273話:北方の女王
北方国家ベルセリア。
一年の半分を雪と氷に閉ざされる寒冷国家。
痩せた土地。
短い夏。
長い冬。
生き残るために奪う。
それがベルセリアの歴史だった。
豊かな南を襲い、
食料を奪い、
家畜を奪い、
鉄を奪う。
略奪は悪ではない。
生存だった。
冬を越えられなければ、
国が消える。
だから北方国家は強い。
だから北方国家は冷たい。
感情では冬は越せないからだ。
帝都グランフェル。
氷壁に囲まれた王城の最上階。
巨大な暖炉の火が静かに燃えていた。
その前で、
ベルセリア女王フィリアは報告書を読んでいた。
銀髪。
蒼眼。
若い。
だが北方の冬を知る目だった。
玉座の間には重い沈黙が落ちている。
貴族たちも、
将軍たちも、
誰も口を開かなかった。
机の上には報告書が積み上がっていた。
全て、
同じ国家について。
グロマール共和国。
かつてベルグラード王国だった土地。
最初は誰も信じていなかった。
王国崩壊後、
難民を受け入れ続けるなど不可能だと。
だが報告は止まらない。
むしろ増えていた。
フィリアが静かに一枚を開く。
「食料充足率……七百五十%」
誰も声を出さない。
農務卿が額に汗を浮かべる。
「馬鹿な数字です……」
別の報告。
「識字率上昇」
「医療普及」
「疫病停止」
「農地再生」
「大量覚醒」
「教育制度確立」
「犯罪率低下」
「自給自足化」
「難民二十万人受け入れ」
「暴動ゼロ」
「餓死者激減」
フィリアは報告書を閉じた。
暖炉の火が小さく鳴る。
「……なぜ奪わず増える?」
静かな声だった。
だがその場の全員が凍りついた。
誰も答えられない。
北方国家ベルセリアは、
奪うことでしか生き残れなかった。
それが現実だった。
土地は痩せ、
冬は長く、
食料は足りない。
増えた人口は、
次の冬には死ぬ。
だから減らす。
だから奪う。
だから強者を育てる。
それ以外に方法が無かった。
それが国家だった。
それが世界だった。
だがグロマール共和国は違う。
奪わない。
侵略しない。
略奪しない。
それなのに増えている。
人口。
食料。
教育。
医療。
戦力。
覚醒者。
全部。
同時に。
老将軍ヴァルグが重い声を出した。
「……女王陛下」
「申せ」
「我々は“冬”を前提に国家を作ってきました」
「そうだ」
「しかし共和国は違います」
「…………」
「彼らは“人”を減らしていない」
空気が変わる。
誰も言葉を返せない。
それはベルセリアにとって、
最も恐ろしい意味だった。
北方国家は、
人を消耗して成立する。
冬を越えるために。
飢えを防ぐために。
強者だけを残すために。
だが共和国は違う。
人を育てている。
弱者を切り捨てない。
教育する。
治療する。
働かせる。
覚醒させる。
そして循環させる。
農務卿が震える声を漏らした。
「ありえません……」
「食料七百五十%など……」
「そんな余剰が存在すれば……」
フィリアが続きを言った。
「戦争が不要になる」
誰も否定できない。
ベルセリアは、
食料不足で戦争をしてきた。
冬を越えるために。
生き残るために。
だが共和国には、
その必要がない。
フィリアは窓の外を見た。
吹雪。
白銀。
凍土。
ベルセリアの冬。
彼女は幼い頃から、
この国の厳しさを知っていた。
だから理解できる。
共和国の異常性が。
「教育制度の詳細は」
側近がすぐに前へ出た。
「教師制度を全国配備」
「教導スキル保有者多数」
「識字教育を農村まで実施」
「職業別技能教育も並行」
「農民、商人、治癒師、鍛冶師……各職業に覚醒補助」
「子供にも教育を実施しています」
フィリアの眉が動く。
「子供までか」
「はい」
「戦力化目的ではありません」
「生活維持能力向上が主目的かと」
また沈黙。
北方国家では、
教育は貴族のものだった。
平民に知識を与えすぎれば、
統治が乱れる。
そう考えられてきた。
だが共和国は逆。
知識を広げるほど、
国家が安定している。
老貴族が苦しそうに言った。
「理解できませぬ……」
「民を賢くすれば、
反乱が起きるはず」
フィリアは即座に否定した。
「違う」
全員が女王を見る。
「共和国は民を飢えさせていない」
「…………」
「飢えていない民は、
簡単には壊れない」
暖炉の火が揺れた。
誰も言い返せなかった。
北方国家は、
飢えを前提に政治をしてきた。
不足。
恐怖。
抑圧。
支配。
だが共和国は違う。
循環。
教育。
生産。
医療。
安定。
全てが真逆だった。
若い将軍が震える声で言う。
「侵攻しますか……?」
その瞬間。
玉座の間の空気が凍った。
フィリアはゆっくり視線を向ける。
「何を奪う?」
「…………」
「食料か?」
「教育か?」
「教師か?」
「医療か?」
「覚醒者か?」
将軍が黙る。
フィリアは静かに言った。
「奪った瞬間、
共和国は敵になる」
「そして敵にしてはいけない」
誰も否定できない。
今の共和国は、
国家というより文明だった。
兵士を倒しても終わらない。
教師が残る。
農地が残る。
知識が残る。
循環が残る。
それが恐ろしい。
フィリアは再び報告書を見た。
「大量覚醒」
その文字を指でなぞる。
「これは何だ」
学術卿が答える。
「推測ですが……」
「教育環境による魔力運用最適化かと」
「つまり?」
「才能が増えたのではありません」
「扱えるようになった」
フィリアの目が細くなる。
それは国家の常識を覆す話だった。
覚醒者は、
選ばれた強者。
そう思われてきた。
だが共和国は違う。
民衆全体が強くなっている。
それはつまり。
国家そのものが強くなるということだった。
フィリアは深く息を吐いた。
「冬が無ければ、
ベルセリアは存在していない」
誰も動かない。
「苦しみが国家を作った」
「飢えが国家を作った」
「奪うことで、
我々は生き延びてきた」
彼女は静かに言った。
「だが共和国は違う」
暖炉の火が揺れる。
「苦しみを減らしながら国家を維持している」
「そんなもの……」
女王はそこで止まった。
言葉にできなかった。
国家ではない。
もっと別の何か。
老将軍が低く呟く。
「文明……」
フィリアは否定しなかった。
窓の外では吹雪が続いている。
だがその日。
北方国家ベルセリアは初めて理解した。
本当に恐ろしい国家とは。
強い国家ではない。
人を増やせる国家なのだと。




