85話:沈黙
夕暮れの風が、訓練場を静かに抜けていく。
木剣の打ち合う音。
怒号。
笑い声。
拡張された村の西区画では、自警団の訓練が日課になっていた。
以前なら、村人が武器を持つこと自体が珍しかった。
今は違う。
農民も。
職人も。
商人も。
最低限、自分を守る力を持つ。
それがこの村の常識になり始めていた。
訓練場中央。
ミレナの剣が走る。
踏み込み。
回転。
斬撃。
木剣とは思えない重い音が響いた。
相手をしていた元王国騎士が吹き飛ぶ。
地面を転がり、息を切らした。
「……っ、はぁ……」
ミレナは息一つ乱していない。
周囲が静まり返る。
強い。
もう誰も否定できなかった。
剣聖スキル。
それは、単純な“強さ”ではない。
戦場理解。
間合い。
身体制御。
反応速度。
全部が噛み合っている。
元王国騎士たちですら、追いつけない。
マイクが腕を組む。
「また強くなってねぇか?」
隣の騎士が苦笑した。
「隊長クラスですよ、もう……」
ミレナは木剣を肩に乗せる。
「休憩十分」
周囲が絶望した。
「まだやるのか……」
「化け物だろ……」
以前のミレナなら、ここまで来られなかった。
一人で抱えて。
焦って。
潰れかけていた。
今は違う。
支える仲間がいる。
隣を歩く存在がいる。
だから前へ進める。
その時だった。
訓練場入口で、ざわめきが起きる。
「セレスさんだ……」
「今日も綺麗……」
「落ち着いてるよな……」
視線が集まる。
セレスだった。
いつも通り資料を抱えている。
動きやすい服装。
無駄がない。
化粧も飾りも少ない。
それでも目立つ。
理由は単純。
知性。
余裕。
落ち着き。
全部が雰囲気に出ていた。
しかも。
今や村の行政中枢。
通信網。
物流管理。
索敵情報整理。
人員配置。
全部を回している。
男たちが放っておくわけがない。
セレス本人は気づいていた。
だが、あまり興味がない。
「ミレナ、東区画の索敵更新終わった?」
「あとで見る」
「あとでじゃなく今見なさい」
「……はい」
周囲の男たちが驚いていた。
「ミレナに普通に命令できるの、あの人だけでは?」
「昔かららしいぞ」
そんな中。
一人の男が近づいてくる。
元王国騎士。
現在は自警団所属。
年齢は二十代後半。
整った顔立ち。
姿勢も綺麗。
さらに。
元伯爵令息。
没落ではない。
自分の意思で王国を離れた側だった。
名はアルヴェイン。
剣も強い。
人格も悪くない。
だからこそ、周囲がざわついた。
「あいつ行く気か?」
「マジか……」
アルヴェインはセレスの前で止まる。
真っ直ぐだった。
「少しいいですか」
セレスが視線を上げる。
「何?」
静か。
冷静。
アルヴェインは少しだけ呼吸を整えた。
緊張している。
周囲が妙に静かになる。
マイクがニヤニヤしていた。
ミレナは嫌な予感しかしなかった。
アルヴェインが言う。
「あなたを尊敬しています」
セレスは黙って聞いている。
「頭脳だけじゃない。村全体を見ている。人を動かす力もある」
真っ直ぐな言葉だった。
軽さがない。
だから周囲も茶化せなかった。
「もし迷惑でなければ、今後もっと個人的に話をしたい」
告白だった。
周囲が息を呑む。
エルフの女たちまで見ていた。
ミレナがセレスを見る。
セレスは。
全く動じていなかった。
驚きもない。
照れもない。
ただ静かに、相手を見ている。
そして。
小さく答えた。
「ありがとう」
柔らかい。
だが。
距離がある。
アルヴェインもそれを感じていた。
セレスは続ける。
「あなたは優秀よ」
「……はい」
「真面目で、周囲も見えてる」
アルヴェインの表情が少し緩む。
だが。
次の言葉で、理解した。
「でも私は、今は村を回すことで手一杯」
拒絶ではない。
だが、受け入れてもいない。
セレスらしい答えだった。
無下にはしない。
傷つけもしない。
だが。
曖昧な期待も持たせない。
アルヴェインは静かに頭を下げた。
「……そうですか」
「嫌いではないわ」
その言葉に、周囲がざわつく。
ミレナが目を見開く。
マイクが吹き出しそうになる。
だが。
セレスは続けた。
「でも今の私は、誰か一人を見る余裕がない」
静かな声だった。
本音だった。
この村はまだ完成していない。
問題も山ほどある。
流民。
宗教国家。
物流拡張。
索敵網。
教育制度。
全部が途中。
だから。
止まれない。
アルヴェインは少しだけ苦笑した。
「……敵いませんね」
「何が?」
「村です」
セレスは少しだけ目を細めた。
「そうかもね」
アルヴェインは礼をして去っていく。
周囲の男たちが妙に静かだった。
「あれ無理だろ……」
「壁高ぇ……」
「でもかっこよかったな」
女たちも感心していた。
「ちゃんと向き合ったわね」
「変に逃げないの好き」
セレスは全く気にしていない。
資料を開き直す。
その横顔を見て、ミレナが呆れる。
「本当に動じないのね」
セレスは肩を竦めた。
「慣れてる」
「モテる自覚あるんだ」
「あなたほどじゃない」
ミレナが咳き込む。
「なっ……」
セレスが笑う。
「最近すごいわよ?」
「知らない」
「知らないは無理あるわ」
実際。
最近のミレナ人気はかなり高かった。
強い。
美人。
剣聖。
しかも村長の娘。
さらに最近は柔らかくなった。
男たちが放っておくわけがない。
元騎士たちも普通に見惚れている。
ミレナは顔をしかめる。
「興味ない」
「へぇ」
セレスがニヤリと笑う。
「じゃあ誰ならいいの?」
ミレナが固まる。
完全に止まる。
数秒。
沈黙。
周囲が妙に静かになった。
マイクが察して顔を逸らす。
ピーターが耳まで赤くなる。
ジミーが吹き出しそうになる。
ミレナは顔を真っ赤にしていた。
「……っ」
セレスが笑いを堪える。
「分かりやす」
「うるさい!」
珍しく大声だった。
さらに顔が赤い。
そのタイミングで。
最悪なことに。
グロマールが来た。
「騒がしいな」
空気が止まる。
ミレナが完全停止。
セレスが肩を震わせる。
グロマールは何も知らない顔で資料を差し出した。
「ミレナ、北区画防衛更新」
「……え?」
「聞いてるか」
「き、聞いてる!」
声が裏返った。
周囲が限界だった。
マイクが背中を向ける。
ジミーが口を押さえる。
ピーターが下を向いて震えている。
セレスだけが平然としていた。
そして。
静かに、わざとらしく言う。
「顔赤いわよ」
ミレナが固まる。
沈黙。
数秒後。
「……セレス」
低い声。
セレスは笑顔だった。
「何?」
「あとで覚えてなさい」
その言葉に、周囲がついに吹き出した。
夕暮れの訓練場。
笑い声が広がっていく。
その中心で。
ミレナだけが、顔を真っ赤にしたまま動けなくなっていた。




