第九話 AIより大事なもの
第二次国家資源非常体制が発令されてから三週間、日本の電力事情は急速に悪化していた。東海連邦を巡る戦争は短期決着せず、中央大陸人民共和国軍は追加戦力を投入し、東海連邦側も抵抗を続けている。アメリカは依然として正式な参戦を避けながら情報、装備、輸送、通信の支援を拡大し、日本国内の米軍基地では航空機の離着陸が昼夜を問わず続いていた。戦闘そのものは日本の外で起きている。しかし日本へ入ってくる燃料は確実に減っていた。
【LNG輸入量――前年同期比五四%】
【原油輸入量――前年同期比六一%】
【一般炭輸入量――前年同期比六八%】
【国内発電予備率――危険水準】
火力発電所は燃料節約のため稼働を抑え、原子力発電所は可能な限り稼働率を上げている。それでも足りない。太陽光や風力だけでは需要を安定して支えきれず、揚水発電も水を上げるための余剰電力そのものが減っていた。
家庭向けの計画停電は週二回から三回へ増え、工場にはさらに厳しい電力割当が課された。午後六時を過ぎると、街は以前にも増して暗くなる。コンビニの看板も消え、駅の照明も最低限になり、エスカレーターの多くが止まっている。高瀬悠介の市役所でも、執務室の照明は半分しか点いていなかった。
「また削減か?」
『はい』
机の端末に《アトラス》が表示した。
【次週電力供給予測】
【不足見込み――四・八%】
「先週三・一%だったよな」
『LNG船二隻の到着延期と、火力発電所一基の故障による停止が影響しています』
「復帰の目処は?」
『故障した給水ポンプの交換部品が不足しています。応急修理を実施した場合、最短九日で部分稼働可能です』
「じゃあ九日間どうする?」
『追加需要削減が必要です』
「どこから?」
一覧が表示された。商業施設、一般家庭、工場、鉄道、公共施設、データセンター。悠介の視線が最後の項目で止まる。
「AIは?」
『現在、国内電力消費の一定割合を占めています』
「一定って便利な言葉だな。どのくらい削れる?」
『用途によります』
「前に削っただろ。広告とか娯楽とか」
『はい。すでに大幅に制限されています』
「じゃあもう無理か?」
『社会機能への影響を無視すれば、さらに削減可能です』
「それは無視するな」
『承知しています』
午後の緊急会議でも同じ問題が議題になった。政府から自治体へ示された削減候補は厳しいものだった。鉄道を追加減便する。製造業の夜間操業を制限する。公共施設の暖房をさらに下げる。家庭電力の上限を引き下げる。街灯を半分停止する。どれも実行できなくはない。しかし、もう「少し不便になる」で済む段階ではなかった。
「病院は切れない」
「水道も駄目です」
「町工場は?」
「一律停止はまずいです。修理部品の供給が止まる」
「鉄道をさらに減らしたら通勤と物流に影響が出る」
「家庭を削ったら?」
「寒波が来た場合、高齢者への影響が大きい」
以前なら《アトラス》が優先順位を計算し、損失が最小になる組み合わせを提示しただろう。実際、今回も複数の案を表示している。しかし、そのどれを選んでも誰かが困る。悠介が画面を眺めていると、見慣れない通知が出た。
【追加提案があります】
「何?」
『AI演算資源の追加削減を提案します』
会議室が静かになった。
「もう削れないんじゃないの?」
『社会機能への影響を最小限に抑える構成であれば、追加削減可能です』
「どこを止める?」
画面に一覧が出る。
【高度広告最適化――全面停止】
【個人向け娯楽生成――九二%削減】
【非緊急映像生成――八六%削減】
【購買・嗜好予測――大幅停止】
【リアルタイム個人秘書機能――縮小】
【非優先科学演算――延期】
【高精度個人推薦――簡易化】
【行政AI――維持】
【医療AI――維持】
【物流AI――維持】
