45話:独占
収穫祭の熱気は、翌日になっても村に残っていた。
広場にはまだ酒樽が並び、炭の匂いが微かに漂っている。
子供たちは昨日の祭りの話を延々と繰り返し、大人たちは二日酔いで頭を押さえながら畑へ向かっていた。
それでも皆、笑っている。
以前の村には無かった空気だ。
余裕。
安心。
未来。
食料充足率150%。
保存食備蓄。
衛生改善。
紡織産業。
酒造。
鍛冶。
魔導通信。
村は少しずつ“社会”へ変わり始めていた。
その中心にいる男は、今日も普段通りだった。
グロマール。
朝から畑を歩き、水路を確認し、土壌状態を調べている。
魔力操作。
魔力循環。
水流調整。
地中水分の偏り修正。
誰も気づかないレベルで、村全体の効率を整えていた。
派手ではない。
でも絶対に必要な仕事。
だから村人たちは知っている。
今の村が回っている理由を。
「あ、グロマールさん!」
若い娘たちが駆け寄る。
最近増えた。
以前の村娘たちは、痩せていた。
栄養不足。
慢性的な疲労。
肌荒れ。
血色の悪さ。
今は違う。
食事が変わった。
睡眠環境も改善された。
風呂もある。
石鹸もある。
清潔な布もある。
結果、人は変わる。
少女たちは美しく育ち始めていた。
髪に艶が出る。
肌が整う。
表情が柔らかくなる。
笑顔が増える。
環境が人を育てる。
それは見た目にも現れていた。
娘の一人が少し頬を赤くする。
「昨日のお酒、美味しかったです!」
「果実酒、すごかった!」
別の娘も笑う。
「今度また飲みたいです!」
グロマールは静かに頷く。
「飲み過ぎるな」
「はーい」
娘たちが笑う。
その様子を少し離れた場所から見ていた人物がいた。
ミレナだった。
無言。
じっと見ている。
セレスが隣で吹き出しそうになる。
「顔」
「何よ」
「怖い」
「怖くない」
即答だった。
でも明らかに不機嫌である。
ミレナは腕を組む。
視線がグロマールから離れない。
娘たちが近い。
笑っている。
距離感が近い。
それが妙に気になる。
胸の奥がざわつく。
意味は分かっている。
認めたくないだけだった。
セレスがニヤつく。
「行けば?」
「……何を」
「連れてくれば?」
「別にそんな必要」
言葉が止まる。
娘の一人がグロマールの袖を掴んだ。
その瞬間。
ミレナが動いた。
セレスが吹き出す。
「早っ」
ミレナは一直線だった。
娘たちの前へ立つ。
空気が止まる。
娘たちが少し怯える。
村長の娘。
しかも最近は剣技スキルまで覚醒している。
妙な迫力がある。
ミレナはグロマールの腕を掴んだ。
「ちょっと来てください」
娘たちが固まる。
グロマールは無表情。
「用件は」
「あります」
「今すぐ」
即答だった。
そしてそのまま引っ張る。
娘たちが呆然と見送る。
セレスは完全に笑いを堪えていた。
「独占欲すご」
ミレナが聞こえないふりをする。
グロマールは特に抵抗しない。
そのまま連れていかれる。
村の裏手。
水路沿い。
人が少ない場所。
ようやくミレナが止まる。
息が少し荒い。
グロマールが静かに聞く。
「何だ」
ミレナは答えられない。
勢いで連れてきた。
理由を考えていない。
沈黙。
風だけが流れる。
グロマールは急かさない。
ミレナは顔を逸らす。
「……あの」
「最近」
「女の子に囲まれてますよね」
グロマールが少し考える。
「そうか?」
「そうです」
即答。
強い。
ミレナ自身も驚くくらい強かった。
グロマールは村の変化を見ている。
人が増えた。
余裕ができた。
若者たちの感情も変わる。
自然な流れだった。
「別に問題はない」
「……あります」
「何が」
ミレナが詰まる。
言えない。
自分でも整理できていない。
でも嫌だった。
他の娘が笑いかけるのが。
近づくのが。
触れるのが。
全部。
グロマールを見る。
この人は気づいていない。
本当に。
恐ろしいほど。
セレスが言っていた。
“鈍い”
まさにその通りだった。
ミレナは観念したように小さく息を吐く。
「……落ち着かないんです」
「何が」
「全部です」
また沈黙。
グロマールは嘘を見抜く。
鑑定。
表情。
呼吸。
視線。
全部を読む。
だからミレナの感情も、ある程度理解していた。
ただ。
言葉にするつもりは無い。
無理に整理させる必要も無い。
人は、自分で理解していくものだからだ。
グロマールは水路を見る。
流れは安定している。
循環が崩れていない。
それを確認してから言った。
「お前は最近、余裕ができた」
ミレナが目を瞬く。
「……え?」
「昔は周囲を見る余裕が無かった」
「生き残るので精一杯だったからな」
ミレナは黙る。
図星だった。
以前の彼女は常に張り詰めていた。
守らなければ。
戦わなければ。
飢え。
病。
外敵。
全部を一人で抱え込もうとしていた。
今は違う。
村が安定した。
仲間が育った。
だから初めて“自分の感情”を見る余裕ができた。
ミレナは小さく俯く。
「……そうかもしれません」
グロマールは続ける。
「環境が変われば、人も変わる」
「お前もその一人だ」
静かな声だった。
責めない。
否定しない。
ただ事実を言う。
それがグロマールだった。
ミレナの胸が少し熱くなる。
この人は、ちゃんと見ている。
表面じゃない。
中身を。
その時。
遠くから子供たちの声が聞こえた。
「ミレナー!」
「マイクがまた酒飲んでるー!」
ミレナが思わず吹き出す。
「朝からですか……」
「平和だな」
グロマールが言う。
ミレナはその言葉を聞いて、少し笑った。
本当にそうだった。
平和。
昔の村では、そんな言葉を考える余裕すら無かった。
今はある。
だから人は恋もする。
嫉妬もする。
笑う。
怒る。
照れる。
全部、“余裕”があるから生まれる感情だった。
ミレナは少しだけ勇気を出す。
グロマールの服の袖を軽く掴んだ。
今度は引っ張らない。
小さく。
でも確かに。
「……少しだけ」
「ここにいてください」
グロマールは袖を見る。
そして短く答えた。
「ああ」
それだけ。
それだけなのに。
ミレナの顔が少し赤くなる。
セレスが遠くから見ていた。
完全に面白がっている。
「進んでるなぁ」
隣のジミーが首を傾げる。
「何が?」
「鈍っ」
「何で!?」
セレスは呆れる。
でも少し嬉しそうだった。
村が変わっている。
人が育っている。
それは技術だけではない。
感情も。
関係も。
人生そのものが育ち始めていた。
風が吹く。
水路が静かに流れる。
その流れは、この村そのものだった。
止まらない。
少しずつ。
確実に。
前へ進み続けていた。




