266話:飢餓
ベルグラード王国。
王宮。
かつて五百年国家の中心だった巨大宮殿は、静かに死に始めていた。
灯火は少ない。
水路は止まりかけている。
厨房は冷え切っている。
廊下に人影はほとんど無い。
静寂。
ただ静寂だけが広がっていた。
王宮地下備蓄庫。
空だった。
穀物袋は消え。
保存肉も無い。
酒樽も乾いている。
備蓄担当だった老文官が壁へ寄りかかる。
「……終わりです」
返事は無い。
もう誰も反論しない。
その日。
最初の餓死者が出た。
侍従だった。
老人。
王へ最後まで仕え続けた男。
廊下で倒れていた。
発見した若い近衛兵が立ち尽くす。
痩せている。
軽い。
死体とは思えないほど軽かった。
近衛兵が震える声で言う。
「……食ってなかったのか」
老侍女が小さく答える。
「皆、陛下へ回していました」
沈黙。
誰も泣かない。
もう涙を流す力すら残っていなかった。
その翌日。
近衛兵も死んだ。
若い男だった。
家族を逃がし。
最後まで王宮へ残った。
だが。
食料が尽きた。
廊下の隅。
壁にもたれたまま動かない。
仲間の近衛が静かに目を閉じさせる。
「……すまん」
それだけ。
死体処理すら困難になっていた。
人手が足りない。
力が無い。
火葬する薪も足りない。
王宮内部に、死臭が漂い始める。
だが。
王だけが現実を拒否していた。
玉座の間。
巨大な空間。
誰もいない。
王だけが座っている。
痩せていた。
だが。
目だけはまだ死んでいない。
王が呟く。
「地方軍が戻れば……」
「まだ立て直せる……」
誰も返事しない。
もう。
返事する者がいない。
その頃。
循環領。
中央救援管理区。
教師たちが王都状況を確認していた。
索敵魔導板。
王都内部。
餓死者増加。
市場停止。
水路停止。
死亡反応。
全部映る。
若い教師が小さく言う。
「……救援しますか」
沈黙。
セレスが静かに地図を見る。
その横。
複数の鑑定報告。
王都残留者一覧。
善良。
有能。
犯罪者。
扇動者。
腐敗貴族。
全部分類済みだった。
セレスが冷静に答える。
「バカの国は放置」
教師たちは頷く。
感情論ではない。
循環領は既に何度も救済を行っている。
受け入れもした。
教師も派遣した。
食料も配った。
それでも。
拒絶した者たちがいる。
現実を見ない者たち。
民を食い潰した者たち。
そういう連中まで救えば。
今度は循環領内部が壊れる。
だから線を引く。
助けるべき人間は助ける。
助ける価値の無い人間は放置。
極めて合理的だった。
別区画。
転移教師たちが動いていた。
王都内部。
まだ生きている文官。
使用人。
子供。
善良判定。
有能判定。
順次救出。
転移魔法陣が光る。
痩せた侍女が泣き崩れる。
「た、助かった……」
治癒教師が即座に水を渡す。
「ゆっくり飲んでください」
別地点。
近衛騎士。
若い男。
最後まで民へ食料を回していた。
鑑定。
『保護対象』
転移。
救出。
逆に。
腐敗貴族区画。
豪奢な部屋。
隠し備蓄。
酒。
金貨。
独占食料。
索敵教師が確認する。
そして。
何もしない。
放置。
それだけだった。
循環領は神ではない。
全員は救わない。
救う価値がある者を救う。
それがグロマール思想だった。
その頃。
中央物流区。
ジミーが在庫を確認していた。
二十万人。
普通なら国家崩壊規模。
だが。
循環領はまだ余裕がある。
乾燥芋。
穀物。
保存肉。
魔導冷蔵庫。
全部回っている。
マイケル・ダグラスが静かに言う。
「まだ足りる」
「今年の収穫も来る」
ジミーが頷く。
「物流も死んでねぇ」
「だから回る」
単純だった。
食料。
物流。
教育。
治安。
全部維持しているから国家が生きる。
逆に。
一つでも止まれば死ぬ。
ベルグラード王国は、それを証明していた。
その頃。
ヴァルディス帝国。
帝都ヴァルディス。
白銀宮。
若皇帝アレクシス・ヴァルディスが報告書を読む。
隣にはレオハルト。
側近として立っていた。
レオハルトが静かに言う。
「王宮内部で餓死者発生」
「既に崩壊段階です」
アレクシスは目を閉じる。
「……遅かったな」
レオハルトは否定しない。
「いえ」
「むしろ長く持ちました」
「国家規模の崩壊は、本来もっと早い」
静かだった。
帝都ヴァルディスは今日も動いている。
市場。
物流。
工房。
学校。
全部生きている。
だから国家も生きている。
一方。
ベルグラード王国。
巨大王宮。
死臭。
飢餓。
静寂。
王だけが夢を見ていた。
もう。
国家は死んでいるのに。




