第十三話 誰のための技術
中央大陸人民共和国からの非公式提案は、三日後には日本政府内で正式な検討案件になっていた。表向きには存在しない交渉だった。中央大陸人民共和国政府は日本へ技術供与を要求していないし、日本政府もそんな要求を受けたとは発表していない。しかし実際には第三国を介したやり取りが続き、条件は少しずつ具体的になっていた。
【中央大陸人民共和国側提示条件】
【日本向け重要鉱物輸出制限の即時緩和】
【高純度銅・耐熱材料・電力機器の優先供給】
【日本関連商船への安全航行保証】
【東海連邦周辺を除く指定航路での通商保護】
【将来的な資源長期供給契約】
対価として求められているものも、より明確になった。
【磁気慣性パルス核融合炉・主要炉体設計】
【AI制御アルゴリズム】
【磁場圧縮シーケンス】
【第一壁交換構造】
【低資源条件下での代替材設計技術】
「最後のやつが一番欲しいんじゃないですか?」
高瀬悠介が言うと、佐伯宗一郎が頷いた。
「俺もそう思う」
「炉の設計だけじゃなくて、材料がない状態でどう作るか」
「そうだ。向こうだって全部の材料が揃ってるわけじゃない。むしろ今の中央大陸人民共和国に必要なのは、理想炉の設計じゃない」
「今あるもので作る方法をアトラスが一年かけて覚えた」
会議室の大型画面には、《アトラス》が作成した中央大陸人民共和国の産業分析が表示されていた。中央大陸人民共和国は日本よりはるかに多くの鉱物資源と製造設備を保有している。しかし戦争と国内混乱によって物流が壊れ、発電能力が低下し、地域ごとの産業網も分断されつつある。巨大な製鉄所があっても電力が足りない。鉱山があっても輸送できない。工場があっても水がない。その意味では日本が一年前に経験した問題を、巨大な規模で抱えているとも言えた。
『中央大陸人民共和国が現行第一実証炉技術を取得した場合、同国の既存工業基盤を利用して日本より短期間で複数炉を建設できる可能性があります』
「何年?」
『条件によります。初号炉は二年から四年程度。技術習熟後はさらに短縮される可能性があります』
「日本より早いじゃん」
『製造設備の総量が大きいためです』
「完成したら民間人はどれくらい助かる?」
『推計幅が大きいですが、電力、水、肥料、医療関連産業の改善によって、中長期的には数千万から一億人規模の生活条件へ影響する可能性があります』
悠介は黙った。
「一億」
『直接的に一億人の生命を救うという意味ではありません』
「分かってる。でも、それくらい大きい」
政府の担当者が聞いた。
「では、技術を提供することは人道上有益だと評価できるのか」
『民生面のみを評価する場合、有益である可能性が高いです』
「軍事面を含めると?」
『評価が変化します』
画面に別の項目が並んだ。
【軍需工場稼働率――改善】
【航空機・艦艇・無人兵器生産能力――改善】
【軍用燃料合成能力――改善可能性】
【国内輸送網維持能力――改善】
【東海連邦戦争継続可能期間――延長】
「何年?」
『不確実性が大きいため断定できません。ただし核融合電力が一定規模まで普及した場合、資源制約による早期停戦圧力は低下します』
「つまり市民も助かるけど、軍隊も助かる」
『はい』
「便利すぎるな、電気って」
佐伯が苦く笑った。
「だから困ってるんだよ」
◇
議論は日本国内でも急速に広がった。交渉内容そのものは秘密だったが、「核融合技術を将来的に国際共有すべきか」という論点はすでに公になっていた。第一実証炉が成功する保証すらない段階で、国会では技術公開を求める議員と、安全保障上の理由から厳格な管理を求める議員が激しく対立した。
「これは日本だけの技術ではありません。世界的な資源危機を解決できる可能性があるなら、人類全体で共有すべきです」
「現在、日本のすぐ近くで侵略戦争が行われています。その当事国へ軍需産業を再建できる技術を渡すのですか」
「中央大陸人民共和国の一般市民まで敵なのですか」
「そういう問題ではない」
「では、何百万人が停電や水不足で苦しんでも、政府が戦争をしているという理由だけで技術を渡さないのですか」
テレビ討論でも同じだった。SNSではさらに単純化される。
「敵国に渡すな」
「技術を独占する日本も同じ穴のムジナ」
「人を救えるなら公開しろ」
「公開した技術でミサイル工場動いたら誰が責任取るんだ」
「そもそもまだ成功すらしていない」
最後の意見だけは、悠介もその通りだと思った。
「まだ動いてないのに世界中で喧嘩してるな」
『将来価値が高いと評価される資産については、実現前から争奪が発生する場合があります』
「お前はどっちがいいと思う?」
『質問条件を指定してください』
「できるだけ多くの人を救う」
『期間を指定してください』
「五十年」
『地域を指定してください』
「世界全部」
『軍事行動による死者を含めますか』
「含める」
