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戦わずに世界を変えた男――教育と物流で“循環国家”を作ったら、宗教国家まで改革された  作者: 慈架太子


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3話:腐った井戸

朝の空気は冷えていた。


リードル村の一日は早い。


いや、正確には「眠れない」が近かった。


空腹。


咳。


寒さ。


不安。


それらが村人たちの眠りを浅くする。


夜明け前から目を覚まし、動ける者は動く。


動かなければ、生き残れないからだ。


村の中央では、数人の女たちが井戸の前に並んでいた。


桶を持ち、水を汲む。


昨日までなら、その度に顔をしかめていた。


濁り。


臭い。


腐臭に近い異臭。


飲めば腹を壊し、病を悪化させる。


それでも飲まなければ死ぬ。


そんな水だった。


しかし今朝は違う。


「……透明だ」


年老いた女が呟いた。


水面に空が映っている。


腐臭もない。


冷たい水が静かに揺れていた。


女たちは恐る恐る口をつける。


そして目を見開く。


「おいしい……」


それは、当たり前の水だった。


だがこの村にとって、その“当たり前”がどれほど遠かったか。


ミネルバはその様子を見ながら、ほっと息を吐いた。


昨日、熱を出していた子供も少しだけ顔色が良い。


水を替えただけで変化が出ている。


そこへ、グロマールが現れた。


いつもの黒い外套。


無駄のない歩き方。


周囲を観察する目。


村人たちは自然と道を開ける。


まだ信用しているわけではない。


だが理解していた。


この男が現れてから、確かに村は少し変わっている。


ミレナが井戸の横で腕を組んでいた。


「……水は助かった」


「当然だ」


グロマールは井戸を見る。


「問題はまだ残ってる」


「何?」


「これは応急処置だ」


ミレナが眉を寄せた。


グロマールは井戸の縁へ手を置く。


「水源そのものが腐っている」


セレスが近づく。


「原因は?」


「排水」


「排水?」


「家畜。汚泥。腐敗物。全部流れ込んでる」


村人たちが顔を見合わせた。


そんなことを考えたこともなかった。


水は汲むもの。


減れば困るもの。


その程度の認識だった。


グロマールは続ける。


「病は偶然じゃない」


静かな声。


けれど重い言葉だった。


「環境が悪い。だから病が広がる」


ミネルバが小さく俯く。


彼女はずっと看病してきた。


治せない熱。


止まらない咳。


弱っていく子供たち。


仕方ないと思っていた。


貧しいから。


運が悪いから。


そう思い込んでいた。


しかしグロマールは違う。


原因を見ている。


「……治せるの?」


ミネルバが聞く。


「治す」


即答だった。


迷いがない。


グロマールは井戸の周囲を歩く。


土。


水流。


臭い。


湿気。


魔力の流れ。


全てを確認していく。


その視線は、まるで地面の下まで見通しているようだった。


セレスが呟く。


「鑑定……?」


グロマールは否定しない。


鑑定。


本来なら高位技能。


物質。


魔力。


構造。


状態。


それらを解析する能力。


しかしグロマールの鑑定は異常だった。


地形。


水脈。


病原。


土壌。


全部を読んでいる。


「井戸の北側」


グロマールが地面を指差した。


「掘る」


マイクが首を傾げる。


「なんで?」


「腐敗した泥が溜まってる」


「分かるのか?」


「臭いで分かる」


マイクは鼻を鳴らした。


「俺には分かんねぇ」


「慣れだ」


グロマールは土属性魔法を使う。


地面が震えた。


乾いた土が持ち上がる。


石が割れ、溝が形成される。


村人たちが息を呑んだ。


土属性魔法。


それ自体は珍しくない。


だが問題は精度だった。


崩れない。


歪まない。


必要な場所だけを正確に削っている。


魔力操作。


その技術が桁違いだった。


マイクが目を輝かせる。


「すげぇ……!」


グロマールは作業を続ける。


土を動かし、水路を作る。


やがて黒い泥が現れた。


腐臭が広がる。


村人たちが顔をしかめた。


「うわっ……」


「こんなのが井戸に……」


ミレナの表情が変わる。


これを飲んでいたのか。


これが病の原因だったのか。


グロマールは水属性魔法を発動する。


大量の水が渦を巻く。


泥を押し流し、分離し、沈殿させる。


さらに光属性。


