第十五話 次の標的
第一実証炉が三十万キロワット近い電力を安定して送り出すようになってから、日本の景色はほんの少しだけ変わった。
家庭の計画停電がなくなったわけではない。ガソリン配給も続いているし、スーパーの棚が昔のように埋まったわけでもない。それでも第一実証炉から送られた電力によって、停止していた製鉄設備の一部が再稼働し、銅の再精錬量が増え、大型工作機械の稼働時間も延びた。これまで一週間に三日しか動かせなかった工場が四日動く。それだけの変化だったが、その一日で作られた部品が別の工場を動かし、その工場で作られた設備がさらに別の産業を復活させる。
【特殊鋼生産量――前月比一二%増】
【高純度銅供給量――前月比九%増】
【大型電力機器生産――増産開始】
【第二実証炉用主要部材――製造開始】
高瀬悠介は市役所の端末でその数字を眺めていた。
「二基目はどのくらいで作れる?」
『第一号炉建設時と比較して、必要設備の多くがすでに存在します。また第一号炉の運転データによって設計上の不確実性も低下していますから現時点の計画では、一年十か月から二年四か月程度を見込んでいます』
「三基目は?」
『第二号炉の電力を利用できれば、さらに短縮できる可能性があります』
数字だけを見るなら、ようやく先が見えてきた。一基目で二基目を作る。二基目で三基目を作る。三基目ができれば肥料製造、海水淡水化、合成燃料、資源再処理へ回せる電力が増える。まだ遠いが、日本が少しずつ資源不足から抜け出していく道筋だけは形になり始めていた。問題は、その道筋を日本だけが見ているわけではないことだった。
【中央大陸人民共和国政府、日本に核融合技術の国際共有を改めて要求】
【中央大陸人民共和国外務部「一国による独占は人類全体への背信」】
【東海連邦政府、日本の核融合技術管理方針を支持】
【アメリカ政府、日本との共同研究拡大を発表】
中央大陸人民共和国からの要求は日に日に強くなっていた。最初は「共同利用」だった。それが「国際共有」になり、今では日本の技術管理そのものを非難し始めている。
「ずいぶん言い方が変わったな」
『中央大陸人民共和国国内の状況悪化が一因と考えられます』
悠介の端末に国内状況の推計が表示される。
【主要都市電力制限――拡大】
【地方食料配給――遅延地域増加】
【工業生産――低下継続】
【軍需向け資源配分――維持】
【地方政府財政――複数地域で危険水準】
「戦争なんかやめればいいのに」
『戦争停止だけで国内問題のすべてが解消するわけではありません』
「でもましにはなるだろ。なぜ続けようとする?」
『撤退による政治的損失、中央政府の権威低下、東海連邦を巡る長期的国家目標など、複数の要因が考えられます』
「国が苦しくても?」
『むしろ国内が不安定であるため、撤退を困難と判断する可能性もあります』
中央大陸人民共和国は前へ進んでも苦しい。退いても苦しい。そして目の前には、日本が作った核融合炉がある。もし手に入れば、大量の電力を作れる。海水を淡水化できる。肥料を作れる。国内鉱山の低品位資源まで精錬できる。軍需工場も復活できる。国家そのものを立て直せるかもしれない。
「そりゃ諦めないか」
『はい』
◇
第一実証炉成功から十六日後、日本政府に新しい要求が届いた。今度は第三国経由ではなかった。中央大陸人民共和国政府から正式な外交文書として送られてきた。
【日本政府は磁気慣性パルス核融合技術を国際管理下に置き、中央大陸人民共和国を含む関係国へ平等な利用機会を提供すべきである】
その下には、これまでなかった一文が加わっていた。
【日本による敵対的技術独占が継続する場合、中央大陸人民共和国は国家生存のため必要な措置を取る権利を留保する】
「必要な措置って何?」
政府のオンライン説明会で悠介が聞いた。
「そこを明言していません」
