第十二話 狙われた未来
第一実証炉の初回核融合点火まで、最短五十八日。その数字が公表された翌週から、日本政府の周辺で妙なことが増え始めた。
最初はサイバー攻撃だった。政府機関、国立エネルギー技術研究機構、炉建設に参加する企業への不正アクセスが、それまでの数倍に増えた。標的は核融合炉そのものの設計データだけではない。納入企業一覧、材料調達先、技術者名簿、輸送予定、試験日程まで狙われている。
「こんなの、戦争始まってからずっとあったんじゃないの?」
市役所の端末で報告書を読みながら、高瀬悠介が聞いた。
『ありました。ただし対象が明確に変化しています』
「核融合炉?」
『はい』
「どこの国だ?」
『断定はできません』
「中央大陸人民共和国?」
『関与している可能性は高いと評価されています。ただし複数国家、企業、非国家組織によるアクセスが混在しています』
「みんな欲しいのか」
『成功すれば、エネルギー供給構造を大きく変える可能性があります』
「まだ一ワットも出してないけどな」
それでも世界は待ってくれなかった。日本政府は核融合炉の詳細設計を国家機密に指定し、建設現場周辺の警備を増強した。参加企業にも情報管理要員が派遣され、これまでオンラインで共有されていた一部設計データは、アクセス範囲を細かく分割された。大企業だけではない。悠介の市にある東亜精密加工にも公安関係者が来た。
「うちに?」
社長が目を丸くした。
「核融合炉本体作ってるわけじゃないですよ。補助系統の部品ですよ?」
「その部品をどの会社が、どの精度で作れるか。それ自体が情報になるそうです」
悠介が説明すると、社長は加工機の並ぶ工場を見回した。
「半年前まで水道ポンプ削ってた工場だぞ」
『現在は核融合第一実証炉の供給網に含まれています』
「出世しすぎだろ、うち」
笑い話のようだったが、その三日後、笑えない出来事が起きた。東亜精密加工の従業員の一人に、海外企業を名乗る人物から連絡が来た。条件のいい転職話だった。給与は現在の数倍。家族ごとの海外移住支援。勤務先はエネルギー関連研究施設。必要なのは、これまで担当した加工部品について「面接で簡単に説明すること」だけ。
従業員は不審に思って会社へ相談した。調査の結果、企業そのものが存在しなかった。
『同様の接触は複数確認されています』
「どの程度だ?」
『公開可能な範囲では回答できません』
「人を買うほうがハッキングより簡単ってことか」
『場合によります』
工場の社長は冗談を言わなくなった。
「核融合炉って、本当にそんな価値あるのか?」
『成功した場合は』
「まだ成功してないんだよな?」
『はい』
「失敗するかもしれない」
『はい』
「なのに盗みに来る」
『他国も同じ可能性を評価しているためです』
未来は、完成してから価値が生まれるわけではない。完成する可能性が見えた時点で、すでに値段が付くのだと悠介は知った。
◇
中央大陸人民共和国の状況は、戦争開始時より明らかに悪化していた。東海連邦への侵攻は当初想定された短期決着にならず、沿岸部では軍需優先による民間電力制限が続いている。食料輸送にも軍用車両や鉄道が優先され、地方都市では配給遅延が増えた。水不足の地域も広がり、工場停止と失業増加が同時に進んでいる。
【中央大陸人民共和国、主要都市で追加電力制限】
【複数地域で食料配給遅延】
【地方政府、住民移動制限を強化】
【軍需産業への資源優先配分を継続】
「戦争なんかやめればいいのに」
ニュースを見ながら悠介が言う。
『撤退によって解決する問題と、解決しない問題があります』
「食料とか電気は多少ましになるだろ?」
『はい。しかし戦争以前から存在していた水、食料、エネルギー、雇用、地方財政の問題は残ります』
「じゃあ向こうも詰んでる?」
『その表現は適切ではありません。ただし選択肢は減少しています』
中央大陸人民共和国の国家戦略AIが日本の核融合炉をどのように評価しているか、外部から正確に知ることはできない。しかし《アトラス》は公開情報だけでも、ある程度の推測が可能だった。
『仮に中央大陸人民共和国が第一実証炉と同等の技術を取得し、量産へ移行できた場合、長期的な電力制約を大幅に緩和できる可能性があります』
