287話:英雄不在
共和国暦六年。
初夏。
旧ベルグラード北部再建領。
朝日が、
広大な麦畑を照らしていた。
風が吹く。
黄金色の穂が揺れる。
整備された水路。
土壌循環炉。
地下水管理。
共和国式農業。
かつて、
この土地は死んでいた。
痩せた土。
盗賊。
重税。
飢餓。
毎年、
大量の死人が出ていた。
今は違う。
食料充足率七五〇%超。
共和国最大穀倉地帯。
畑では、
農民たちが笑いながら働いている。
怒号が無い。
鞭が無い。
監視兵もいない。
誰も怯えていない。
それだけで、
昔の世界とは別物だった。
畑の端。
老人が土を触っていた。
太い腕。
日に焼けた肌。
昔。
徴兵で右腕を失った。
ベルグラード王国時代。
捨て兵として前線送り。
魔物に食い千切られた。
帰還しても、
国は何もしなかった。
働けない。
食えない。
家族も養えない。
死ぬしかなかった。
だが。
共和国が変えた。
ミネルバ率いる共和国医療院。
聖女スキル。
パーフェクトヒール。
失われた腕は再生した。
眼を失った者も。
脚を失った者も。
全部戻った。
老人は、
今また畑を耕している。
隣の若い農民が笑う。
「爺さん、
また泣いてる」
老人が鼻を鳴らす。
「うるせぇ」
「昔はな」
「春に種を蒔いても、
秋まで生きてる保証が無かった」
若い農民は黙る。
共和国世代は、
もう知らない。
飢餓。
病。
略奪。
奴隷。
重税。
それが普通だった時代を。
遠く。
物流街道。
共和国輸送隊が進んでいた。
大型魔導荷車。
重装ゴーレム輸送車。
転移物流中継班。
荷台には、
* 穀物
* 医療物資
* 紡績素材
* 教科書
* 農具
* 浄化装置
が積まれている。
停滞は存在しない。
共和国物流網。
物が止まらない。
だから、
人も止まらない。
その時だった。
畑道。
一人の男が歩いてくる。
黒い外套。
無精髭。
汚れた旅靴。
旅人にしか見えない。
だが。
老人が目を見開いた。
「……グロマール?」
若い農民が振り返る。
「え?」
男が軽く手を上げた。
「久しぶり」
共和国を作った男。
循環を始めた男。
文明を変えた男。
グロマール。
なのに。
本人は相変わらず、
旅人みたいだった。
若い農民が慌てる。
「えっ!?
なんで普通に歩いてるんですか!?」
「歩くけど」
「いやそうじゃなくて!」
周囲が騒ぎ始める。
「グロマールだ!」
「本物か!?」
「共和国創始者!」
「英雄!」
子供たちまで集まってくる。
だが。
グロマールは困った顔をした。
「騒ぎすぎ」
その時。
人混みの中から、
中年女が前へ出た。
昔。
難民だった女。
飢餓で子供を失いかけた。
共和国に救われた。
震える声で聞く。
「……どうして」
「どうして、
王にならないんですか」
静寂。
全員が止まる。
当然の疑問だった。
共和国は、
実質グロマールが作った。
農業革命。
物流革命。
教育革命。
魔力循環理論。
覚醒理論。
全部、
彼が始めた。
なら。
王になるべきではないのか。
グロマールは少し考えた。
そして。
静かに言った。
「王が必要ない国を作った」
沈黙。
風だけが吹く。
誰も言葉を返せない。
グロマールは続ける。
「王が必要なのは」
「民が自分で生きられない国だ」
「王が配給しないと飢える」
「王が命令しないと動けない」
「王が裁かないと秩序が維持できない」
「そんな国は、
王が死んだ瞬間に崩壊する」
誰も反論できない。
ベルグラード王国が、
まさにそうだった。
王が腐り。
貴族が腐り。
国家が崩壊した。
グロマールは畑を見る。
「でも共和国は違う」
「教師がいる」
「物流がある」
「農業がある」
「医療がある」
「技術がある」
「民が自分で回せる」
「だから、
王はいらない」
老人が震える。
理解したのだ。
共和国が、
これまでの国家と根本から違う事を。
支配国家ではない。
循環国家。
文明そのもの。
若い農民が聞く。
「でも……」
「みんな、
あんたについて来た」
「グロマールさんがいたから」
グロマールは首を振った。
「違う」
「最初から力はあった」
「使い方を知らなかっただけ」
視線が、
学校へ向く。
子供たちが文字を書いている。
教師が笑っている。
共和国教師三千人超。
識字率急上昇。
覚醒率急上昇。
農民。
商人。
職人。
兵士。
主婦。
全員が職業覚醒し始めている。
教育と実務が直結した。
だから文明が加速した。
グロマールが言う。
「人間は、
思ってるより強い」
「環境が壊してただけだ」
老人が泣いていた。
「……そうか」
「ワシら、
最初から駄目じゃなかったんだな」
グロマールは答えない。
代わりに、
土を掴んだ。
柔らかい。
水分管理済み。
栄養循環済み。
昔なら、
こんな土地は存在しなかった。
遠く。
共和国魔導通信塔が光る。
通信が飛ぶ。
『発見』
『グロマール確認』
『セレス・レイヴン宰相閣下へ至急報告』
グロマールが嫌そうな顔をした。
周囲が笑う。
若い農民が聞く。
「宰相閣下、
怖いんですか?」
「怖い」
即答。
爆笑。
共和国宰相。
セレス・レイヴン。
世界最高峰の政治家。
だが。
グロマール相手だと、
昔のままだった。
夕暮れ。
学校帰りの子供たちが走る。
笑いながら。
腹いっぱい食べて。
明日の心配もせず。
普通に生きている。
それを見ながら。
グロマールは小さく呟いた。
「……これでいい」
英雄はいらない。
王もいらない。
民が普通に生きられるなら。
それが。
彼の望んだ文明だった。