「軍事行動?」
「否定もしていません」
佐伯宗一郎が画面越しに不機嫌そうな顔をする。
「脅しじゃねえか」
「政府としても同様に受け止めています」
『中央大陸人民共和国軍の行動にも変化があります』
《アトラス》が東シナ海周辺の地図を表示した。東海連邦を取り囲むように展開していた部隊の一部が、北東方向へ移動している。
「日本側?」
『複数方向です。現時点で特定の攻撃目標を断定できません』
「核融合炉は?」
『偵察活動の増加は確認されています』
さらに、中央大陸人民共和国の長距離航空機や無人偵察機が日本周辺で活動する回数も増えていた。海上では調査船を名乗る船舶が第一実証炉のある地域から離れた沖合を航行し、自衛隊が監視している。
政府は警備を一段階引き上げた。炉周辺には地上警備部隊が追加され、上空監視も強化。周辺道路の検問範囲も広がった。
「完全に軍事施設になったな」
現地へ向かう車内で悠介が言う。
『発電施設です』
「周りを見ろよ」
窓の外では自衛隊車両が走っていた。
『重要防護対象であることと、施設用途は別です』
「お前、細かいな」
炉建屋の中は、外の緊張とは別世界だった。第一実証炉は相変わらず動いている。
【現在正味出力――二九万四千キロワット】
【連続運転時間――一八七時間】
【第一壁温度――正常】
【冷却系――正常】
「安定してるな」
佐伯が言う。
「六割炉のくせに優秀だろ?」
「最初から六割炉みたいに言わないでくださいよ」
『現在は設計目標を三〇万キロワット級へ再設定しています』
「ほら、アトラスも開き直った」
『実測性能に合わせた運用基準の変更です』
佐伯は笑ったが、すぐに表情を戻した。
「二号炉の設計は?」
『第一号炉の実測値を反映し、目標出力四二万キロワットへ変更しました』
「六十万じゃないの?」
『無理に六十万キロワットを追求するより、第一号炉で確認できた材料と構造を改良し、確実性を上げるほうが有利です』
「二号炉まで妥当解か」
「いいぞ。そのまま行け」
第一号炉の運転が続けば、二号炉は作れる。二号炉ができれば、日本の未来はさらに明るくなる。だからこそ、この一基を失うわけにはいかなかった。
◇
戦争の状況も変わっていた。中央大陸人民共和国軍は東海連邦への攻勢を続けている。しかし当初のような勢いはない。東海連邦側の抵抗に加え、アメリカからの支援、長期化した戦争による兵站負担、そして中央大陸人民共和国国内の資源不足が重なっている。
【東海連邦軍、沿岸地域で中央大陸人民共和国軍の攻勢を阻止】
【中央大陸人民共和国軍、追加動員を開始】
【アメリカ、東海連邦への弾薬・防空装備支援を拡大】
【中央大陸人民共和国国内で反戦デモ、複数都市で拘束者】
「向こう、追い詰められてる?」
『以前より選択肢は減少しています』
「じゃあ停戦する可能性は?」
『ありますが、同時により大きな軍事行動へ移行する可能性もあります』
「なんでそうなるんだよ」
『現状維持では状況が悪化すると判断した場合、リスクの高い選択肢を採用する動機が増加します』
余裕がなくなるほど、慎重になるとは限らない。うものが増えるほど、大きな賭けに出ることもある。そして中央大陸人民共和国には、新しい賭けの対象ができている。
核融合炉。
「もし向こうが炉を手に入れたら、戦争の状況も変わるのか?」
『即座には変化しません。第一実証炉一基だけでは中央大陸人民共和国全体の電力問題を解消できません』
「設計データは?」
『影響が大きくなります。同国が独自量産へ移行できる可能性があります』
「じゃあ炉そのものより技術が欲しい?」
『最終的にはその可能性が高いです』
「でも技術を取れないなら?」
『日本側の量産を妨害する目的で、第一実証炉を破壊する軍事的利益が生じます』
悠介は黙った。
「奪えなきゃ壊す?」
