260話:王妃の決断
ベルグラード王国。
王都ベルグレイス。
かつて百万人を超える人々で溢れていた巨大都市は、今や静かだった。
市場は閉じている。
露店は無い。
水路も止まり始めた。
パンを焼く煙も減った。
人が消えたのだ。
王都の貴族は逃げた。
商人も去った。
職人も消えた。
使用人も流出した。
王宮だけが、まだ“王国”を演じていた。
だが。
その内部は、既に崩壊している。
王宮中央回廊。
灯火は半分以上消えていた。
魔導灯維持担当の技師がいなくなったからだ。
広い廊下。
足音だけが響く。
そこを王妃フィリアが歩いていた。
痩せている。
疲れている。
だが、その目はまだ死んでいない。
彼女は知っていた。
もう終わる。
ベルグラード王国は、終わる。
だからこそ。
最後に言わなければならなかった。
玉座の間。
巨大な扉が開く。
王だけが座っていた。
近衛は少ない。
文官も少ない。
空席ばかり。
それでも王だけは、まだ玉座へ座っている。
王妃は静かに進む。
王が低い声で言った。
「何だ」
王妃は玉座前で止まる。
頭を下げる。
そして。
静かに言った。
「民はもう陛下を見ておりません」
空気が凍る。
王の目が険しくなる。
「余を裏切るのか」
怒気。
だが王妃は目を逸らさない。
「いいえ」
「現実を見てください」
王妃の声は震えていない。
「地方は崩壊しました」
「騎士団は離脱しました」
「貴族は逃亡しました」
「民は循環領へ向かっています」
「王都も維持できません」
王が玉座を叩く。
轟音。
「黙れ!!」
王の顔は紅潮している。
「ベルグラード王国は永遠だ!!」
「五百年続いた国家だ!!」
「余がいる限り終わらん!!」
王妃は静かに王を見る。
悲しかった。
この人は。
最後まで“王”を守っている。
だが“国”を見ていない。
王妃は小さく言った。
「国家は城ではありません」
王が睨みつける。
「何だと」
「民です」
「生活です」
「人です」
「民が消えた時、国家は終わります」
王は立ち上がった。
「余を否定するか!!」
王妃は首を横へ振る。
「違います」
「陛下を助けたいのです」
「だから現実を見てください」
沈黙。
だが。
王は理解しない。
いや。
理解したくない。
王妃は悟った。
もう戻れない。
その頃。
循環領。
避難民受け入れ区域。
そこでは、全く別の“国家”が動いていた。
巨大食糧倉庫。
学校。
仮設住宅。
治療院。
工房。
農地。
数十万人規模の避難民が流れ込んでいる。
普通なら崩壊する人口流入。
だが循環領は止まらない。
理由は単純だった。
“人を使い潰さない”。
だからだ。
中央鑑定区域。
大量の鑑定教師たちが避難民を見ていた。
農民。
鍛冶師。
木工職人。
商人。
織工。
薬師。
料理人。
元文官。
元騎士。
避難民たちは不安そうだ。
だが教師たちは落ち着いている。
慣れている。
既に何十万人も見てきた。
若い鑑定教師が淡々と言う。
「次」
農民の男が前へ出る。
鑑定。
文字が浮かぶ。
『農業適性:高』
『土壌理解:覚醒』
教師は頷く。
「北部農業区画」
「次」
鍛冶師。
『鍛造補助:覚醒』
「第四工房」
「次」
織工。
『繊維解析:覚醒』
「紡績区」
淡々と進む。
驚きはない。
悲鳴もない。
教師たちにとっては“いつものこと”だった。
別教師が小さく言う。
「今回、職人系多いな」
隣が頷く。
「王都崩壊で流れてきた」
「質は高い」
冷静だった。
覚醒を奇跡扱いしない。
循環領では既に常識だからだ。
環境。
教育。
役割。
責任。
人はそこへ置かれると育つ。
教師たちは、それを知っている。
セレスが中央管理板を見ていた。
人口推移。
物流。
農地。
住宅。
教育。
全てが動いている。
そこへ報告。
「避難民第四陣、覚醒率上昇」
セレスは即答する。
「教育班増やして」
「職種別へ即振り分け」
「遊ばせない」
教師たちが動く。
混乱は無い。
既にシステム化されている。
その時。
避難民の若い女が震えながら言った。
「わ、私……文字読めません……」
教師は普通に答える。
「大丈夫」
「夜間学校あるから」
女が呆然とする。
「……え?」
教師は不思議そうだった。
「循環領では普通ですよ?」
その言葉に、周囲の避難民たちが静まる。
王国では違った。
学ぶのは一部。
平民は働くだけ。
だが循環領は違う。
学ばせる。
育てる。
だから回る。
一方。
教育棟。
ピーターが大量の子供たちへ授業していた。
文字。
数字。
地図。
子供たちが真剣に学んでいる。
武人団が補助している。
元王国騎士たちは、その光景を見て言葉を失っていた。
一人の元近衛騎士が呟く。
「……子供が学んでる」
隣の男が小さく言う。
「王国には無かったな」
ピーターは黒板へ大きく書く。
『未来』
子供たちが真似して書く。
ピーターは笑った。
「皆さんが未来です」
その言葉を聞きながら。
元騎士たちは静かに俯いた。
王国には無かった。
未来を育てる仕組みが。
だから滅びる。
循環領にはある。
だから広がる。
夜。
循環領の灯火は増え続けていた。
工房。
学校。
農地。
住宅。
人が働いている。
笑っている。
学んでいる。
生きている。
一方。
王都ベルグレイス。
王宮の灯火は、また一つ消えた。
国家は。
剣だけでは滅びない。
民が未来を失った時。
静かに死ぬのだ。




