90話:命令か?
「そうだ」
グロマールは短く答えた。
夜風が村の外壁を撫でる。
巨大化した農地では、風属性班が水流を運び、土属性班が地脈を整え、光属性班が病害を浄化している。
食料充足率三〇〇%超。
かつて飢えていた村とは思えなかった。
小麦。
芋。
豆。
玉蜀黍。
果樹園ではリンゴと柑橘が揺れ、巨大倉庫には穀物が積み上がる。
紡織産業も拡大した。
ドワーフの織機。
エルフの染色。
魔族の耐魔加工。
全てが循環していた。
人が増えた。
仕事が増えた。
笑顔が増えた。
そして――守るものも増えた。
村の中央広場。
夜警交代を終えたミレナが、剣を腰に差しながらグロマールを見ていた。
「……命令なの?」
その問いは、小さかった。
グロマールは少しだけ視線を向ける。
「何がだ」
「皆を守ること」
ミレナは唇を噛んだ。
「あなたは、ずっと働いてる。眠らない。止まらない。全部抱えてる」
グロマールは否定しない。
彼の魔力循環は、既に人間の領域を超えていた。
魔力吸収。
魔力操作。
魔力循環。
三つが噛み合った結果、彼は事実上の無限魔力を獲得している。
それでも。
疲労が無いわけではない。
責任は、魔力では消えない。
「命令かって聞いてるの」
ミレナは再度問う。
グロマールはしばらく沈黙した後、静かに答えた。
「そうだ」
ミレナの肩が微かに震える。
「……誰の」
「俺自身の」
その瞬間だった。
索敵班の通信機が一斉に鳴る。
村中へ緊張が走った。
セレスが即座に通信を開く。
『北西! 飛行型魔物多数! 高速接近!』
『数は!?』
『千以上!』
空気が変わる。
マイクが即座に叫んだ。
「防衛隊! 配置につけぇ!!」
鐘が鳴る。
村人達が迷わず動く。
もう誰も怯えていなかった。
教育が、人を変えた。
環境が、人を育てた。
かつて魔力を扱えなかった農民達は、今や五属性を応用し戦術を組み立てる。
巨大外壁の上。
グロマールは夜空を見上げた。
来る。
黒い雲のような影。
羽音。
毒。
殺意。
キラービー。
千体を超える大群だった。
巨大な蜂型魔物。
鋼のような外骨格。
猛毒の針。
集団戦術。
普通の村なら、一夜で壊滅する。
キラービーの群れは、空を埋め尽くしていた。
「来るぞ!」
次の瞬間。
無数の毒針が降り注ぐ。
雨のようだった。
しかし。
防衛隊は動じない。
水属性班が同時展開。
「アイスドーム!」
巨大な氷壁が村を包む。
半球状の防御障壁。
氷。
水。
土。
三属性を重ねた複合防壁。
毒針が突き刺さる。
だが貫通しない。
光属性班が即座に浄化。
「毒反応確認! 浄化開始!」
緑色だった毒液が白く消えていく。
風属性班が叫ぶ。
「右上空! 第二波!」
キラービーが急降下してくる。
防壁の隙間を狙っていた。
その瞬間。
マイクが笑った。
「遅ぇんだよ」
水属性魔法。
ウォーターマスク。
水球が高速でキラービーの頭部へ着弾する。
蜂が暴れる。
呼吸を奪われる。
そこへ。
「凍れ」
氷属性変換。
ウォーターマスクは即座にアイスマスクへ変貌。
頭部ごと凍結。
落下。
砕ける。
一体。
二体。
十体。
百体。
村全体で同じ戦術が展開される。
水で覆う。
凍らせる。
落とす。
完全な連携だった。
「前列交代!」
「魔力循環維持!」
「右壁補強!」
「索敵更新!」
声が飛ぶ。
だが混乱は無い。
教育がある。
役割がある。
理解がある。
グロマールは外壁の上から全てを見ていた。
彼が戦っているわけではない。
皆が戦っている。
それが重要だった。
