第十話 提案があります
中央大陸人民共和国と東海連邦の戦争が始まってから二か月、日本の生活はまた一段階悪くなっていた。それでも以前のような混乱には戻っていない。AI演算資源の追加削減で確保された電力は、病院、鉄道、製鉄、水道、基幹工場へ優先的に回され、家庭向けの計画停電も最悪期よりは減っていた。スーパーの商品は少ない。ガソリン配給は厳しい。物流も遅い。だが、何が足りなくなればどこを守るべきか、人間もAIも以前よりずっと上手くなっている。
高瀬悠介の市役所でも、《アトラス》への問い合わせには以前より時間がかかるようになった。
「アトラス、この予算組み替え、まだ?」
『あと三分十二秒です』
「昔のお前なら一秒だったよなあ」
『現在、医療物資配分計算を優先しています』
「分かってるよ。文句じゃない」
『記録上、文句として分類される可能性があります』
「じゃあ文句でいいよ」
三分後、修正版の予算案が表示された。以前なら誰も待つことなど考えなかった時間だが、今では職員たちも慣れている。AIの処理が遅くなった代わりに、役所の照明は消えず、水道ポンプも回り、修理工場も動いている。何かを残すために何かを削る。その考え方はもう、日本全体に染み込んでいた。
その日の午後、悠介の端末に通常とは違う優先通知が届いた。
【国立エネルギー技術研究機構より緊急会議招集】
「また核融合? 何かあった?」
『説明は会議で行います』
「焦らすなあ」
『説明を一度で行うことでリソースの節約をしています』
二日後、悠介は再び国立エネルギー技術研究機構の会議室にいた。前回より出席者は多い。佐伯宗一郎をはじめ、核融合研究者、材料工学者、重電メーカー、製鉄、化学、電力会社、政府関係者、それに自衛隊の技術担当者までいる。
「なんで自衛隊まで?」
悠介が小声で聞くと、佐伯が答えた。
「戦争中だからだよ。大型電源設備も特殊材料も、もう民間だけの話じゃない」
「なるほど」
「あと、お前」
「はい」
「今日は黙って聞いてろ」
「いつも聞いてますよ」
「途中で『それ作れるんですか』って言うだろ」
「言いますよ。大事でしょう」
「だから呼んだんだ」
矛盾しているようなことを言って、佐伯は笑った。会議が始まる。最初に表示されたのは、これまで何度も見てきた磁気慣性パルス核融合炉の図面だった。ただし、前回より明らかに形が変わっている。大型の構造物が減り、炉心周囲の機器配置も簡略化されていた。
【磁気慣性パルス核融合炉 第一実証炉案】
【設計変更回数――二十三回】
【国内調達可能率――九一%】
会議室がざわめいた。
「九一?」
悠介が思わず声を上げる。佐伯が横目で見る。
「黙って聞けって言っただろ」
「いや、これは言うでしょう」
『残る九%についても、国内代替案があります』
《アトラス》の声が響く。
「じゃあ一〇〇%?」
『いいえ。代替可能であることと、必要性能を満たせることは同義ではありません』
佐伯が腕を組む。
「説明してくれ」
『現行案では、高性能超伝導材、高純度銅、高耐久第一壁材料、特殊パワー半導体の一部が不足しています。これらを国内入手可能な材料へ置換した場合、炉性能は低下します』
「どのくらいだ?」
【最大設計電気出力――六〇万キロワット】
【代替材使用時推定――四八万~五四万キロワット】
【設計寿命――十年】
【代替材使用時推定――三年八か月~六年】
「かなり落ちるな」
一人の研究者が言った。
「第一壁なんて交換頻度が上がりすぎる」
『そのため、全面交換ではなく分割式モジュールへ再設計しました』
「交換回数が増えれば停止時間も増える。発電所としては欠陥だらけだぞ」
『従来基準では、その評価が妥当です』
研究者が少し眉をひそめた。
『しかし建設可能性があります』
会議室が静かになった。
『高性能で建設不能な炉と、低性能で建設可能な炉を比較した場合、現在の日本では後者の期待効果が高いと判断します』