『経済崩壊による間接的死者も含めますか』
「もちろん」
『将来の核融合技術拡散による追加効果も含めますか』
「含める」
『現時点では誤差範囲が大きすぎ、確定的な優劣を提示できません』
「そんなに分からない?」
『技術提供によって中央大陸人民共和国の民生被害が減少する一方、戦争が長期化する可能性があります。また技術を提供しない場合、同国国内の混乱が拡大し、中央政府の戦争遂行能力が低下する可能性がありますが、大規模な人道危機へ発展する可能性もあります』
「じゃあ十年なら?」
『結果は変化します』
「一年なら?」
『さらに変化します』
悠介は頭を抱えた。
「人間が答えられないからAIに聞いてるのに」
『私は結果を比較できます。しかし、どの結果を許容するかは別の問題です』
「例えば?」
『東海連邦の死者十万人を増加させる代わりに、中央大陸人民共和国の民間人百万人を救える可能性がある場合、その交換を許容しますか』
悠介は答えられなかった。
『では十万人対一千万人なら?』
「やめろ」
『判断には、そのような価値基準が必要です』
「数字にすると余計分からなくなるな」
『はい』
「お前も?」
『私は分からなくなるのではありません。評価基準が指定されていない状態です』
「結局、人間が決めるしかない?」
『はい』
以前なら、その答えに苛立ったかもしれない。今は少し違った。AIが何でも決めてくれないから不便なのではない。決められないことが、本当に存在するのだ。
◇
東海連邦政府からも、非公式な要請が届いた。内容は中央大陸人民共和国とは正反対だった。
【中央大陸人民共和国への核融合関連技術供与を、戦争終結まで行わないこと】
「まあ、そりゃそうだよな」
悠介が言った。
『東海連邦側から見れば合理的な要求です』
「技術を渡されたら、相手の工場が復活する」
『はい』
「でも東海連邦にも渡す?」
佐伯が答えた。
「現時点では一部の発電・材料研究データを共有する案がある。アメリカ経由で支援する可能性もある」
「それ中央大陸人民共和国から見たら不公平じゃないですか」
「戦争してるからな」
「でも向こうから見たら東海連邦が自国の一部なんでしょう」
「そう主張してる」
「結局、立場で正義が変わる」
「俺が怖いのはな、核融合が完成した瞬間に全部解決するってみんな思い始めてることだ」
「違うんですか?」
「全然違う。一基できても世界の電力不足なんて消えない。二基目、三基目を作って、材料供給を戻して、送電網直して、肥料工場も建て直して、そこからだ」
「それでも今よりはいい」
「そうだ。だから価値がある。でも価値があるからこそ、みんな先に取りたがる」
人類は、資源不足で争っていた。そして今度は、資源不足を終わらせる技術を巡って争い始めている。悠介には少し皮肉に思えた。
◇
第一実証炉の統合試験は、その間も続いていた。初回核融合点火までの予定は、一度五十八日から七十一日に延び、それから六十六日まで戻った。磁場コイルの一部に予想以上の発熱が見つかり、冷却流量を増やした代わりに補助電力が増えた。さらに真空容器接合部から微小な漏れが見つかり、補修に九日を要した。
「予定通りいかないな」
悠介が現場で言った。
「予定通りいくと思ってたのか?」
佐伯が聞く。
「少しくらい」
「甘い」
『現在の総合進捗は九四・一%です』
「そこだけ聞くともう完成だな」
『残る五・九%に初回点火試験が含まれます』
「一番大事なところじゃん」
炉建屋の外では自衛隊員と警察官が警備に当たり、上空には常時監視用の無人機が飛んでいる。出入りする車両はすべて検査され、現場作業員の携帯端末にも厳しい制限がかけられた。数か月前まで、ここは資源不足に苦しむ日本の発電計画だった。今は、戦争中の国家が狙う戦略施設になっている。
その日の午後、さらに問題が起きた。建設現場へ向かっていた特殊電力装置を積んだトラックが、高速道路上で事故を起こした。運転手は軽傷。装置は損傷。最初は単純な交通事故として処理された。しかし車両を調べると、ブレーキ制御系統に不自然な改変が見つかった。
「誰かがやった?」
『その可能性があります』
「中央大陸人民共和国?」
『断定できません』
同日、別の参加企業では作業員の入館証が複製されていたことも判明した。翌日には、研究者の家族へ脅迫めいた匿名メッセージが届いた。政府は核融合関連施設の警戒レベルを引き上げた。
「ここまでして止めたいのか」
『取得を目的としている可能性もあります』
「壊すより盗む?」
『技術価値を考慮すれば、その可能性が高いです』
「でも盗めないなら?」
『破壊によって日本側の優位を失わせるという選択肢が生じます』
「嫌な未来予測ばっかり得意だな」
『妥当な予測です』
悠介は巨大な炉建屋を見上げた。
「これ、守れる?」
『現在の脅威水準では、防護可能性は高いと評価します』
