磁場コイル系統――複数箇所で異常』
『冷却設備――第二系統損傷』
『主変圧設備――重大損傷』
『送電機能――停止』
「炉そのものは生きてる?」
『現時点では、再稼働可能性があります』
「何%?」
『損傷評価中です』
すぐに別の表示が入った。
【周辺住民避難率――九六%】
【主要避難施設――被害軽微】
【自衛隊防護部隊――損害発生】
【消防・復旧人員――活動可能】
案Aなら炉はもっと無傷に近かったかもしれない。しかし、そのために後回しになるはずだった住民避難は、ほぼ完了している。
「死者は?」
『確認中です』
戦争なのだから誰も死なないわけがない。それでも、数字になる前のほうがまだ現実味がなかった。第一波から十二分後、佐伯宗一郎と通信が繋がった。
『高瀬?』
「無事ですか!」
『うるさい。無事だ』
「炉は?」
『見た目はひでえぞ』
「動かせます?」
『それを今調べてる』
映像の向こうで佐伯は防護服とヘルメットを着けていた。退避していた地下施設から、攻撃終了後に技術班とともに戻ったらしい。
「戻るの早すぎません?」
『第三案だろ。壊れたらすぐ直すんだよ』
「まだ次の攻撃来るかもしれない!」
『分かってる。だから時間がない』
佐伯の後ろでは技術者たちが次々に設備を確認していた。常設制御室の一部が損傷したため、退避させていた移動制御装置が接続され始めている。
『アトラス、磁場系統どうだ』
『四番系統に絶縁異常。七番系統は通信断。二番、三番、五番、六番は使用可能です』
『四番切り離せるか?』
『可能です。最大出力は低下します』
『今さら最大出力なんか気にするな』
『了解しました』
悠介は思わず笑いそうになった。こんな状況でも、やっていることは同じだった。壊れた。なら切り離す。全部使えないなら、残ったもので動かす。
「冷却は?」
『第二冷却系統が使用不能です』
「一系統だけで?」
『低出力運転なら可能性があります』
佐伯が即答する。
『それでいい』
『ただし現時点で送電できません』
『変圧設備だな』
『はい』
「代わりは?」
悠介が聞いた。
『第一号炉建設時に使用した仮設変電設備の一部が、解体されず保管されています』
佐伯が笑った。
『捨てなくてよかったな』
「使えるか?」
『容量は現行設備の三八%です』
『十分だ。三割しか出せなくてもゼロよりかはいい』
◇
中央大陸人民共和国軍の第二波が来たのは、午前八時十一分だった。今度は第一実証炉だけではなく、周辺の自衛隊施設と港湾設備にも攻撃が集中した。アメリカ軍と自衛隊の迎撃によって多くが阻止されたが、すべてではない。第三案で防空能力を炉だけに集中しなかった結果、住民地域へ向かった攻撃の多くも防がれた。
第一実証炉への攻撃は継続し、さらに損傷した。
【補助建屋一棟――大破】
【燃料処理設備――一部損傷】
【外部冷却配管――追加損傷】
【第一実証炉主要炉体――重大損傷なし】
そして自衛隊にも犠牲が出た。悠介の画面に被害速報が表示された。数字は最初の予測より少ない。しかしゼロではない。
「案Aなら?」
悠介が聞いた。
『第一実証炉への被害は小さかった可能性があります』
「人の被害は?」
『現時点の実測と比較して増加した可能性が高いです』
「案Bなら?」
『人的損失はさらに小さかった可能性があります。ただし第一実証炉主要設備への攻撃到達数が増えたと推定されます』
「第三案は?」
『まだ評価できません。戦闘は継続中です』
正解だったとは言わない。それが今の《アトラス》だった。
午前九時を過ぎるころ、中央大陸人民共和国軍の攻撃頻度が低下し始めた。東海連邦側でも大規模な反撃が始まり、さらにアメリカ軍が中央大陸人民共和国軍の攻撃能力を削るため直接行動に入ったことで、日本方面へ投入できる戦力そのものが減っているらしい。
だが戦争が終わったわけではない。第一実証炉では復旧作業が続いている。
「アトラス。今、再稼働できる確率は?」
『短時間での再稼働成功率――六六%』
「下がったな」
『第二波で追加損傷が発生しました』
佐伯から通信。
『高瀬、暇か』
「こっちは避難対応中ですよ!」
『じゃあ聞くだけ聞け』