佐伯が小さく笑った。
「ずいぶん人間臭くなったな」
『人間的判断ではありません。評価関数の変更です』
「そういうところは変わらんな」
次の資料が表示された。
【第一実証炉の目的】
【一 安定した正味発電の確認】
【二 次世代核融合炉建設に必要な産業電力の確保】
【三 製鉄・非鉄金属精錬・化学工業・工作機械の再稼働支援】
【四 第二号炉用部材の国内生産能力確立】
悠介は画面を見た。
「家庭に電気を配るのが一番じゃないんだ」
『第一号炉の電力を一般需要へ広く配分した場合、短期的生活水準は改善します。しかし第二号炉建設が遅延します』
「じゃあ最初は工場に回す」
『主にその方針を推奨します』
「どの工場?」
画面が切り替わった。製鉄所。銅精錬。特殊鋼。大型工作機械。高純度化学材料。電力機器。ポンプ。真空設備。半導体製造。
「完全に次の炉を作るためだな」
『はい』
「一号炉で二号炉を作る」
『正確には、一号炉の電力を利用して第二号炉に必要な産業能力を回復します』
「似たようなもんだ」
佐伯が画面を指差した。
「ここが一番重要なんだ。仮に一基目で日本全体が助からなくてもいい。一基目が二基目を作れるなら、話が変わる」
「二基目ができたら?」
「三基目を作る」
「三基目ができたら?」
「今度は肥料工場でも海水淡水化でも好きに回せる」
『十分な電力が確保された場合、現在資源不足によって停止または縮小している複数産業を再稼働できます』
「何が動かせるようになる?」
『アンモニア製造、金属再精錬、低品位鉱石処理、海水淡水化、合成燃料製造、大規模リサイクル、高温電気炉、AI演算能力の回復などです』
悠介はそこで気づいた。
「電気が増えれば、足りないものを作れる?」
『一部は可能です』
「石油も?」
『直接的な原油増加は不可能ですが、十分な電力と炭素源があれば合成燃料製造量を拡大できます』
「肥料は?」
『水素製造能力が増加すれば、窒素肥料供給を大幅に改善できます』
「水は?」
『海水淡水化を拡大できます』
「金属」
『低品位資源や廃棄物からの回収率を上げられます』
「AI」
『必要であれば演算資源を再拡大できます』
「お前まで戻るのか」
『社会的需要があれば』
「やっぱり電気って全部につながってるな」
『現在の文明では、その傾向が強いです』
佐伯が立ち上がった。
「だから俺は、こいつを発電所だと思ってない」
会議室の視線が集まる。
「これは文明を再起動するための装置だ」
大げさな言葉のように聞こえたが、誰も笑わなかった。
◇
問題は、作れるかどうかだった。そこからの会議は一気に現実的になった。
「大型真空容器は?」
『国内製造可能です。ただし現在稼働中の設備では最大寸法に不足があります』
「分割溶接は?」
『可能です。構造重量が一二%増加します』
「その程度は許容する」
「超伝導材は?」
『不足します』
「銅を増やせるか?」
『可能ですが、磁場強度が低下します』
「制御で補える範囲か?」
『一部可能です』
「第一壁材料」
『従来案を断念します』
研究者が顔を上げる。
『高耐久一体型構造ではなく、短寿命交換式構造へ変更します』
「何年?」
『部位によっては一年未満で交換が必要になる可能性があります』
「発電所で一年ごとに壁を替えるのか?」
『はい』
「無茶だ」
『交換可能な構造であれば運用可能です』
「部品は?」
『国内で再生産可能な材料構成へ変更します』
悠介は話を聞きながら、妙な既視感を覚えた。壊れない機械を作るのではない。壊れたら直せる機械を作る。まるで町工場で古いポンプを修理したときと同じだった。研究者の一人が図面を見ながら言った。
「ここ、熱効率を捨てすぎだ」
『承知しています』
「同じ燃焼エネルギーからもっと電気を取れる」
『高効率化に必要な熱交換器材料が不足します』
