42話:鑑定
朝の診療所は忙しかった。
とはいえ、昔とは意味が違う。
以前は病人で溢れていた。
咳。
熱。
栄養失調。
怪我の悪化。
腐敗。
死。
そんなものが当たり前だった。
今は違う。
軽い擦り傷。
子供の打撲。
農作業中の疲労。
その程度だ。
死亡率は激減した。
衛生改善。
栄養改善。
公衆浴場。
石鹸。
清潔な布。
全部が繋がった結果だった。
ピーターは治療台の前で、小さな子供の腕を見ていた。
「少し切っただけだから大丈夫」
「怖くないよ」
光魔法が優しく傷を包む。
子供が安心したように笑う。
母親が深々と頭を下げた。
「ありがとうございます……」
ピーターは慌てて首を振る。
「い、いや!」
「僕はそんな……」
その反応に、母親が少し笑う。
最近、村ではそんな光景が増えていた。
感謝。
笑顔。
余裕。
それは昔、この村に存在しなかったものだった。
診療所の奥では、ミネルバが薬草を整理している。
乾燥棚。
保存瓶。
布。
全部が綺麗に整理されていた。
以前なら考えられない。
物資が足りなかったからだ。
今は違う。
余裕がある。
だから管理できる。
環境が人を育てる。
グロマールの言葉を、ピーターは最近よく思い出す。
診療所の扉が開いた。
「ピーター!」
マイクが入ってくる。
額に擦り傷。
腕に軽い切り傷。
「また怪我したんですか!?」
「鍛冶場でちょっとな!」
「ちょっとじゃないですよ!」
ピーターが慌てて治療を始める。
マイクは笑っていた。
「お前ほんと先生っぽくなったな!」
「や、やめてください……」
でも悪い気はしない。
ピーターは昔、自分に価値があると思えなかった。
弱い。
失敗する。
泣き虫。
皆の足を引っ張る。
そう思っていた。
今は違う。
必要とされている。
それが彼を変えていた。
ピーターが光魔法を使う。
淡い光。
傷が塞がる。
その時だった。
視界が突然変わる。
マイクの腕。
筋肉。
疲労。
炎症。
血流。
全部が“見えた”。
ピーターの手が止まる。
「……え?」
景色が違う。
情報が流れ込む。
身体の状態。
魔力の流れ。
骨格。
異常箇所。
全部が理解できる。
マイクが首を傾げた。
「どうした?」
ピーターは震えていた。
怖いわけじゃない。
情報が見える。
理解できる。
頭の中で自然に整理されていく。
その時。
後ろから声がした。
「……鑑定か」
グロマールだった。
いつの間にか診療所の入口に立っている。
ピーターが振り向く。
「え……?」
「こ、これ……」
グロマールは静かに近づいた。
「視えてるんだろ」
「身体の状態が」
ピーターはゆっくり頷く。
「はい……」
「なんか、全部……」
「分かる」
沈黙。
そしてグロマールは静かに言った。
「覚醒したな」
診療所の空気が止まる。
ミネルバが目を見開く。
マイクも驚いていた。
「鑑定スキル!?」
ピーター本人が一番混乱していた。
「ぼ、僕が……?」
鑑定。
それは極めて珍しい能力だった。
物。
身体。
魔力。
状態。
本質を見る力。
だが、この世界では極一部しか扱えない。
だから価値が高い。
ピーターは震える声で言う。
「なんで……僕なんかが」
グロマールは即答した。
「積み重ねたからだ」
ピーターが固まる。
グロマールは続ける。
「お前は毎日、人を診てた」
「傷を見た」
「病気を見た」
「身体を見た」
「治すために考え続けた」
「だから繋がった」
才能だけじゃない。
環境。
努力。
経験。
全部が必要だった。
ピーターの目が揺れる。
昔なら、彼は絶対にこんな力を得られなかった。
生きるだけで精一杯だったからだ。
空腹。
病。
恐怖。
教育不足。
そんな環境で、人は育たない。
今は違う。
食べられる。
眠れる。
学べる。
だから成長する。
マイクが大笑いする。
「すげぇじゃねぇか!」
「お前先生どころじゃねぇぞ!」
「本物だ!」
ピーターは戸惑いながらも、少しだけ笑った。
その時。
診療所に老人が入ってくる。
腰を押さえて苦しそうだ。
「……腰が」
「また痛むのか?」
ピーターは反射的に老人を見る。
その瞬間、情報が流れ込む。
筋肉疲労。
関節炎症。
姿勢の歪み。
原因。
全部。
ピーターは目を見開いた。
「……分かる」
「え?」
「どこが悪いか分かる」
老人も驚いている。
ピーターは恐る恐る手を伸ばす。
光魔法。
筋肉強化。
微細な調整。
鑑定があるから、“どこを治すべきか”が分かる。
老人の身体が少し軽くなる。
「……痛みが」
「減った」
ピーター自身が一番驚いていた。
グロマールが静かに頷く。
「相性がいい」
「治癒師と鑑定は強い」
ピーターは手を見る。
震えている。
でも、その震えは恐怖じゃない。
嬉しさだった。
自分にも、できることがある。
本当に。
それが嬉しかった。
昼。
村の広場。
ピーターの鑑定覚醒はすぐ広まった。
子供たちが集まる。
「先生すげぇ!」
「俺も鑑定欲しい!」
マイクが笑う。
「まず勉強しろ!」
「グロマール見てみろ!」
「努力の塊だぞ!」
グロマール本人は水路整備していた。
相変わらずである。
セレスが苦笑する。
「本人、全然英雄っぽくないわね」
ミレナは少し笑った。
「そこがいいんじゃない」
言った後、自分で少し顔を逸らす。
セレスがニヤつく。
「はいはい」
「うるさい」
でも空気は柔らかかった。
村全体が変わっている。
笑顔が増えた。
未来を話す人が増えた。
“明日”を考えられるようになった。
それがどれだけ凄いことか。
皆、理解し始めていた。
夕方。
ピーターは診療所の外で空を見ていた。
オレンジ色の空。
畑。
風。
平和な景色。
そこへグロマールが来る。
「疲れたか」
「少しだけ」
「でも……嬉しいです」
グロマールは黙って隣に立つ。
ピーターは小さく笑う。
「僕、昔は何も無いと思ってました」
「弱いし」
「怖がりだし」
「皆みたいに強くないし」
「でも」
ピーターは空を見る。
「今は違う気がします」
「皆がいたからです」
「この村だったから」
沈黙。
風が吹く。
グロマールは静かに答えた。
「環境は人を変える」
「お前が証明だ」
ピーターは少し泣きそうになった。
認められる。
それがどれだけ嬉しいか。
昔の彼は知らなかった。
村の灯りが一つずつ点く。
笑い声が聞こえる。
湯気が上がる。
料理の匂い。
誰かの歌。
平和だった。
その中心で、ピーターはようやく理解していた。
自分は弱かったんじゃない。
育つ環境が無かっただけだったのだと。