「何です?」
『炉、今日中に動かすぞ』
「今日?」
『仮設変電設備つなぐ。冷却は一系統。磁場コイル二つ切り離す。燃料供給も制限する』
「どれくらい出るんです?」
『アトラス』
『現在の推定では、正味出力八万から十二万キロワット』
三十万出ていた炉がたった八万ワット。
「それでも動かす?」
佐伯は即答した。
『送電網はまだ生きてる』
「戦争中ですよ」
『だからだよ。電気がいる』
自衛隊基地。病院。通信。鉄道。水道。工場。攻撃を受けた今こそ、電気が必要になる。
『壊されても動くって見せたい』
「誰に?」
『俺たちにだよ』
通信が切れた。悠介はしばらく何も言わなかった。
「アトラス。佐伯さん、無茶言ってる?」
『技術的リスクはあります』
「止めたほうがいいんじゃないか?」
『現在の電力需給と設備状態を考慮すると、低出力再稼働には合理性があります』
「妥当?」
『現時点では』
「便利な言葉だな」
『はい』
◇
午後一時四十八分、第三波の兆候が検出された。しかし今度は規模が小さかった。中央大陸人民共和国軍は東海連邦方面と米軍への対応にも戦力を割かざるを得ず、日本への攻撃を継続する余力が急速に減っていた。それでも第一実証炉へ向かう攻撃が確認された。
自衛隊が迎撃。一部が防空網を抜けた。その一発が、発電所敷地外縁の資材保管区域へ着弾した。爆発。第一実証炉そのものへの直接損傷はなかった。だが復旧班に被害が出た。
悠介は報告を見た。技術者二名。消防隊員一名。自衛隊員複数。死傷者の中には、悠介が一度会ったことのある人間の名前もあった。東亜精密加工から現地支援に入っていた元自動車部品工場の技術者だった。
死亡ではない。重傷。それでも画面に知っている名前が出ると、数字ではなくなった。
「アトラス。第三案、間違ってたのか?」
《アトラス》は淡々と答えた。
『現時点までに、周辺住民の大部分が避難済みです。第一実証炉主要炉体は残存しています。再稼働作業は継続可能です。自衛隊防護部隊も作戦継続能力を維持しています』
「人がたくさん死んだ。知り合いも居たんだぞ……」
『理解しています』
「本当に?」
『完全には理解していない可能性があります』
悠介は黙った。昔なら、その答えに腹を立てただろう。今は違う。AIにだって分からないことがある。人間にも分からない。その中で選ぶしかない。悠介は深く息を吐いた。
「守れたものを数えてくれ」
画面に情報が整理される。
【周辺住民避難完了率――九九・一%】
【主要病院――機能維持
【第一実証炉主要炉体――残存】
【制御中枢――退避済み】
【主要設計データ――損失なし】
【再稼働用部品――七八%確保】
【仮設送電設備――設置中】
【人的損失――発生】
最後だけ、数字を見たくなかった。でも消すこともできなかった。守れなかったものも、同じ結果の一部だった。
◇
午後四時二十二分。中央大陸人民共和国軍による日本への大規模攻撃は、ひとまず停止した。中央大陸人民共和国政府は「日本の敵対的軍事能力に対する必要な措置を完了した」と発表したが、実際にはアメリカ軍と自衛隊の反撃によって攻撃戦力に相当な損害が出たとみられている。東海連邦方面でも中央大陸人民共和国軍の攻勢は鈍り、複数の戦線で後退が確認された。
だが、日本側も無傷ではない。港湾。飛行場。発電設備。通信施設。自衛隊基地。そして人間。損失は確実に存在した。第一実証炉周辺では、日が沈み始めても復旧作業が続いていた。
午後五時十三分。
【仮設変電設備――接続完了】
【第一冷却系統――低出力運転可能】
【磁場コイル――四系統使用可能】
【燃料供給系統――使用可能】
【制御AI――接続】
佐伯が制御用の仮設端末の前に立つ。
『アトラス、点火できるか』
『初回再起動成功率――七一%』
『高いじゃないか』
『通常基準では低いです』
『今日の俺たちには高い』
悠介は市役所から中継映像を見ていた。
「本当にやるの?」
『実施が決定されました』
「また壊れたら?」
『停止して修復をします』