浄化。


淡い光が水へ広がった。


黒かった泥が灰へ変わる。


腐臭も消えていく。


村人たちは静かに見入っていた。


誰も、ここまで徹底して環境を整えようとしたことがない。


水が悪いなら我慢する。


病が流行れば耐える。


それが当たり前だった。


しかしグロマールは違う。


原因を取り除く。


仕組みごと変える。


その発想自体が、この村には存在していなかった。


「……なんで、そんなに詳しいの」


ミレナが聞く。


グロマールは水流を制御しながら答えた。


「生き残るためだ」


「それだけ?」


「十分だ」


土。


水。


空気。


食料。


病。


全部繋がっている。


循環している。


一つが腐れば、全部腐る。


だから直す。


ただそれだけだった。


セレスはグロマールを見る。


合理主義。


現実主義。


感情論では動かない。


だが不思議と冷たくは見えない。


むしろ逆だった。


「……この人、最初から“村全体”を見てる」


セレスが小さく呟く。


個人ではない。


英雄的救済でもない。


環境。


構造。


循環。


そこを見ている。


だから病人一人を助けても終わらない。


井戸を直す。


排水を直す。


土を直す。


原因そのものへ手を入れている。


その時だった。


「うわぁっ!?」


ピーターの声。


見ると、彼がバランスを崩して溝へ落ちかけていた。


マイクが慌てる。


「危ねぇ!」


しかしグロマールの方が早かった。


風属性。


柔らかな風がピーターの体を支える。


そのままゆっくり地面へ降ろした。


ピーターは呆然としている。


「す、すみません……」


「怪我は」


「だ、大丈夫……」


グロマールは頷く。


「なら次は足元を見ろ」


怒鳴らない。


馬鹿にしない。


ただ必要なことを言う。


ピーターは小さく頷いた。


その姿を見ていたミネルバが微笑む。


「……優しい人ですね」


ミレナはすぐには答えなかった。


優しい。


そう見える。


でも違和感もある。


グロマールは誰かに好かれようとしていない。


感謝も求めていない。


必要だからやっている。


まるで井戸を修理するのと同じ感覚で、人を助けているようだった。


それが逆に不思議だった。


昼頃には、水路の形が整い始めていた。


排水を分離。


汚泥を外へ流す。


井戸周辺の地面も乾き始める。


村人たちはその変化に驚いていた。


「臭いが減った……」


「空気まで違うぞ」


マイクが地面を踏みながら笑う。


「泥が減るだけでこんな変わるのか」


グロマールは土を見ながら答える。


「病は環境で広がる」


そして周囲を見渡した。


家。


畑。


人間。


全部疲弊している。


「ここはまだ終わってない」


ミレナが反応する。


「終わってない?」


「直せる」


また即答だった。


その言葉に、村人たちは静かに顔を上げる。


希望。


そんなもの、もう随分前に忘れていた。


だがグロマールは自然に口にする。


直せる。


救える。


増やせる。


育てられる。


まるで未来を見ているように。


セレスはミレナを見る。


ミレナはまだ警戒している。


それでも。


昨日より確実に、グロマールの言葉を否定できなくなっていた。


その時、ジミーが井戸の横へやって来た。


「なぁグロマール」


「何だ」


「この綺麗な水、他の村に売れねぇかな」


村人たちが驚く。


そんな発想は無かった。


ジミーは続ける。


「いや、だってよ。水って金になるだろ?」


グロマールは少しだけジミーを見る。


「なる」


「だよな!?」


「ただし順番がある」


ジミーが首を傾げる。


グロマールは井戸を見る。


「まずは村人を健康にしろ」


そして畑を見る。


「次に食料」


さらに家々を見る。


「環境を整える」


最後にジミーへ視線を向けた。


「余剰が出てから売れ」


余剰。


その言葉に、村人たちは反応する。


今までの彼らは足りない世界で生きていた。


奪い合うしかなかった。


しかしグロマールは違う。


余る前提で話している。


食料充足率。


生産。


循環。


この男の世界には、“増やす”という発想が存在していた。


ミレナは静かにグロマールを見る。


異様な魔力。


実質無限魔力。


高位魔法。


異常な知識。


それだけじゃない。


この男は。


滅びかけた村の未来を、最初から諦めていない。







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