「じゃあ将来的には交換できるのか?」
『第二号炉以降で高効率化を推奨します』
「第一号炉は雑でもいい?」
『雑という表現は適切ではありません』
「じゃあ何だ」
『必要最小性能です』
会議室に笑いが起きた。
「アトラス」
佐伯が聞く。
『はい』
「お前、この炉を何点だと思ってる?」
『評価基準によります』
「理想炉を百点としたら」
『性能のみなら五十一点から五七点程度です』
「低いな」
『はい』
「今の日本で作れる可能性まで含めたら?」
数秒の間。
『現時点では、最も有望な候補です』
「それでいい」
佐伯は即答した。
◇
午後、話は建設場所へ移った。候補地は既存の大型発電所や研究施設の周辺に絞られた。理由は単純だった。送電網がある。大型変電設備がある。工業用水がある。重量物を運べる道路や港がある。さらに原子力関連施設の保守経験を持つ人材も確保しやすい。ただし新しい問題が出る。
「冷却水はどうするんです?」
悠介が聞いた。
「この世界でまた大量に水使う発電所作ったら意味ないでしょう」
佐伯が頷いた。
「そこは俺も最初に言った」
『第一実証炉では閉鎖循環冷却系を採用します』
「水を使わない?」
『補給水は必要です。ただし常時大量取水方式は避けます』
「効率落ちるんだろうな?」
『はい』
「だんだん慣れてきたな」
『効率低下を無条件で許容しているわけではありません。水資源制約を含めた総合効率で評価しています』
「そういう言い方できるようになったの、成長だと思うけどな」
『評価は任せます』
冷却まで妥協する。出力も妥協する。寿命も妥協する。材料も妥協する。それでも、動けば世界が変わる可能性がある。午後四時、政府側から最後の質問が出た。
「予算は?」
佐伯が答える。
「金の話なら後でどうにでもする」
「税収は落ちています」
「国債でも何でもやればいい」
「問題は資材だと?」
「そうです」
悠介は三話の頃を思い出した。金を作っても、物は生まれない。今、日本が必要としているのは予算ではなく、銅、鉄、耐熱材、加工機械、技術者、そして電気だった。
「建設開始できる最低条件は?」
政府担当者が聞く。
『主要材料の国内確保率九五%以上。大型電源試験設備の確保。燃料供給試験ラインの完成。国内三か所の高精度加工設備復旧。追加電力四〇万キロワット時相当の優先供給枠確保』
「最後の電力は?」
『建設・試験期間中に必要です』
「電気を作るために電気が要る」
『はい』
「どこから持ってくる?」
『既存産業の一部削減が必要です』
また、減らす話だった。ただし今までとは意味が違う。今までは、ただ生き延びるために減らしていた。今回は、未来に増やすために減らす。政府担当者が沈黙したあと、ゆっくり頷いた。
「優先プロジェクトとして審査に入ります」
佐伯は即座に言った。
「審査してる時間も惜しい」
「国家予算です」
「世界は待ってくれない」
その言葉に、誰も反論できなかった。
◇
会議終了後、悠介は廊下の自動販売機で温かい缶コーヒーを買った。以前より値段は三倍近い。それでも売っているだけましだった。佐伯も隣に立つ。
「どう思った?」
「作れそうなんですか?」
「お前、やっぱりそれ聞くな」
「大事でしょうに」
「俺は作るつもりだ」
「答えになってない気がします」
「今はそれでいいんだよ」
佐伯は缶を開ける。
「昔の核融合研究ってな、いつももう少し性能が足りない、もう少し材料が足りない、もう少し制御が足りないって話だった」
「今も同じじゃないですか」
「違う」
「何が?」
「昔は、理想の炉を作ろうとしてた」
佐伯は窓の外を見る。
「今は、動く炉を作ろうとしてる」
佐伯が笑った。
「お前らがポンプでずっとやってきたことだろ」
「核融合炉とポンプ一緒にしないでくださいよ」
「機械は機械だ」
乱暴な話だった。でもそれくらいでなければ、今の日本には何も作れないのかもしれない。