単純な答えだった。第一実証炉は、いまや最初に完成したときとは別の機械になっている。磁場コイルの一部を失った。冷却系統も半分。主変圧器もない。外壁には攻撃の跡。補助建屋も壊れている。それでも、炉心は残った。
【再点火シーケンス開始】
燃料が入る。磁場形成。プラズマ生成。圧縮。
【核融合反応確認】
佐伯が小さく拳を握った。
『第二パルス』 反応。
『第三』 反応。
出力が少しずつ上がる。
【正味出力――一万二千キロワット】
【二万八千】
【四万一千】
冷却温度上昇。《アトラス》がパルス間隔を広げる。
【六万】
【七万五千】
そこで一度止まった。
「限界か?」
『現在の損傷状態では、安全余裕が減少しています』
佐伯が聞く。
『八万までならいけるか?』
『可能ですが、継続運転時間が短くなる可能性があります』
『七万五千でいい』
『継続性を優先します』
【正味出力――七万五千キロワット】
一時間。止まらない。二時間。まだ動いている。夜になった。第一実証炉周辺は攻撃で停電していたが、仮設送電設備を通じて、その電力が少しずつ周辺の復旧設備へ流れ始めた。
病院。通信基地。水道ポンプ。避難所。そして自分自身を直すための工事設備。壊された核融合炉が、自分を修理するための電気を作っていた。
「すごいな」
悠介が呟いた。
『何がでしょう』
「壊されても、まだ役に立ってる」
『はい』
「三十万の四分の一だけど」
『七万五千キロワットも出ています』
悠介は思わず笑った。
「それ、自分で言う?」
『過去の評価基準を適用しました』
「そうか」
画面の向こうで、佐伯も聞いていたらしい。
『いいじゃないか。七万五千も出てる』
技術者たちから小さな拍手が起きた。初回点火のときのような大歓声ではない。疲れ切った人間たちが、座ったまま手を叩いている。それで十分だった。
◇
翌朝、被害の全体像が少しずつ明らかになった。第三案による第一実証炉の機能維持・早期復旧成功率は、事前予測七四・三%。実際には、炉体は損傷したものの、攻撃開始から十二時間以内に低出力発電を再開した。周辺住民の大部分は避難済みだった。自衛隊にも民間にも犠牲者が出た。第一実証炉も、以前と同じ性能へ戻るまでには数か月かかる。
無傷ではない。完全な勝利でもない。悠介は朝の危機管理室で、《アトラス》に聞いた。
「結局、第三案は成功だった?」
『評価基準によります。炉は残存し、再稼働しました。人的損失は案Aの事前予測より大幅に少なくなりました。ただし犠牲者は発生しています』
「じゃあ成功か?」
《アトラス》は少し間を置いた。
『完全な成功ではありません。しかし、守れたものは多くあります』
悠介はその言葉を聞いて、画面を見る。第一実証炉は七万五千キロワットで発電中。病院は動いている。避難所にも電気が来ている。住民の多くは無事。それでも亡くなった人間がいる。負傷者もいる。壊れた街もある。何も失わずに全部を守る方法は、最後まで見つからなかった。それでも、人間は最初から一つを諦めることを拒んだ。
炉か、人か。未来か、現在か。その二択を選ばず、両方を守ろうとした。結果は七割でも六割でもない。数字だけでは測れなかった。
「アトラス」
『はい』
「なんで第三案を選んだか、分かった?」
『以前、高瀬さんたちは「両方守りたい」と回答しました』
「そうだな」
『それは効率的な回答ではありません』
「だろうな」
『しかし、現在は理解できます』
悠介は少し驚いた。
「本当に?」
『完全ではありません』
「何を理解した?」
『人間は、優先順位をつけられないから迷うだけではありません』
「うん」
『優先順位をつけたくないものが存在します』
悠介は黙った。《アトラス》は続けた。
『その場合、最適解ではなくても、両方を残せる方法を探す価値があります』
「それが妥当解?」
『はい』
窓の外では、朝日が昇っていた。街の一部は停電している。電車もまだ通常運転には戻っていない。遠くでは消防車の音がしている。戦争も終わってはいない。それでも、第一実証炉は動いている。七万五千キロワット。設計目標の六分の一にも届かない。それでも電気だった。そして日本には、まだ次の炉を作る人間が残っていた。
完全ではない。だが、守れたものは多かった。