「中央大陸人民共和国は、日本より資源あるだろ?」
『あります。石炭、鉄鉱石、レアアースを含め、国内資源量は日本を大きく上回ります』
「じゃあ核融合があれば日本より復活しやすい?」
『可能性があります。大量の安定電力を確保できれば、採掘、精錬、淡水化、肥料生産、合成燃料、物流設備製造などを拡大できます』
つまり、日本にとって核融合炉が「文明を再起動する装置」なら、中央大陸人民共和国にとっても同じだった。しかも人口も工業力も大きい。動き始めれば、日本よりはるかに速く何十基と増やす可能性すらある。
「そりゃ欲しいか」
『はい』
「でも戦争してる国に渡したら?」
『軍需産業の電力制約も緩和されます』
「兵器も作れる」
そこが問題だった。核融合炉は兵器ではない。しかし製鉄所を動かせる。化学工場を動かせる。半導体工場を動かせる。軍需工場も動かせる。社会を救う電力と、戦争を続ける電力は同じだった。
◇
アメリカ政府からは、第一実証炉の研究データ共有について正式な打診が来た。欧州諸国からも共同研究の提案が届き、資源や設備を提供する代わりに技術参加を求める国が現れ始めた。
「アメリカにも教えるの?」
悠介が佐伯宗一郎に聞いた。
「一部はもう共有してる。制御理論とか材料試験とか、向こうの協力も受けてるからな」
「アメリカみたいな同盟国でも一部?」
「今の世界で完成前の炉の設計を丸ごと渡すほど、政府もお人よしじゃない」
佐伯は実験施設の廊下を歩きながら言った。第一実証炉は統合試験へ入り、ほぼ毎日のように何かしら不具合が見つかっている。冷却配管から小さな漏れが出れば止まり、センサーが誤検知すれば止まり、磁場コイルの温度が予測値を超えればまた止まる。そのたびに人間とAIが原因を探し、直す。
「世界中に広めたほうがよくないですか?」
悠介が聞く。
「みんなに電気あれば、戦争する理由も減るかもしれない」
「かもしれない」
「歯切れ悪いですね」
佐伯が足を止めた。
「じゃあ中央大陸人民共和国に今すぐ全部渡すか?」
悠介は黙った。
「電気が増えれば、向こうの市民も助かる。食料も作れる。水も作れる。でも戦争も続けやすくなる」
「アメリカに渡したら?」
「程度は違ってもな。技術ってのは使い道を選ばない。電気なんて特にそうだ」
佐伯はまた歩き出した。
「俺は核融合炉を作る。それを誰に渡すかは、俺の仕事じゃない」
「逃げてません?」
「逃げてるよ。そこは政治家に働いてもらわないとな」
冗談めかしていたが、表情は重かった。技術が完成に近づくほど、科学だけでは決められないことが増えていく。
◇
その夜、事態はさらに一段進んだ。国立エネルギー技術研究機構の内部ネットワークで異常が検出された。設計情報の流出は阻止されたが、攻撃側は研究機構そのものより、外部の関連企業を経由して侵入を試みていた。続いて建設現場近くで無許可の小型無人機が発見された。翌日には、材料輸送を担当する会社へ偽の配送変更指示が送られた。どれも大きな被害にはならなかった。だが、偶然とは考えにくかった。警備はさらに強化された。
「もう発電所というより軍事施設だな」
悠介が現場入口の検査を受けながら言う。
『国家重要施設に指定されています』
「まだ発電もしてないのに」
『情報漏洩とともに、破壊工作の懸念があります』
「もし壊されたら?」
『初回点火は大幅に遅延します』
「どのくらいの期間になる?」
『損傷箇所によります。主要炉体が失われた場合、現在の資源状況では同一規模の再建に三年以上を要する可能性があります』
「三年……」
『現在使用している一部資材について、再確保できる保証はありません』
「じゃあ同じのを二度と作れない可能性もある?」
『あります』
第一号炉は試作品だった。だから壊れてもまた作ればいい。以前なら、そう考えたかもしれない。しかし現実には、一号炉を作るために、日本中から使える材料をかき集めている。閉鎖設備を壊し、古い銅を回収し、残った工作機械を優先使用し、他産業への電力供給まで削った。同じことをもう一度できるとは限らない。
「大事になりすぎたな」