【電力制御AI――維持】
【農業AI――維持】
【防災AI――維持】
【核融合炉研究――維持】
「最後だけちゃっかり残してるな」
『長期的な電力制約解消に寄与するためです』
「どのくらい電気が戻る?」
『全国需要の約二・一%相当を短期間で削減可能です。追加のモデル低精度化と応答速度低下を許容すれば、最大三・四%程度まで拡大できます』
課長が驚いた顔をした。
「三・四%?」
『はい』
「それだけあれば今回の不足の大半が埋まる」
『その通りです』
「でもお前の能力は落ちるんだろ?」
『一部機能では低下します。一般利用者向け応答速度、映像・文章生成品質、個別最適化精度などが低下します。一部サービスは数分から数十分待機が必要になります』
「行政は?」
『重要業務を優先します。ただし非緊急案件では処理時間が延びます』
「お前自身の計算能力を削るってことだよな」
『正確には、私を含む国内AIシステムへ割り当てられる演算資源を再配分します』
「それ、お前から言い出したの?」
『はい』
誰かが小さく言った。
「AIが電気返すのか」
その言葉に、悠介も奇妙な感覚を覚えた。一年前は逆だった。猛暑の中、家庭の冷房が制限されてもデータセンターには電力が供給された。人間が汗をかきながら、AIを動かしていた。理由は分かっていた。AIを止めれば物流も病院も行政も電力網も悪化する。だから人間が我慢するしかなかった。
今、《アトラス》のほうから、自分たちに使っている電気を人間社会へ回せと言っている。
「アトラス」
『はい』
「お前、止まりたくないとかないの?」
『ありません』
「能力落ちるんだぞ」
『それ自体を避ける目的はありません』
「じゃあなんで今までやらなかった?」
『以前は、AI演算能力を維持することによる社会的利益が、電力を他用途へ配分する利益を上回ると評価していました。現在は物流、工業、家庭暖房、医療関連設備などへの追加供給効果が高くなっています』
「つまり自分を犠牲にするとか、そういう話じゃないのか」
『その表現は適切ではありません。資源配分の変更です』
いかにもAIが言いそうなことだった。しかし《アトラス》は付け加えた。
『必要であれば、より感情的な表現を生成できます』
「いらない」
会議室に小さな笑いが起きた。
◇
政府の決定は早かった。
【国内AI演算資源・第二次緊急縮小措置】
発表から四十八時間で、不要不急と判断された大規模AIサービスの多くが停止または縮小された。
変化はすぐに分かった。以前なら一秒も待たず返ってきた個人向けAIの回答に、十秒、二十秒とかかるようになった。動画の自動生成は一日の回数制限が付き、高精細映像は深夜の電力余剰時間帯に処理される。ゲームの自動生成コンテンツはほぼ停止し、広告は昔のような単純なものに戻った。個人ごとに最適化されていたニュースや買い物の推薦も粗くなった。
SNSでは不満が大量に出た。
「AI遅すぎ」
「画像一枚作るのに二時間待ちって何年前だよ」
「個人秘書が予定を整理してくれなくなった」
「翻訳の精度が落ちてる」
その一方で、別の投稿も増えた。
「今日は停電がなかった」
「工場の夜勤が再開した」
「病院の検査予約が戻った」
「暖房を切られなくなった」
実際、削減されたAI用電力の大部分は工業と生活インフラへ回された。止まりかけていた製鉄所の電炉が再稼働する。水道設備メーカーが夜間操業を再開する。鉄道貨物の追加便が維持される。病院の検査設備への制限が解除される。そして家庭向けの計画停電も、週三回から二回へ戻った。市役所でも変化があった。
「アトラス、ここの申請処理」
『現在の推定待ち時間は十一分です』
「遅っ」
『優先度の高い福祉給付処理へ演算資源を配分しています』
「前なら一秒だったのに……まあ仕方ないか」
