268話:静寂
ベルグラード王国。
王都。
夜。
雪が降っていた。
音もなく。
静かに。
白い雪が石畳へ積もっていく。
かつて世界有数の繁栄を誇った大国家。
五百年続いた王国。
その中心。
王城ベルグラード宮。
今。
そこには誰もいなかった。
巨大な正門。
開いたまま。
門兵はいない。
松明も消えている。
冷たい風だけが吹き抜ける。
中庭。
噴水停止。
水は凍り。
庭師も消えた。
花壇は枯れている。
王家の象徴だった巨大時計塔。
その針も止まっていた。
午前二時十七分。
もう動かない。
誰も修理しない。
修理する者がいない。
王宮回廊。
長い。
長い廊下。
赤い絨毯。
豪華な柱。
巨大な肖像画。
歴代王たち。
建国王。
戦王。
名君。
賢王。
五百年。
積み重なった歴史。
その全てを照らしていた魔導灯は、ほぼ消えていた。
薄暗い。
冷たい。
静か。
人の気配がない。
侍女も。
騎士も。
文官も。
料理人も。
楽団も。
もういない。
最後まで残っていた近衛たちも消えた。
家族の元へ帰った。
王宮は空洞になった。
国家機能の死。
それが今のベルグラードだった。
玉座の間。
巨大な扉が半開きになっている。
風が吹く。
冷たい。
中。
広い空間。
静寂。
そして。
玉座。
そこに王だけが座っていた。
老いた。
痩せた。
頬は落ち。
目も濁っている。
豪華な王衣も。
今はただ重そうだった。
王は動かない。
ただ前を見ている。
空の玉座の間。
誰もいない空間を。
見続けていた。
沈黙。
長い。
永遠のような沈黙。
やがて。
王が小さく呟く。
「……兵は」
返事は無い。
当然だった。
誰もいない。
王はゆっくり周囲を見る。
玉座の間。
広い。
寒い。
空っぽ。
その時。
ようやく。
理解が始まった。
王が掠れた声を出す。
「……本当に」
「誰もおらぬのか」
返事は無い。
王は立ち上がろうとする。
だが。
足に力が入らない。
ふらつく。
飢えていた。
食べていない。
もう何日も。
王宮備蓄は尽きていた。
残っていた食料も。
近衛や侍従へ回された。
王自身。
食べる量を減らしていた。
だが。
遅すぎた。
国家そのものが崩壊していた。
王は壁へ手をつく。
ゆっくり歩く。
広い玉座の間。
足音だけが響く。
かつてなら。
側近がいた。
侍女がいた。
近衛がいた。
文官がいた。
今は無い。
王は歩く。
回廊へ出る。
冷たい。
静か。
窓から雪が見える。
王都。
暗い。
ほとんど灯が無い。
市場も止まり。
物流も死に。
人も消えた。
五百年続いた王国。
その首都とは思えなかった。
王は呟く。
「……何故だ」
「余は間違っておらぬ」
声が震える。
だが。
返事をする者はいない。
廊下の途中。
倒れた侍従がいた。
白骨化まではしていない。
最近死んだ。
王は見下ろす。
名前を思い出せない。
だが。
長年仕えていた男だった。
王はしばらく見ていた。
そして。
静かに通り過ぎた。
もう埋葬する力も無い。
王宮地下。
食糧庫。
空。
何も無い。
巨大な倉庫。
積まれていた小麦。
干し肉。
塩。
保存野菜。
全部消えた。
最後に残っていた鼠すらいない。
王は壁を見つめる。
空虚。
それだけだった。
王は戻る。
玉座へ。
ゆっくり。
ゆっくり。
その頃。
循環領。
別世界だった。
夜でも灯がある。
食堂が動いている。
工房が稼働している。
学校には夜間教室がある。
識字教育。
職業教育。
魔法訓練。
全部動いている。
住宅建設班。
農地開拓班。
物流班。
治癒班。
孤児保護班。
全て稼働。
二十万人。
巨大化した循環領。
だが。
混乱は無かった。
理由は単純。
教育。
役割分担。
物流。
食料。
全部循環していた。
ジミーが倉庫資料を見る。
横にはマイケル・ダグラス。
元ダグラス商会会頭。
今は循環領物流統括補佐。
ジミーが言う。
「食料まだ余裕あるな」
マイケルが頷く。
「冬越えも可能です」
「春収穫が来ればさらに安定する」
ジミーが鼻を鳴らす。
「王国なら暴動だな」
マイケルが静かに答える。
「物流を軽視した国家は滅びます」
「必ず」
セレスもいた。
避難民報告書を閉じる。
「今日だけで六千人保護」
「うち職業覚醒者、千百」
「農業、建築、織布、治癒、鍛冶」
「全部増えてる」
マイクが笑う。
「人増えるほど強くなってんな」
セレスが頷く。
「環境が育ててるの」
「グロマールの言った通りよ」
遠く。
学校。
ピーターが授業していた。
避難民の子供たち。
元兵士。
元農民。
元使用人。
皆机へ向かう。
文字を書く。
魔力循環を学ぶ。
生き方を学ぶ。
国家が違えば。
人はここまで変わる。
帝都ヴァルディス。
若皇帝アレクシス・ヴァルディスは執務室にいた。
側近レオハルトが報告を読む。
「ベルグラード王宮、完全停止」
「近衛消失」
「王のみ残留」
アレクシスは静かに目を閉じる。
「……終わったか」
レオハルトが言う。
「戦争なし」
「侵略なし」
「内乱なし」
「生活停止のみ」
皇帝は小さく呟く。
「国家とは」
「民なのだな」
その頃。
王宮。
玉座の間。
王は玉座へ戻っていた。
疲れている。
寒い。
空腹。
孤独。
それでも。
まだ夢を見ていた。
王は呟く。
「……余は」
「間違っておらぬ」
「民が弱かったのだ」
風が吹く。
冷たい。
王宮の火が一つ消える。
また一つ消える。
静かに。
静かに。
巨大な王宮は死んでいく。
時計は止まり。
火は消え。
廊下は無音。
王だけが残る。
五百年続いたベルグラード王国。
その終わりは。
歓声も。
戦火も。
英雄も無かった。
ただ。
静かだった。