『はい』
悠介は巨大な建屋を見上げた。中にあるのは、まだ一度も核融合発電に成功していない機械だ。それでも日本の未来のかなりの部分が、そこへ乗り始めている。
◇
その日の午後、政府の緊急会議が招集された。佐伯も悠介も参加を求められたが、議題は技術ではなかった。
「中央大陸人民共和国から非公式な接触がありました」
政府高官の一言で、会議室が静まり返った。
「非公式?」
「第三国を経由したものです」
「内容は?」
画面に短い文書が表示された。
【中央大陸人民共和国は、日本の核融合技術について協議する用意がある】
その下に条件が並ぶ。
【日本に対する重要鉱物輸出制限の大幅緩和】
【銅・耐熱材料・工業原料の優先供給】
【日本向け船舶の安全航行に関する保証】
【長期的なエネルギー・資源協力】
交換条件。
【磁気慣性パルス核融合技術の共同利用】
「共同利用って?」
悠介が聞いた。
「要するに技術を渡せ、ということです」
佐伯の表情が変わった。
「どこまで?」
「炉設計、制御技術、材料構成、製造工程の主要部分」
「ほぼ全部じゃないか」
誰かが言った。
「断れば?」
「現在の輸出制限をさらに拡大する可能性を示唆しています」
「脅迫じゃないですか」
「一方で、受ければ日本が今不足している資材のかなりの部分を確保できる」
会議室が静かになる。悠介には、すぐに答えが出なかった。中央大陸人民共和国は今、東海連邦を攻撃している。日本へも敵対的な圧力をかけている。その国へ、日本の未来を支える技術を渡す。感情的には拒否したい。しかし技術を渡せば、核融合炉の建設に必要な材料が手に入り、日本の第二号炉以降の建設も早まる可能性がある。そして中央大陸人民共和国の何億という市民も、電力不足から救われるかもしれない。
「アトラス」
政府高官が言った。
『はい』
「技術を提供した場合の影響を計算してくれ」
『すでに複数シナリオを算出しています』
画面に数字が並ぶ。
【中央大陸人民共和国民生電力供給――中長期的に改善】
【食料生産能力――改善可能性】
【水供給能力――改善可能性】
【産業生産能力――大幅改善可能性】
【軍需生産能力――同時に改善】
【東海連邦戦争継続能力――上昇可能性】
【日本の資源調達環境――条件履行時、大幅改善】
人を救える。戦争も続けられる。日本も助かる。敵も強くなる。
「結論は?」
誰かが聞いた。
『何についての結論でしょうか』
「渡すべきか、渡さないべきか」
《アトラス》は答えなかった。数秒後、静かな声が返ってきた。
『評価基準を指定してください』
「人命で考えろ」
『どの期間の、どの地域の人命を優先しますか』
「全部だ」
『現在の情報では、単一の選択肢がすべての人命指標で優位にはなりません』
「じゃあ戦争を早く終わらせるほう」
『技術提供が戦争終結を早める保証はありません。逆に中央大陸人民共和国の継戦能力を高める可能性があります』
「提供しなければ?」
『同国の民間生活悪化が進み、戦争継続能力が低下する可能性があります。同時に民間人への被害も増加します』
誰も話さなくなった。悠介は、しばらくして口を開いた。
「向こうのAIでも同じものを作れるんじゃ?」
『可能性はありますが、技術の核心部分の再現は難しいと思われます』
「なんで?」
『日本で積み上げられてきた独自の技術情報が多いからです。一部の情報から推察していつかは辿り着けるかもしれませんが、時間は相当にかかるでしょう』
「つまりほしければ日本から貰うか盗むかしかないのか」
そこまで聞いて、佐伯が椅子にもたれた。
「面倒なもの作っちまったな」
悠介は佐伯を見る。
「まだ動いてませんよ」
「だからもっと面倒なんだよ」
核融合炉は、まだ一ワットも発電していない。それなのに、すでに国と国の判断を変え、人間を誘惑し、脅迫を生み、戦争の行方にまで影響を与え始めている。
かつて世界は、足りない資源を奪い合って壊れ始めた。日本はその奪い合いから抜け出すために、新しいエネルギーを作ろうとした。だが、その技術が本当に世界を救えるのなら。次に始まるのは、その未来を誰が持つのかという争いだった。