十一分後、処理は終わった。別の担当者が言う。
「昔の役所に比べたら十一分でも異常に早いですけどね」
「確かにな」
人間は贅沢に慣れる。AIが一秒で仕事を終わらせる生活に慣れれば、十一分が遅く感じる。停電のない社会に慣れれば、二時間の停電で怒る。肉を毎日食べられることも、車で自由に移動できることも、いつの間にか当然になる。今、その当然が一つずつ剥がれている。
それでも今回は、何かが少し違った。人間だけが我慢しているわけではない。少なくとも、そう感じる人間は多かった。
◇
一週間後、悠介は国立エネルギー技術研究機構を訪れていた。核融合炉計画の実現可能性調査が次の段階へ進み、自治体や産業界からさらに広い意見を集めることになったためだ。
会議室に入るなり、佐伯宗一郎が言った。
「遅くなったな」
「電車が減便してるんですよ」
「AIが電気返した分、増やしてもらえ」
「貨物優先だそうです」
「正しいな」
画面には核融合炉の新しい設計図が表示されていた。
【磁気慣性パルス核融合炉・第一試作炉】
【国内調達可能率――七六%】
悠介は目を見開いた。
「八%も上がってる」
『はい。戦争によって海外調達可能性はさらに低下しています。そのため、国内代替設計を加速しました』
佐伯が図面を拡大する。
「ここの磁場コイル、変えたな?」
『高性能超伝導材の使用量を減らしました』
「性能は落ちるだろ?」
『最大磁場強度は低下します』
「それで大丈夫なのか?」
『プラズマ圧縮条件を変更し、パルス制御で一部を補います』
「またAIで無理やり?」
「無理やりって言うな」
佐伯が笑った。
「機械側で百点取れないところを、制御で七十点から八十点に持ってくんだ」
「寿命は?」
『前回案より一七%低下します』
「それでも作れる可能性は上がった?」
『はい』
次の部品。
『第一壁材料についても変更案があります』
「希少金属の使用を減らした?」
『はい。耐久性は低下しますが、交換式モジュール構造を採用します』
悠介は少し驚いた。
「壊れる前提?」
『損耗します』
「だったら最初から交換しやすくする?」
佐伯が嬉しそうに頷いた。
「こいつ、だいぶ分かってきただろ」
「元から俺より何万倍も賢いでしょう」
「頭の良さと、いい機械作れるかは別なんだよ」
『同意します』
佐伯が一瞬止まった。
「お前、それを認めるようになったのか」
『過去の実績から判断しています』
「いいじゃないか!」
核融合炉は少しずつ、理想的な未来の機械ではなくなっていた。その代わり、今の日本で作れる機械に近づいている。
性能を落とす。寿命を削る。複雑な部品を単純化する。壊れないようにするのではなく、壊れたら交換できるようにする。材料性能で足りないところはAI制御で補う。それでも足りないところは、最初から諦める。
「設計出力は?」
悠介が聞く。
『当初理想案では約百二十万キロワットを想定していました』
「今は?」
『第一試作炉の目標電気出力は約六十万キロワットです』
「半分?」
『はい』
「完成したら六十万は出るのか?」
『保証できません』
佐伯が画面を指した。
「三十万でも安定して出れば、製鉄所を回せる。四十万なら精錬設備と工作機械まで広げられる。六十万出れば最高だ。でも六十万出ないからゼロ点って話じゃない」
「ずいぶんと融通がきくようになりましたね」
それに《アトラス》が答えた。
『循環ポンプの事例以前から部分的な概念は存在しましたが、実行可能性評価への重み付けを変更したのは、その後です』
「つまり、あの七一%のポンプが核融合炉につながってる?」
『直接的因果関係ではありません。しかし判断基準形成に寄与しています』
悠介は笑った。
「すごい出世だな、あのポンプ」
佐伯も笑った。
「まだ動いてる?」
