26話:エバの反撃
村に風が流れていた。
乾いた風ではない。
水路を通り、畑を撫で、湿り気を帯びた風だ。
以前のこの村なら考えられなかった。
畑は割れ、井戸は濁り、子供は腹を空かせていた。
病は広がり、冬は死を意味していた。
だが今は違う。
水が循環している。
食料が循環している。
魔力が循環している。
そして何より、人が循環し始めていた。
誰か一人が背負う村ではない。
全員が少しずつ支えている。
グロマールは水路脇に立ち、流れを見ていた。
水属性魔法による微調整。
泥の沈殿。
流速の均一化。
土属性で補強した水路壁は、以前より遥かに安定している。
村人たちはそれを理解し始めていた。
教育。
それがこの村を変えていた。
「……また来てる」
ミレナが小さく呟く。
広場。
そこには再びロイドの姿があった。
悪徳商人。
前回、買い叩きに失敗した男。
しかし帰っていない。
まだ狙っている。
理由は単純だった。
この村は金になる。
魔狼素材。
保存食。
薬草。
浄化済み水。
さらに農地。
水路。
異常な生産効率。
普通の辺境村ではない。
ロイドは理解していた。
今は小さい。
だが放置すると危険。
だから今のうちに握りたい。
支配したい。
価格を抑えたい。
中央商会に組み込みたい。
ロイドは広場で笑顔を浮かべていた。
「いやぁ、皆さん誤解していますよ」
「私は友好的な取引をしたいだけです」
ジミーが鼻で笑う。
「その友好的って言葉、便利だな」
ロイドは流した。
この手の人間は、感情では動かない。
利益で動く。
だから揺さぶる。
「しかし困るでしょう?」
「流通経路が少ない」
「販路が無い」
「保存にも限界がある」
「いずれ溢れる」
その言葉に。
村人たちの顔が少し曇る。
それは事実だった。
今は持ち直している。
しかし、まだ村は小さい。
販路は弱い。
輸送力も足りない。
ジミーだけでは限界がある。
ロイドはそこを突いた。
「我々と組めば楽になります」
「中央へ流せる」
「安定した取引ができる」
甘い言葉。
しかし裏がある。
価格支配。
依存。
借金。
契約。
辺境村を飲み込む典型手段だった。
ロイドは勝ったと思った。
村人の顔が揺れている。
当然だ。
現実問題として物流は必要。
だから押せる。
その時。
小さな声が響いた。
「なら、こちらから条件を出します」
全員が振り向く。
エバだった。
まだ若い少女。
だが目が冷静だった。
感情で動いていない。
数字で見ている。
ロイドは笑う。
「ほう?」
「お嬢さんが交渉を?」
エバは無視した。
「まず確認です」
「中央南部の乾燥魔狼肉価格、銀貨二枚」
「塩漬け加工品、銀貨三枚」
「上級保存処理で銀貨四枚」
ロイドの笑顔が止まる。
周囲が静かになる。
エバは続けた。
「薬草相場」
「浄化済み水」
「魔狼牙」
「毛皮」
「輸送費」
「全部計算済みです」
ロイドの目が細くなる。
なぜ知っている。
ジミーでも異常だった。
だがこの少女は違う。
数字の精度がおかしい。
エバは広場に置かれた木箱を見る。
「それ、中央価格表ですね?」
ロイドの背中に汗が流れる。
エバは見抜いていた。
商人は必ず相場を持つ。
そして隠す。
情報格差こそ利益だから。
エバは笑わない。
ただ静かに言う。
「あなたは“辺境だから知らない”と思っている」
「でも、もう通用しません」
村人たちがざわつく。
ロイドはまだ余裕を崩さない。
「価格は市場で変動します」
「辺境と中央を同じにはできませんよ」
エバは頷いた。
「ええ」
「だから輸送費を引きました」
「それでも安すぎます」
ロイドの頬が僅かに引きつる。
完全に読まれている。
エバは止まらない。
「あと、あなたの護衛」
「中央規模に対して少ない」
「つまり今回は“大商談”じゃない」
「試しですね?」
空気が変わった。
ロイドの目が細くなる。
エバはさらに続ける。
「買い叩けるか確認しに来た」
「成功したら本隊を呼ぶつもりだった」
沈黙。
図星だった。
セレスが小さく笑う。
「怖い子ね」
ミレナも驚いていた。
エバは元々計算高い。
しかし今は違う。
以前より遥かに鋭い。
教育。
数字。
在庫。
流通。
グロマールが教えた環境。
それが彼女を育てた。
エバはロイドを真っ直ぐ見る。
「こちらの条件です」
「価格は中央基準」
「輸送費のみ差し引き」
「契約期間は短期」
「独占禁止」
「価格変動情報の共有」
「不履行時は即停止」
村人たちが息を呑む。
ロイドが初めて苦笑した。
「……随分強気だ」
エバは静かに返す。
「違います」
「対等です」
その言葉。
以前の村なら絶対に出なかった。
辺境は搾取される側。
頭を下げる側。
奪われる側。
それが当たり前だった。
しかし今。
この村は違う。
食料充足率は急上昇している。
水がある。
畑がある。
保存技術がある。
魔法教育がある。
さらに魔力循環。
村人たちは以前より遥かに長く働ける。
魔力吸収を応用した疲労回復も進み始めている。
完全ではない。
だが変わっている。
グロマールは静かに見ていた。
彼は口を挟まない。
必要ないからだ。
エバが育っている。
それが重要。
ロイドは初めて理解した。
この村の恐ろしさを。
強者がいるのではない。
“育つ”。
それが異常。
辺境村は普通、疲弊する。
知識が蓄積しない。
教育が無い。
だから弱いまま。
しかしこの村は違う。
教える。
共有する。
循環する。
だから成長が止まらない。
ロイドが笑う。
今度は本音混じりだった。
「……本当におかしな村だ」
エバは淡々と答える。
「違います」
「普通です」
「今までが、おかしかっただけです」
その瞬間。
広場が静かになった。
村人たちが彼女を見る。
エバはまだ少女だ。
しかしその言葉は重かった。
貧困。
病。
飢え。
搾取。
知らないこと。
教えられないこと。
それら全部が、この世界の“普通”だった。
でも違う。
環境が変われば、人は育つ。
教育があれば、人は考える。
考えれば、奪われない。
ロイドはゆっくり息を吐いた。
負けた。
今回は完全に。
彼は理解した。
この村は、もう辺境の弱者ではない。
小さい。
まだ脆い。
それでも。
確実に世界の仕組みから外れ始めている。
グロマールは水路を見る。
水が流れている。
止まらない。
循環は始まっていた。