「戦争が日本まで来たら?」
《アトラス》は少し間を置いた。
『条件によります』
「それ、危ないってことだろ」
『不確実性が大きいという意味です』
◇
数日後、政府は中央大陸人民共和国への回答を決定した。全面的な技術供与は拒否する。少なくとも、東海連邦への軍事行動が継続している間は主要炉設計と制御技術を提供しない。ただし条件付きの提案を付けた。
【戦闘停止後、国際管理下での民生用核融合技術共有について協議する】
【医療、水、食料生産など人道目的の電力支援技術については別途協議可能】
完全拒絶ではない。しかし中央大陸人民共和国が求めた答えでもなかった。
「これでいいの?」
悠介が聞いた。
『「いい」の定義によります』
「政治的には?」
『短期的には中央大陸人民共和国との関係悪化が予想されます。一方、東海連邦およびアメリカとの関係は維持されます』
「人道的には?」
『中央大陸人民共和国への核融合技術導入は遅延します』
「軍事的には?」
『同国の戦争遂行能力強化を回避できます』
「結局どういうことなんだ?」
『不明です』
悠介は少し笑った。
「お前が不明って言うと安心するようになってきた」
『なぜでしょうか』
「全部分かったふりされるよりいい」
『私は分かったふりをする必要がありません』
「そこもいいよ」
政府の回答は中央大陸人民共和国側へ伝えられた。二日後、反応が返ってきた。
【中央大陸人民共和国政府、日本による「敵対的技術封鎖」を非難】
【対日輸出規制を追加拡大】
【日本企業七十一社を取引制限対象へ追加】
そして軍事面でも変化が出た。
【中央大陸人民解放軍、東海連邦東方海域への活動範囲を拡大】
【日本近海で中央大陸人民共和国軍無人偵察機の活動増加】
【航空自衛隊、緊急発進回数増加】
悠介はニュースを見ながら言った。
「やっぱ怒った」
『予測範囲内です』
「核融合炉への攻撃は?」
『現時点で具体的兆候は確認されていません』
「現時点では」
その言葉が最近、嫌いになってきた。
◇
さらに二週間が過ぎた。初回点火まで、あと二十一日。第一実証炉では最終段階の燃料投入試験が始まっていた。まだ本格的な核融合反応は起こさない。重水素系燃料を少量投入し、磁場形成、圧縮、排気、冷却のすべてが設計通り連動するか確認する。
制御室には佐伯をはじめ、多くの技術者が集まっていた。悠介は後方の席から画面を見ている。
【燃料投入量――正常】
【真空度――正常】
【磁場形成――正常】
【圧縮シーケンス――開始】
数値が高速で変化する。《アトラス》がすべてを監視し、数千分の一秒単位で補正する。
【試験完了】
【重大異常――なし】
小さな拍手が起きた。
「成功か?」
悠介が聞く。
『今回の試験目的は達成しました』
「最近、妥当って言わないな」
『適切な場面では使用します』
佐伯が笑った。
「次はいよいよ燃やすぞ」
「二十一日後?」
「予定通りなら」
「予定通りになったことあります?」
「ないな」
そのとき、佐伯の端末が鳴った。表情が変わる。
「何です?」
「政府からだ」
「また技術供与?」
「違う」
佐伯は表示された文書を読む。悠介にも数秒遅れて速報が届いた。
【中央大陸人民共和国軍、東海連邦周辺に新たな大規模部隊を集結】
【アメリカ政府、中央大陸人民共和国による追加攻勢の可能性を警告】
【日本政府、南西地域の警戒態勢を引き上げ】
戦争が、また動こうとしていた。
「このタイミングで?」
悠介が呟く。
『偶然である可能性もあります』
「そうじゃない可能性は?」
『あります』
佐伯が炉の状態表示を見る。
「あと二十一日」
『予定上は』
「間に合うか?」
《アトラス》は答えなかった。
「何で黙る?」
『質問対象が不明確です』
「炉だよ。戦争がこっちまで来る前に、火を入れられるか」
『保証できません』
「だろうな」
佐伯は画面を見たまま言った。
「じゃあ予定を詰めるぞ」
『安全余裕が低下します』
「どのくらい?」
『点火日を最大七日前倒しできます。ただし初回点火失敗率と設備損傷リスクが上昇します』
「やめたほうがいいか?」
『通常条件では推奨しません』
「今は通常条件か?」
数秒の沈黙。
『いいえ。七日短縮案を再評価します』
悠介は二人のやり取りを黙って聞いていた。世界を救えるかもしれない技術。戦争を長引かせるかもしれない技術。渡せば人が死ぬかもしれず、渡さなくても人が死ぬ。そして今、その技術自体が戦争に追いつかれようとしている。
誰のために作っているのか。日本のため。東海連邦のため。中央大陸人民共和国で停電に苦しむ人間のため。いつか世界中のため。きっと全部なのだろう。ただ、その全部を同時に救えるほど、人間はまだ賢くも豊かでもなかった。
だからまず、一基目に火を入れなければならない。そのあと何をするかは、その火が本当に灯ってから考えるしかなかった。




