89話:離れるな
夜の市場は、昼とは違う熱を持っていた。
酒場から笑い声が漏れる。
蒸留酒の香り。
焼いた肉。
果実酒。
魔導灯の明かりが石畳を照らし、人々の影がゆっくり揺れていた。
かつて飢えに沈み、病で人が倒れ、夜になれば怯えて戸を閉めていた村とは思えない。
今は違う。
人が歩く。
笑う。
未来を話す。
その変化を最も理解しているのは、最初期から村を知る者たちだった。
市場中央。
巨大な物流倉庫の前で、ジミーは帳簿を睨んでいた。
「東側倉庫、果実酒の在庫増やせ。ラム酒は第二倉庫だ。焼酎は北側へ回す」
「了解!」
「ダグラス商会への積み込み急げ。朝一で出るぞ!」
「はい!」
周囲の商人たちが慌ただしく動く。
物流ゴーレム五十体。
通信機。
冷蔵倉庫。
冷凍倉庫。
価格調整。
在庫管理。
市場支配。
全部が噛み合い始めていた。
そして。
その中心にいるのがジミーだった。
昔は違う。
調子が良かった。
楽をしたかった。
強い側につきたかった。
生き残るための“ズルさ”を知っていた。
だから商売の才能があった。
人の欲を見る。
誤魔化しを見る。
相場の歪みを見る。
貧困が、彼に数字を教えた。
今。
その才能は、村そのものを動かしていた。
「ジミーさん!」
声が飛ぶ。
振り返る。
エルフの美女だった。
長い銀髪。
美しい。
気品すらある。
彼女は酒瓶を抱えていた。
「この果実酒、とても評判です」
「そりゃよかった」
「……少しお話しませんか?」
距離が近い。
かなり近い。
だが。
ジミーは普通に帳簿を見続ける。
「あとでな。今在庫死ぬほど動いてんだ」
エルフ美女が少し笑う。
「仕事熱心なのね」
「止まると全部崩れるからな」
それは本音だった。
この村は急成長している。
だからこそ、一つ止まるだけで連鎖する。
物流。
食料。
酒。
魔石。
武器。
農業。
全部繋がっている。
ジミーは、それを理解していた。
次に来たのはドワーフの女だった。
小柄。
元気。
愛嬌がある。
「ジミー! これ食べるか!?」
焼き菓子を押し付ける。
「おう、ありがと」
「今日も働きすぎだ!」
「しゃーねぇだろ」
「たまには休め!」
「休んだら倉庫止まる」
ドワーフ女が頬を膨らませる。
「……好きだぞ、そういうとこ」
「ん?」
「な、なんでもない!」
逃げた。
周囲の商人たちがニヤニヤしている。
ジミーだけが気づいていない。
さらに。
獣人の女。
褐色肌。
しなやかな身体。
鋭い目。
彼女は真正面から言った。
「私は、あなたみたいな男が好き」
直球だった。
ジミーが止まる。
「……急だな」
「回りくどいの嫌い」
獣人女は真っ直ぐ見つめる。
「頭がいい。強い。責任感がある。だから好き」
ジミーは困った顔をした。
昔なら調子に乗っていた。
軽口も叩いていた。
でも今は違う。
「悪ぃ」
即答だった。
獣人女が目を丸くする。
「即答?」
「好きな奴いるからな」
「……そう」
獣人女は少しだけ笑った。
「なら仕方ない」
さっぱりしている。
去っていく。
次。
魔族の美女。
妖艶。
黒髪。
視線が熱い。
「ジミー様」
「様はやめろ」
「私は、あなたへ仕えたい」
「仕事なら歓迎」
「違います」
はっきり言う。
「男としてです」
周囲が静まる。
ジミーは頭を掻いた。
「……ありがとな」
「ですが?」
「俺、決めてるから」
魔族美女が目を細める。
「エバ様ですか」
否定しない。
それだけで答えだった。
魔族美女は静かに笑う。
「負けました」
潔かった。
次。
ダークエルフ。
長身。
圧倒的な色気。
ゆっくり近づく。
「ジミーさん」
腕を絡める。
柔らかい感触。
周囲の男たちが絶望した。
だが。
ジミーは冷静だった。
「危ねぇぞ」
「何が?」
「今酒樽運んでる」
「……そこ?」
本当にそこだった。
ダークエルフ美女が吹き出す。
「変な男」
「よく言われる」
「好きよ」
「悪ぃな」
ブレない。
全くブレない。
さらに。
ヒューマンの女。
真面目そうな娘だった。
「私、ずっと見てました」
「ん?」
「誰より働いてる」
ジミーは少し苦笑する。
「働かねぇと村回らねぇしな」
「そういう所です」
彼女は少し赤くなる。
「好きです」
静かな告白だった。
ジミーは真っ直ぐ答える。
「ありがとな」
「……でも駄目ですよね」
「悪ぃ」
「エバさん?」
「ああ」
彼女は少し寂しそうに笑った。
「なら勝てません」
そう言って去っていく。
その一部始終を。
少し離れた場所からエバが見ていた。
夜風が髪を揺らす。
隣にはレイナ。
護衛の女格闘士だ。
レイナがニヤニヤしていた。
「モテますねぇ、あの男」
「……そうね」
エバは静かに答える。
昔のジミーを知っている。
軽薄だった。
口も軽かった。
調子にも乗っていた。
でも。
逃げなかった。
商売を学んだ。
在庫を覚えた。
原価を覚えた。
責任を覚えた。
そして今。
村の物流は、ほぼジミー一人で回している。
誰より忙しい。
誰より働く。
だから皆が頼る。
エバは静かにジミーを見る。
女たちに囲まれても。
揺れない。
昔の彼なら絶対調子に乗っていた。
でも今は違う。
彼は、自分の立つ場所を理解している。
それが少し嬉しかった。
胸が熱くなる。
レイナが笑う。
「顔赤いですよ」
「赤くないわ」
「いや赤いです」
「……黙って」
レイナが肩を震わせる。
その時。
ジミーがこちらへ気づいた。
「あ、エバ」
一瞬で空気が変わる。
さっきまで冷静だった男が、少しだけ表情を柔らかくした。
それを見て。
周囲の美女たちが理解する。
ああ。
この男。
本気なんだ、と。
ジミーが近づく。
「こんなとこいたのか」
「見回りよ」
「もう終わったろ」
「まだ少しあるわ」
ジミーは少し黙った。
言葉を選ぶ。
昔なら軽口だった。
でも今は違う。
そして。
小さく言った。
「……離れるなよ」
エバが目を見開く。
ジミーは少し視線を逸らす。
「最近色々増えすぎてるからな」
魔物。
物流。
移民。
市場。
敵。
全部が拡大している。
だから。
大事なものを失いたくなかった。
それが本音だった。
エバは少しだけ笑う。
「離れないわよ」
その言葉で。
ジミーはようやく安心したように息を吐いた。
レイナが後ろでニヤニヤしている。
「青春ですねぇ」
「うるさい」
珍しく。
ジミーが照れていた。
市場の灯りが揺れる。
人が笑う。
酒が流れる。
物流ゴーレムが静かに荷を運ぶ。
この村は、もう止まらない。
そして。
その中心には。
守りたい誰かのために働く人間たちがいた。