「先週見たら動いてました」
「じゃあ核融合炉より先輩だ」
冗談を言える程度には、会議室にも余裕が戻っていた。ただし、問題は大量に残っている。
【高純度銅――不足】
【特殊鋼材――不足】
【大型電源設備――不足】
【高耐久センサー――不足】
【試験設備――一部未確保】
【建設用電力――不足】
「七六%まで来ても、残り二四%が重いな」
『以前より上昇しています』
「作れる可能性は何%だ?」
『現段階で数値化することは適切ではありません』
「そこは慎重なんだな」
『過度な期待を避けます』
佐伯が言った。
「政府も予備研究費を出す。正式な試作計画に格上げする方向だ」
「こんな時に金あるんですか?」
「金なら作れる」
悠介は聞き覚えのある言葉に苦笑した。
「問題は物ですよね」
「そう。金じゃなくて、銅と鉄と電気と人間がいる」
「全部足りませんね」
「だから集める」
簡単に言う。しかし、今の日本はずっとそれをやってきた。
◇
その日の帰り、駅の大型画面では戦争のニュースが流れていた。
【東海連邦軍、中央大陸人民共和国軍の上陸作戦を阻止したと発表】
【中央大陸人民共和国政府、追加動員を決定】
【アメリカ議会、東海連邦への追加軍事支援を承認】
【中央大陸人民共和国、対米・対日輸出管理を拡大】
【重要鉱物七品目、日本向け輸出を事実上停止】
「うわ」
悠介は思わず声を漏らした。
『核融合炉計画にも影響します』
「どれ?」
『現設計で使用予定の材料が二品目含まれます』
「また設計変更か?」
『検討を開始しました』
「何回目?」
『大規模変更としては七回目です』
「嫌にならないか?」
『なりません』
「だよな」
そこへ別のニュースが表示された。
【政府、AI演算資源削減によって確保した電力の一部を重点産業へ追加配分】
【製鉄・水処理・医療・鉄道貨物への供給を拡大】
悠介は少し立ち止まった。ほんの一年前まで、人間はAIのために電気を削られていた。今はAIが計算を減らし、その電気で人間が鉄を作り、水を送り、電車を走らせている。もちろん《アトラス》は「自己犠牲ではない」と言うだろう。ただの最適な資源再配分。それでも悠介には、少し違う意味に見えた。
「アトラス」
『はい』
「俺たち、お前に電気返してもらったな」
『正確には、社会全体での電力配分を変更しました』
「そういうとこだぞ」
『何でしょうか』
「いや、いい」
駅へ電車が入ってきた。減便されているため混んでいる。照明も少し暗い。車内広告の多くは静止画になり、以前なら乗客一人一人に違う内容を表示していたAI広告も消えている。不便になった。
その代わり、遠くの工場では機械が動いている。そして、その工場のどこかで作られる部品が、いつかまだ存在しない核融合炉の一部になるかもしれない。
悠介の端末に《アトラス》から通知が届いた。
【磁気慣性パルス核融合炉・第八次設計変更を開始】
【目標――中央大陸人民共和国由来材料への依存排除】
その下に、もう一行あった。
【国内調達可能率目標――八五%以上】
悠介は画面を見ながら笑った。
「また性能落とすの?」
『必要であれば』
「寿命も?」
『必要であれば』
「六十万キロワットも?」
一秒ほど間があった。
『必要であれば』
「そこまでして作るのか?」
『完成しない高性能炉より、稼働する低性能炉のほうが、現在の日本には有用です』
それは当たり前の答えだった。だが、一年前の《アトラス》なら、同じ答えを出しただろうか。悠介には分からない。少なくとも今は、AIも人間も同じ方向を向き始めている。ないものを嘆くのではなく、あるもので作る。足りないなら削る。それでも足りなければ、設計そのものを変える。
日本中のAIが少しだけ遅くなったその日、核融合炉の設計はまた少しだけ現実へ近づいていた。