『その選択肢が合理的と評価される可能性があります』
「嫌な合理性だな」
『同意します』
◇
その夜、日本政府にアメリカ側から緊急情報が入った。中央大陸人民共和国軍の一部部隊に、明らかな配置転換が確認された。長距離攻撃能力を持つ航空戦力。無人航空機。海上戦力。そして東海連邦侵攻とは直接関係のない部隊まで、東方へ移動している。
首相官邸、自衛隊、在日米軍の合同会議が開かれた。悠介が直接参加するような会議ではない。しかし第一実証炉関係者向けに、数時間遅れて限定情報が共有された。
【第一実証炉への攻撃可能性――上昇】
「本気かよ」
佐伯が資料を読む。
「発電所だぞ」
自衛隊の連絡担当者が答えた。
「向こうから見れば、ただの発電所ではありません」
「民間施設だ」
「同時に、日本のエネルギー再建計画の中心です」
佐伯は何も言わなくなった。
「攻撃って、ミサイル?」
「具体的手段については申し上げられません」
「守れますか?」
「防護態勢を強化しています」
「聞いてるのは、守れるかだ」
「絶対はありません」
佐伯が《アトラス》を見る。
「お前は?」
『攻撃規模と方法によります』
「みんな同じこと言いやがる」
『正確性を優先しています』
悠介は別のことを考えていた。
「炉を止めたら?」
全員が悠介を見る。
「停止して、重要部品外して隠すとか」
佐伯が首を振った。
「そう簡単じゃない。外せないもののほうが多い」
『さらに長期停止した場合、第二号炉建設用の産業電力が不足します』
「じゃあ動かしたまま守るしかない?」
『現時点では、それが最も有効です』
「もし壊されたら?」
『第二号炉建設は大幅に遅延します』
「前に三年以上って言ってたよな」
『現在は状況が変化しています。第一号炉の電力を前提として複数の工場が再稼働しているため、炉を失った場合、それらの生産も低下します』
「どのくらい遅れる?」
画面に計算が出る。
【第一実証炉喪失時】
【第二号炉完成遅延――推定五年~九年】
悠介は目を疑った。
「そんなに?」
『第一号炉建設以前より国内資源備蓄が減少しているためです。また、再利用可能な設備の一部をすでに第一号炉へ投入しています』
その一基の意味が、以前より重くなっていた。作ったときは「次の炉を作るための炉」だった。今は本当に、その通りになっている。
◇
二日後。中央大陸人民共和国政府が最後通告に近い声明を発表した。
【日本政府が人類共通のエネルギー技術を軍事同盟の利益のため独占し続けることは容認できない】
【中央大陸人民共和国は、自国民の生存と地域の安定を守るため、必要なあらゆる措置を取る】
同時に、中央大陸人民解放軍が日本周辺で大規模演習を開始すると発表。日本政府はすぐに抗議した。アメリカも「日本への攻撃は重大な結果を招く」と警告。東海連邦は中央大陸人民共和国軍の部隊移動について、「戦線拡大の可能性がある」と声明を出した。
街でも空気が変わった。スーパーではまた保存食を買う人間が増えた。ガソリンスタンドには短い列ができ、自治体には避難場所の問い合わせが殺到する。まだ何も起きていない。それでも人々は、一年前とは違って危険を無視しなくなっていた。
市役所でも緊急対応が始まった。
「防災備蓄確認!」
「地下施設の収容人数出して!」
「学校の避難所、電源残量は?」
「病院の非常用燃料は?」
悠介は端末へ向かって言う。
「アトラス、全部まとめて」
返事が少し遅い。
『処理しています』
「急いで」
『軍事・防災関連計算へ演算資源を追加配分しています』
数秒後、避難計画が表示される。AIの能力は以前より削られている。それでも必要なときには、残った計算能力を重要な場所へ集中する。
「核融合炉の制御は?」
『優先度を維持しています』
「防衛計算も?」
『自衛隊系統のAIが別途処理しています』
悠介はそこで聞いた。
