263話:最後の晩餐
ベルグレイス王城。
王宮食堂。
かつてそこは、王国の繁栄そのものだった。
巨大な長机。
煌びやかな銀食器。
肉料理。
魚料理。
高級酒。
音楽。
笑い声。
貴族たちは未来永劫、この繁栄が続くと信じていた。
だが今。
広い食堂は静まり返っている。
灯火は少ない。
寒い。
長机の上に並んでいるのは。
僅かな黒パン。
そして。
薄いスープだけだった。
肉は無い。
果実も無い。
酒も無い。
かつて王国最高権力者たちが食事した場所とは思えない。
残っている者も少ない。
王。
宰相。
数名の文官。
数名の近衛。
それだけ。
静かだった。
誰も喋らない。
食器の音だけが響く。
近衛騎士の一人が、小さなパンを見つめていた。
乾いている。
硬い。
それでも貴重だった。
若い文官が震える声で言う。
「……配給庫も、もう限界です」
宰相が苛立ったように言う。
「地方備蓄を回せばよい」
文官は俯く。
「地方は……既に循環領側です」
沈黙。
王だけがスープを飲む。
静かに。
何事も無いように。
そして。
小さく言った。
「……まだ立て直せる」
誰も返事しない。
近衛騎士たちは俯いたまま。
文官も動かない。
宰相だけが頷く。
「左様です陛下」
「まだ王国には歴史があります」
「伝統があります」
「王威があります」
王が頷く。
「そうだ」
「民は必ず戻る」
「循環領など、一時の幻想だ」
誰も顔を上げない。
若い文官が拳を握っていた。
彼は知っている。
市場は死んだ。
物流は崩壊した。
地方も消えた。
もう王国は回っていない。
それでも。
王だけが夢を見ていた。
王は続ける。
「春になれば農地も戻る」
「騎士団も再編できる」
「帝国も介入してこない」
「余が立っている限り、王国は終わらん」
夢だった。
現実ではない。
だが。
王だけは本気だった。
彼は本当に信じている。
ベルグラード王国は永遠だと。
宰相も言葉を重ねる。
「民は愚かです」
「恐怖に流されているだけ」
「いずれ理解します」
「陛下こそ正しいと」
近衛騎士の一人が、小さく目を閉じた。
もう聞いていられなかった。
その男は地方を見てきた。
飢えた村。
死者。
逃げる民。
循環領へ辿り着いた家族。
全部見た。
だから分かる。
王国は終わっている。
だが。
王は見ていない。
見ようとしていない。
老文官が震える声で言った。
「陛下……」
王が視線を向ける。
老文官は苦しそうに言葉を出した。
「民は……もう王国を見限っております」
宰相が怒鳴る。
「貴様!!」
だが老文官は止まらない。
「税を納めても飢える」
「兵を送っても守られない」
「働いても奪われる」
「だから民は去ったのです」
王の顔が歪む。
怒り。
悲しみ。
焦燥。
全部混ざっていた。
だが。
それでも王は言う。
「違う」
「余は間違っていない」
「余は王だ」
「王国を守ってきた」
誰も返事しない。
もう。
言葉が届かない。
その頃。
循環領。
巨大食糧区画。
避難民たちへ温かい食事が配られていた。
スープ。
パン。
芋。
少量の肉。
子供たちが笑っている。
治療院では病人が回復していた。
学校では文字を学ぶ声が響く。
工房では職人が働いている。
物流区では荷車が止まらない。
人が動いている。
生きている。
一方。
王宮食堂。
冷えたスープ。
硬いパン。
沈黙。
止まった国家。
同じ世界とは思えなかった。
王は最後まで夢を見ていた。
五百年国家。
偉大なるベルグラード王国。
その栄光。
その威光。
その永遠。
だが。
国家は夢では維持できない。
民が働き。
食べ。
学び。
生きて。
初めて国家になる。
それを失った時。
どれほど巨大な城も。
どれほど長い歴史も。
ただの空洞だった。
食堂の灯火が、一つ消える。
誰も動かない。
王だけが、まだ前を見ていた。




