281話:ミネルバの孤児院
共和国南部。
旧ベルグラード王国。
かつては貧民街だった区域。
腐臭。
病。
飢餓。
盗賊。
死体。
人が生きる場所ではなかった。
今。
そこには。
白い建物が並んでいた。
窓は大きい。
水路は整備されている。
排水も通る。
洗濯物が揺れる。
子供たちの声が響く。
共和国中央孤児保護区。
戦災孤児。
飢餓孤児。
疫病孤児。
共和国は。
捨てなかった。
朝。
大鍋から湯気が立つ。
パンが焼ける匂い。
野菜スープ。
肉。
豆。
栄養管理された食事。
以前なら。
孤児は残飯だった。
共和国は違う。
“育てる”。
それが前提。
厨房。
ミネルバが味見をしていた。
「塩分少し控えます」
「この子たち、栄養不足が長かったので」
周囲の女性職員たちが頷く。
共和国の医療は。
感覚じゃない。
知識。
経験。
教育。
全部共有されている。
食事一つ。
それだけでも。
文明差だった。
外。
食堂。
子供たちが並んでいた。
最初。
誰も並べなかった。
奪い合った。
殴った。
隠した。
“明日食べられる保証”が無かったから。
今。
列ができている。
順番を待っている。
年上が年下を座らせる。
それだけで。
奇跡だった。
小さな少女がパンを両手で持っていた。
痩せ細っている。
頬がこけている。
目だけが大きい。
隣の少年が自分のスープを少し押す。
「飲めよ」
少女が怯える。
「……いいの?」
「今日はおかわりあるから」
少女が固まる。
理解できない。
奪われない。
怒鳴られない。
殴られない。
共和国では。
“普通”になり始めていた。
ミネルバが遠くから見ていた。
静かに笑う。
その横。
若い治癒師が呟く。
「最近、笑う子増えましたね……」
ミネルバは小さく頷く。
「安心できるようになったんです」
それが一番大きい。
食事。
衛生。
寝床。
教育。
人は。
安心できると変わる。
共和国は。
それを証明し始めていた。
午前。
衛生授業。
孤児たちが手を洗っている。
石鹸。
温水。
清潔な布。
王国時代なら。
貴族ですら徹底していなかった。
共和国は違う。
病気を減らす。
つまり。
死者を減らす。
文明効率が上がる。
全部繋がる。
教師役の女性が説明する。
「食事前」
「排泄後」
「必ず洗います」
子供たちが頷く。
以前。
病は運だった。
共和国では。
“防げるもの”。
考え方そのものが違った。
昼。
治療棟。
共和国各地から。
傷病者が運ばれてくる。
盗賊被害。
崩壊地帯。
飢餓後遺症。
重傷者も多い。
片脚を失った男。
片腕を失った女。
眼帯の少年。
以前なら。
終わりだった。
共和国以前。
欠損者は。
“生産できない”。
つまり切り捨てだった。
今。
治療室中央。
ミネルバが立つ。
静か。
誰も喋らない。
彼女の周囲。
淡い白光。
暖かい。
恐怖が消える光。
片脚を失った女性が震えていた。
「本当に……」
「治るんですか……?」
ミネルバが優しく手を握る。
「大丈夫です」
「怖くありません」
光属性魔力。
膨大。
純粋。
優しい。
治療室全体を白光が包む。
次の瞬間。
文字が浮かび上がる。
【聖女スキル 覚醒】
【パーフェクトヒール】
【プレミアムヒール】
【マキシマムヒール】
【エクストラヒール】
室内が静止する。
次。
失われていた脚。
骨。
肉。
神経。
血管。
皮膚。
再生。
女性が絶叫する。
「え……?」
戻っていた。
完全に。
足指まで動く。
周囲の治癒師たちが息を呑む。
「嘘だろ……」
「再生してる……」
治療概念そのものが壊れる。
続く。
眼を失った少年。
ミネルバが額に触れる。
白光。
柔らかい。
壊れた眼球。
再生。
視神経修復。
少年が瞬きをする。
震える。
「見える……」
涙。
ぼろぼろ落ちる。
「見えるよ……!」
治療棟が静まり返る。
奇跡。
違う。
共和国では。
もう。
“教育された力”。
ミネルバも。
環境で育った。
知識。
経験。
救済。
積み重ね。
だから到達した。
共和国の本質。
“人を育てる”。
それだった。
外。
孤児院庭。
子供たちが遊んでいる。
走る。
笑う。
転ぶ。
泣く。
以前なら無かった。
“子供らしさ”。
共和国は。
子供を労働力だけで見ない。
未来で見ている。
そこが恐ろしい。
セレスが視察に来ていた。
資料を見る。
孤児保護数。
死亡率。
識字率。
衛生改善。
栄養改善。
全部上がっている。
補佐官が呟く。
「普通なら崩壊してます」
「戦後孤児三千超ですよ……」
セレスは冷静だった。
「共和国だからよ」
「捨てない」
単純。
でも。
国家で最も難しい。
夕方。
子供たちが文字を書いている。
「ミ」
「ネ」
「ル」
「バ」
ぎこちない。
でも必死。
小さな少年が紙を持って走る。
「みて!」
「書けた!」
ミネルバが受け取る。
少し歪んだ文字。
でも。
確かに書けていた。
ミネルバが笑う。
「上手です」
少年が顔を真っ赤にする。
周囲も笑う。
暖かい。
共和国は。
こういう空気を増やしていた。
夜。
孤児院。
静か。
寝息。
暖炉。
職員たちが記録を書いている。
食事量。
健康状態。
魔力適性。
教育進度。
共和国は。
感情だけで救わない。
継続する。
回す。
循環させる。
それが文明。
ミネルバが廊下を歩く。
小さな少女が服を掴む。
「……ねぇ」
「ここ」
「ずっといていいの?」
ミネルバがしゃがむ。
目線を合わせる。
少女の目は怖がっていた。
また捨てられると思っている。
ミネルバは優しく抱きしめる。
「大丈夫です」
「ここはあなたの家です」
少女が泣き出す。
静かに。
堰を切ったように。
周囲の子供たちも。
泣いていた。
共和国は。
戦争に勝ったわけじゃない。
誰かを支配したわけでもない。
ただ。
安心して眠れる場所を。
増やしていた。
そして。
それこそが。
滅びた王国には。
最後まで作れなかったものだった。