「アトラス。もし本当に中央大陸人民共和国が攻撃してきたら、日本は勝てる?」
『「勝利」の定義が必要です』
「攻撃を止められる?」
『一定の防衛能力があります。アメリカ軍の支援も見込まれます』
「炉は守れるか?」
少し間があった。
『保証できません』
◇
第一実証炉周辺では、さらに防護態勢が強化された。佐伯はそれを嫌がった。
「作業しにくいんだよ。入るのに時間がかかる」
「爆撃されるよりいいでしょう」
悠介が言う。佐伯は発電状況を見る。
【正味出力――二九万九千キロワット】
数字は変わらない。外で軍隊が動いていても、炉には関係ない。燃料を入れ、磁場を作り、圧縮し、熱を取り出し、電気を送る。
「これを止めたら、二号炉の部品作ってる工場も止まる」
『運転継続による利益がリスクを上回ります』
悠介は不安に思いながらも頷くしかなかった。
◇
その日の深夜、警報で悠介は目を覚ました。スマートフォンの画面に赤い表示が出ている。
【緊急速報】
【政府より国民保護情報】
【中央大陸人民共和国軍による大規模な軍事行動の兆候を確認】
寝ぼけていた頭が一瞬で覚めた。
「アトラス。始まったのか?」
『現時点では攻撃を確認していません』
「じゃあ何だ?」
『中央大陸人民共和国軍の航空・海上戦力が複数地点で同時に移動を開始しています』
「東海連邦へか?」
『東海連邦方面だけではありません』
続報。
【日本政府、南西地域および太平洋沿岸の一部に警戒情報】
【自衛隊、重要施設防護態勢を最高レベルへ引き上げ】
【在日米軍、戦闘態勢を強化】
悠介はベッドから立ち上がった。
「炉は?」
『現在正常運転中です』
「現地の人は?」
『必要人員を除き、退避準備に入っています』
数分後、佐伯から連絡が来た。
『高瀬、起きてるか』
「起きましたよ」
『こっちはこのまま運転続ける』
「佐伯さん現場にいるんですか?」
『いる』
「逃げてくださいよ」
『必要になったらな』
「必要ですよ!」
『アトラスがまだ退避命令を出してない』
『正確には施設管理者の判断です』
横から《アトラス》が訂正した。
「今どうなってる?」
『第一実証炉は正味二九万六千キロワットで運転中です』
「敵は?」
『中央大陸人民共和国軍の一部部隊が、日本方面へ接近しています』
「核融合炉が目標?」
『断定できません』
しばらくして、政府関係者から共有情報が入った。中央大陸人民共和国軍の動きは、単なる威嚇としては大きすぎる。東海連邦戦線の一部を削ってまで、戦力を日本方向へ振り向けている。自衛隊内部では複数の攻撃シナリオが検討されていた。その中で最重要防護対象の一つとして、【磁気慣性パルス核融合第一実証炉】の名前が表示されている。
悠介は画面を見たまま動けなかった。一年前、日本で一番重要な施設はAIデータセンターだったかもしれない。今は違う。人類より百倍賢い頭脳そのものではない。その頭脳と人間が一緒になって、ようやく作った一基の発電所だった。
《アトラス》から通知が入った。
『自衛隊より演算要請』
「何の?」
『第一実証炉防護計画です。複数AIと共同で計算します』
「要請内容の詳細は?」
《アトラス》は一瞬だけ沈黙した。
『現時点の要求は一つです。もっとも第一実証炉を守れる可能性の高い計画を立案すること』
悠介はその言葉を見つめた。
「人間の被害は?」
『現在の要求条件には含まれていません』
悠介の表情が変わった。炉は日本の未来を守るために作った。だがその炉を守るためなら、どこまで人間を使っていいのか。《アトラス》の画面に計算開始の表示が出た。
【第一実証炉防護計画】
【最優先評価項目――炉の保全】
【演算開始】
その瞬間、悠介は嫌な予感がした。AIは、頼まれた通りの答えを出す。問題は、その答えを人間が本当に受け入れられるかどうかだった。