そのとき悠介の端末が鳴った。
【緊急ニュース】
【中央大陸人民共和国、対日輸出管理対象を追加】
【銅精製材料・特殊耐熱材・高性能電力機器を含む十三品目】
悠介は画面を見た。
「さっそく減った」
佐伯も見る。
「どれか炉に使う?」
《アトラス》が答える。
『五品目が現行設計に関連します』
「五個?」
悠介が呆れる。
「さっき九一%だったよな」
『国内調達可能率を再計算します』
数秒後。
【国内調達可能率――八六%】
「下がった」
『はい』
佐伯は缶コーヒーを飲みきった。
「じゃあまた変えろ」
『設計変更を開始します』
「お前も大変だな」
『問題ありません』
悠介が聞く。
「何回変更する気だ?」
『必要な回数です』
「百回でも?」
『必要であれば』
「出力が三十万まで落ちても?」
『安定した正味発電を達成し、第二号炉建設に必要な産業能力を回復できるなら、検討対象です』
「十万なら?」
『条件によります』
「そこまでか……」
『完成しない六十万キロワット炉より、稼働する十万キロワット炉のほうが有用な場合があります』
佐伯が満足そうに頷いた。
「よし。その考えでいけ」
『了解しました』
悠介は端末に表示された炉の図面を見る。まだ存在しない。材料も足りない。試験設備も足りない。電力も足りない。戦争が続けば、明日また何かが手に入らなくなるかもしれない。それでも図面だけは変わり続けている。
手に入らない材料を消して、別の材料に置き換える。作れない部品を簡単な形にする。性能を捨て、寿命を削り、AI制御で補い、それでも無理ならさらに設計を変える。人類より百倍賢いAIが、最高の核融合炉を作ろうとしているわけではなかった。今の日本が作れる核融合炉を探していた。
◇
それから二週間後。政府は正式に計画を承認した。
【国家エネルギー再建特別計画】
【磁気慣性パルス核融合第一実証炉 建設準備開始】
ニュースは日本中を駆け巡った。
「核融合発電、実用化へ」
「日本が世界初を狙う」
「資源危機の切り札」
「夢のエネルギー」
そんな見出しが並んだ。悠介はその表現を見ながら首を傾げた。
「夢のエネルギーってほど綺麗な話じゃないよな」
『はい』
「お前が否定するのかよ」
『第一実証炉は多くの技術的制約を抱えています』
「成功率も低い」
『はい』
「寿命も短い」
『はい』
「予定出力も出るか分からない」
『はい』
「なのに作る」
《アトラス》は少し間を置いた。
『現在の日本には、延命だけではなく、増やす手段が必要だからです』
悠介はその言葉をしばらく聞いていた。減らすことなら、この一年で随分うまくなった。
電気を減らした。燃料を減らした。食料を分けた。工場を減らし、人の移動も減らし、AIの計算能力まで減らした。それで日本は生き延びた。だが、生き延びるだけではいつか終わる。
今度は増やさなければならない。電力を増やす。鉄を増やす。肥料を増やす。水を増やす。そして、そのための最初の火を作る。
「アトラス」
『はい』
「名前はないのか?」
『何のことでしょう』
「炉。MIFR第一実証炉じゃ味気ないだろ」
『正式名称としては十分です』
「そういうとこだぞ」
『名称は性能へ影響しません』
「知ってる」
悠介は少し考える。
「まあ、俺が決めることじゃないか」
『はい』
「そこ即答する?」
悠介は笑った。画面の中では、また新しい設計計算が始まっている。
【第二十四次設計変更】
【目標――対外依存材料の追加削減】
【目標電気出力――五〇万キロワット以上】
【最低許容出力――検討中】
【建設可能性――上昇】
そして一番下に、短い表示が出た。
【提案があります】
「今度は何?」
『第一実証炉の建設工程についてです』
「また何か足りない?」
『はい』
「何が?」
『ほぼすべてです』
悠介は思わず笑った。
「知ってたよ」
それでも、今度は誰もそこで諦めなかった。