セレスが隣に立つ。
「……完全に軍隊ね」
「違う」
「え?」
「これは生活だ」
グロマールの視線は静かだった。
「守るために学んだ」
「生きるために覚えた」
「だから続く」
セレスは少しだけ笑う。
「本当に変な人」
その時だった。
巨大な羽音。
通常個体とは違う。
群れの中央。
三倍以上ある巨大個体。
キラービークイーン。
腹部が異常膨張していた。
「毒弾来る!」
索敵班が叫ぶ。
瞬間。
紫色の巨大毒液が放たれた。
氷壁へ直撃。
轟音。
一部が溶ける。
マイクが舌打ちした。
「硬ぇ!」
ミレナが剣を抜く。
「私が行く」
「援護する」
レイナが並ぶ。
防壁上。
ミレナは深く息を吸う。
剣聖スキル。
身体強化。
筋肉強化。
魔力循環。
全てが重なる。
地面を蹴った。
速い。
もう元王国騎士達ですら追えない。
風を裂く。
キラービークイーンが毒針を放つ。
ミレナは避けない。
氷壁を足場に加速。
レイナが横から蹴り飛ばす。
軌道が逸れる。
ミレナが踏み込む。
「はぁぁぁ!!」
斬撃。
光属性付与。
キラービークイーンの羽が断裂。
落下。
そこへ。
索敵班が拘束魔法。
土鎖。
闇縛。
氷杭。
完全固定。
マイクが笑う。
「終わりだ」
ウォーターマスク。
巨大水球がキラービークイーンを覆う。
暴れる。
もがく。
呼吸を失う。
直後。
完全凍結。
砕け散った。
静寂。
そして。
歓声。
「やったぁぁ!!」
「勝った!」
「全部落とせ!!」
キラービー達は統率を失う。
防衛隊が一斉反撃。
氷槍。
風刃。
光弾。
水弾。
夜空が魔法で埋め尽くされた。
十分後。
戦闘終了。
地面には無数のキラービーの死骸。
解体班が即座に動く。
「毒袋分別!」
「外骨格こっち!」
「ローヤルゼリー確保!」
「魔石回収急げ!」
全員が迷わない。
薬師班が毒腺を受け取る。
「これ、希少毒だわ……解毒薬にも使える」
武器班が外骨格を確認。
「軽い……しかも硬ぇ」
調理班は巨大容器を並べていた。
ローヤルゼリー。
蜂蜜。
香草。
魔力煮込み。
村人達が湯気を囲む。
子供達が笑っている。
泣いていない。
誰も怯えていない。
かつては違った。
病で死んだ。
飢えで倒れた。
貧困で奪われた。
教育が無かった。
力が無かった。
だから選べなかった。
今は違う。
ピーターが子供達に言う。
「危ない時は、必ず声を出してね」
「うん!」
ミネルバは怪我人を診て回る。
「毒反応なし。大丈夫ですよ」
ジミーは既に物流計算を始めていた。
「蜂蜜は高級品だぞ……これ他国に流したら金貨が飛ぶ」
マイクは笑いながら巨大釜を運ぶ。
「飯だ飯!」
レイナは静かに周囲を警戒していた。
ミレナは、そんな光景を見ていた。
守れた。
皆で。
グロマール一人じゃない。
村全員で。
彼女はゆっくり振り返る。
グロマールは、少し離れた場所から村を見ていた。
誰より戦ったわけじゃない。
誰より目立ったわけでもない。
それでも。
この循環の中心にいる。
ミレナが近づく。
「……命令なんだよね」
グロマールは視線を向けない。
「ああ」
「なら」
ミレナは小さく笑った。
頬が少し赤い。
「私も従う」
夜風が吹く。
遠くでは、子供達の笑い声。
料理班の湯気。
鍛冶場の火。
農地を流れる水。
巨大倉庫。
紡織工場。
学校。
治療院。
通信機を使って笑い合う村人達。
全部、生きている。
グロマールは静かに目を閉じた。
英雄ではない。
王でもない。
支配者でもない。
ただ。
循環を始めた人だった。




