84話:行くなよ
昼下がりの市場は、今日も騒がしかった。
酒場街では昼酒を始めるドワーフたちが笑い、紡織区画では大量の布が運ばれている。果樹区画からは柑橘の香りが流れ、料理班では新しい煮込み料理の試作が行われていた。
戦いが終わった後とは思えない。
それでも、この村にとっては普通になり始めていた。
戦う。
守る。
解体する。
加工する。
食べる。
流通する。
全部が循環している。
その中央通りで、マイクは大声を上げていた。
「だからそっちじゃねぇって!」
物流ゴーレムが荷車を引っ掛けそうになり、彼が慌てて方向修正している。
巨大な腕。
鍛え抜かれた身体。
日焼けした肌。
汗だくになりながら怒鳴る姿は、妙に目立っていた。
そして。
周囲の女たちの視線も、妙に集まっていた。
エルフの女が頬杖をつく。
「……かっこいい」
隣のドワーフ女が鼻を鳴らす。
「馬鹿っぽいけどな」
「でも強いわよ」
「腕も太い」
さらに魔族の美女が微笑む。
「子供に好かれる男は悪くないわ」
周囲で聞いていた若い娘たちが頷く。
マイク本人は全く気づいていなかった。
荷車を支え、子供を抱え、物流ゴーレムを叩いている。
働きすぎである。
だが。
村の女たちが放っておくわけがなかった。
男前。
マッチョ。
強い。
しかも仲間思い。
さらに。
村防衛隊長。
人気が出ない理由がない。
獣人の女が笑う。
「嫁候補何人いるんだろ」
「数えたら怖いわよ」
そんな会話が普通に飛び交う。
その頃。
市場北区画では、別方向で人が集まっていた。
ジミーだった。
「この流通量で価格維持できてるの頭おかしいだろ……」
商人たちが頭を抱えている。
対するジミーは、帳簿を片手に笑っていた。
「だから回転率だって」
彼は以前より遥かに洗練されていた。
調子がいい。
要領がいい。
それは変わらない。
だが。
今は責任を背負っている。
在庫。
流通。
相場。
全部見ている。
そして。
ちゃんと回している。
ダグラス商会の幹部ですら感嘆していた。
「……本物だな」
ジミーは笑う。
「そりゃどうも」
周囲では、種族問わず女たちが視線を向けていた。
エルフ。
ダークエルフ。
人族。
魔族。
全部いる。
頭がいい。
甲斐性がある。
しかも男前。
さらに今や、この村の経済中枢。
人気が出ないわけがない。
だが。
ジミー本人は、妙に距離を取っていた。
理由は単純。
エバだった。
市場の隅。
エバはいつも通り静かに立っている。
無表情。
冷静。
周囲を見ている。
そこへジミーが飲み物を持ってくる。
「休めよ」
エバが見る。
「忙しい」
「お前いつもそれだな」
ジミーは苦笑した。
エバは年上だった。
しかも近寄り難い。
怖い。
冷たい。
そう思われやすい。
だが。
ジミーは知っていた。
彼女が誰よりも周囲を見ていることを。
誰よりも危険を先に察知していることを。
誰よりも、人を守ろうとしていることを。
だから好きだった。
ただ。
少し気にしていた。
歳の差。
立場。
周囲。
エバが静かに言う。
「また女に囲まれてた」
ジミーが吹き出しそうになる。
「見てたのか?」
「見える」
短い返答。
だが。
少しだけ機嫌が悪そうだった。
ジミーは頭を掻く。
「俺、そういうの興味ねぇし」
エバが小さく眉を動かす。
「……そう」
その反応だけで、ジミーは少し嬉しくなった。
その頃。
教育区画では、ピーターが子供たちへ魔力循環を教えていた。
「呼吸を止めないでください」
穏やかな声。
優しい教え方。
子供たちも安心している。
以前のピーターなら考えられなかった。
泣き虫で。
自信がなくて。
失敗ばかりだった。
今は違う。
教導スキル。
治癒師。
教師。
村の精神支柱。
全部を背負い始めている。
そして。
そんな彼もまた、異常にモテていた。
若い女治癒師たちが小声で話す。
「優しい……」
「教え方うまい」
「顔もいいのよね……」
さらにエルフの女まで頷いている。
「声が落ち着く」
だが。
ピーター本人は全く別方向を見ていた。
治療院。
そこにいるミネルバ。
彼女が笑っているだけで、安心してしまう。
それがピーターだった。
休憩時間。
ミネルバが温かい茶を持ってくる。
「少し休んでください」
ピーターが慌てる。
「あ、ありがとうございます!」
周囲の女たちが静かに絶望していた。
「あー……」
「無理ね」
「完全にあっち見てる」
ミネルバは鈍かった。
だから周囲の視線に気づいていない。
ただ。
ピーターの疲労には敏感だった。
「最近、無理してますよね」
「え、いや」
「顔色悪いです」
優しい声。
ピーターは耳まで赤くなる。
周囲の治癒師たちが頭を抱えていた。
「勝てない……」
その頃。
中央管理棟の二階。
セレスは窓から全部見ていた。
「……面白い」
完全に面白がっている。
隣でミレナが呆れていた。
「何してるの」
「観察」
「暇なの?」
「忙しいから息抜き」
セレスは笑う。
「マイクは完全に天然ね」
「そうね」
「ジミーは分かりやすい」
「……そう」
「ピーターはもう隠してない」
ミレナが少し吹き出す。
確かにそうだった。
村が安定してきたからか、人間関係にも余裕が出始めている。
以前は生きるだけで必死だった。
今は違う。
笑える。
恋ができる。
将来を考えられる。
それ自体が豊かさだった。
セレスは横目でミレナを見る。
「で?」
「何が」
「あなたは?」
ミレナが固まる。
セレスはニヤニヤしていた。
「最近ずっと隣にいるじゃない」
「仕事よ」
「へぇ」
完全に信じていない顔。
ミレナは顔をしかめる。
「変なこと言わないで」
セレスは笑う。
「でも最近、前より柔らかいわよ」
ミレナは少し黙った。
否定できなかった。
昔の自分なら、隣に立とうなんて思わなかった。
弱さを見せるのも嫌だった。
今は違う。
頼れる。
寄りかかれる。
そして。
置いていかれたくないと思う。
それが苦しくて、嬉しい。
セレスがふと窓の外を見る。
夕暮れ。
市場に灯りがつき始めていた。
笑い声。
酒場。
子供たち。
全部が生きている。
セレスは小さく呟く。
「……変わったわね、本当に」
ミレナも静かに頷いた。
そこへ。
グロマールが部屋へ入ってくる。
資料を抱えたまま。
相変わらず忙しそうだった。
セレスは即座にニヤリと笑う。
「ミレナ、呼ばれてるわよ」
「呼ばれてない」
「行かなくていいの?」
ミレナが立ち上がりかける。
その瞬間。
セレスが、わざとらしく言った。
「行くなよ」
ミレナが止まる。
セレスは笑いを堪えていた。
「行ったら負けみたいじゃない?」
「……セレス」
「何?」
「あとで覚えてなさい」
耳が少し赤い。
それを見て、セレスは完全に吹き出した。
グロマールだけが状況を理解していなかった。
「……何の話だ」
セレスは肩を震わせながら答える。
「平和な話よ」
その言葉に、ミレナは少しだけ視線を逸らした。
だが。
口元は、ほんの少し緩んでいた。




