277話:領主スキル
旧ベルグラード王国西部。
ローゼンベルク侯爵領。
冬。
冷たい風が石畳を撫でる。
空は曇天。
しかし。
領内には煙が上がっていた。
炊事の煙。
工房の煙。
暖炉の煙。
人が生きている煙だった。
かつてのベルグラード王国では、冬は恐怖だった。
食料不足。
凍死。
疫病。
略奪。
毎年のように人が減った。
だが。
ローゼンベルク領だけは違った。
農地に雪除けがある。
貯蔵庫がある。
水路が凍結対策されている。
薬草庫が整備されている。
子供たちが文字を書いている。
老人が餓死していない。
それは。
偶然ではない。
積み重ねだった。
領主館。
暖炉の火が静かに燃える。
老女侯爵エレノア・ローゼンベルクは窓の外を見ていた。
白髪。
深い皺。
細い身体。
だが目だけは鋭い。
若い頃から変わらない。
民を見る目だった。
机の前。
セレスが資料を並べる。
大量の帳簿。
人口推移。
食料在庫。
死亡率。
疫病発生率。
識字率。
農地回復率。
セレスは淡々と読み上げた。
「冬季死亡率、旧王国平均の三分の一」
「識字率、周辺領地の二倍」
「治療院稼働率九十七%」
「孤児保護率百%」
「備蓄量、冬越え可能」
沈黙。
セレスはゆっくり顔を上げた。
「……最初からですか」
エレノアは微笑む。
「ええ」
「昔からですわ」
外では子供たちの声が聞こえる。
昔。
中央貴族たちは彼女を笑った。
農民に金を使う女。
兵を増やさない愚かな侯爵。
城壁より学校を作る変人。
軍拡を嫌う腰抜け。
何度も陰口を叩かれた。
王都貴族は理解できなかった。
なぜ。
農民に文字を教えるのか。
なぜ。
冬の備蓄を重視するのか。
なぜ。
治療院を維持するのか。
戦争こそ国家。
騎士こそ貴族。
それがベルグラード王国だった。
だから。
滅んだ。
エレノアは窓を見る。
「民が死ねば、領が死にます」
「当たり前のことですわ」
静かな声だった。
しかし。
その言葉には重みがあった。
セレスは彼女を見る。
そして理解する。
共和国が選んだのは。
“善人”ではない。
“現実を理解していた人間”だ。
セレスは資料を書き換える。
【ローゼンベルク侯爵領】
【共和国適合】
【長期統治安定】
【文明維持能力:高】
さらに。
彼女の視界にスキルが映る。
【領主Lv6】
【農政Lv5】
【土地管理Lv4】
【民心安定Lv5】
高い。
異常なほど。
旧王国なら戦闘系の方が重視された。
剣。
騎士。
武功。
侵略。
そればかり。
だが。
本当に国家を維持していたのは違った。
食料。
教育。
衛生。
物流。
冬越え。
つまり。
生活だった。
セレスは小さく呟く。
「王国は人材を間違えた」
エレノアは苦笑する。
「武勲の方が分かりやすいですもの」
「農地を増やしても宴では称賛されません」
「冬の死亡率を減らしても勲章は出ません」
「けれど」
彼女は外を見る。
畑。
学校。
笑う子供。
働く民。
「生き残るのは、こちらですわ」
その言葉に。
セレスは沈黙した。
正しい。
あまりにも。
共和国は突然現れた怪物ではない。
昔から存在した。
ただ。
評価されなかっただけ。
その頃。
ブライト領。
ロバート・ブライト伯爵は畑を見ていた。
かつて荒れていた土地。
今は違う。
水路が通る。
肥料が回る。
輪作が行われる。
教師が農民へ知識を教えている。
子供も文字を読める。
ブライト伯爵は汗を拭った。
以前の彼は。
典型的な貴族だった。
現場を知らない。
数字を見ない。
民を理解しない。
しかし。
崩壊を見た。
飢餓を見た。
死体を見た。
だから変わった。
教師が近づく。
「春収穫予測です」
「前年比二百二十%」
伯爵が驚く。
「まだ増えるのか」
教師。
「教育済み農民が増えています」
「だから生産性が違います」
伯爵は黙る。
教育。
結局。
全てそこだった。
共和国が恐ろしい理由。
それは。
英雄一人ではない。
民全体が成長する。
だから止まらない。
中央会議所。
ジミーが帳簿を見ていた。
「物流黒字ってなんだよ……」
「救援で黒字って頭おかしいだろ」
横でセレスが答える。
「教育で生産量が増えるから」
「結果的に回収できる」
「むしろ長期では利益」
ジミーが頭を抱える。
「化け物文明かよ」
実際そうだった。
教師が増える。
識字率が増える。
農業効率が上がる。
疫病が減る。
労働力が増える。
物流が増える。
税が安定する。
さらに学校が増える。
循環。
もう止まらない。
訓練場。
マイクが新人を鍛えていた。
元農民。
元盗賊。
元難民。
全員混ざっている。
しかし統率されていた。
「盾上げろ!」
「遅ぇ!」
怒鳴る。
だが。
恐怖支配ではない。
教育だった。
新人兵が倒れる。
マイクは手を差し出した。
「立て」
「次はできる」
昔の騎士団なら蹴られて終わりだった。
だが今は違う。
育成。
それが共和国。
マイク自身。
もう理解していた。
強い奴だけでは国は残らない。
弱い奴を育てない国は滅ぶ。
だからベルグラードは終わった。
治療院。
ピーターが患者を診ていた。
子供。
老人。
妊婦。
全員助かっている。
昔なら死んでいた。
今は違う。
治癒師が増えた。
薬師が増えた。
衛生教育が広がった。
感染症が減った。
ピーターは記録を見る。
乳児死亡率。
激減。
平均寿命。
上昇。
識字率。
上昇。
全て繋がっていた。
ピーターは静かに呟く。
「人って……ちゃんと育つんだ」
その言葉は。
共和国そのものだった。
夜。
セレスは再び地図を見る。
崩壊したベルグラード王国。
しかし。
完全には死んでいない。
各地に灯がある。
生き残った領。
生き残った人材。
そして。
民を守ってきた者たち。
共和国は。
突然生まれたわけじゃない。
ずっと昔から。
この世界の片隅に存在していた。
ただ。
剣の時代が。
それを見ようとしなかっただけだった。




