257話:帝国の使者
ベルグラード王国。
五百年国家。
北方最大の王国。
その崩壊は、もはや誰の目にも明らかだった。
地方は循環領へ流れた。
貴族は逃げた。
騎士も去った。
商人も動いた。
そして今。
周辺国家までもが、“王国の終わり”を認識し始めていた。
北方超大国。
ヴァルディス帝国。
広大な領土。
強大な軍事力。
巨大な生産力。
そして何より。
“現実主義”で知られる国家。
帝都中央。
白銀宮。
巨大な円卓へ、各地からの報告書が積み上がっていた。
ベルグラード王国人口流出。
地方機能停止。
物流崩壊。
騎士団離反。
循環領拡大。
全て数字で記録されている。
円卓中央。
若皇帝アレクシス・ヴァルディスは、静かに報告書を読んでいた。
まだ二十代後半。
若い。
だが目だけは鋭い。
側近たちも緊張している。
若くして帝位へ就き、帝国改革を進めた男。
“冷徹な現実主義者”。
それがアレクシスへの評価だった。
老将軍が口を開く。
「ベルグラード王国、崩壊寸前です」
アレクシスは短く頷く。
「知っている」
別の文官が続ける。
「王都人口は既に数%」
「地方行政機能停止」
「市場崩壊」
「王国騎士団離反」
「地方領主の多くが循環領へ従属」
報告が続くたび、会議室の空気が重くなる。
若い側近が慎重に尋ねた。
「介入なさいますか」
「今なら王都制圧も容易です」
アレクシスは報告書を閉じた。
静かな音。
「制圧してどうする」
側近が言葉を失う。
アレクシスは窓の外を見る。
帝都。
整備された街。
水路。
工房。
学校。
市場。
人が動いている。
“生きている国家”。
アレクシスは静かに言った。
「死体を拾う趣味はない」
冷たい。
だが合理的だった。
ベルグラード王国は、もう終わっている。
軍事的勝利など意味がない。
その時。
老文官が口を開く。
「では……王国へ介入を?」
アレクシスは首を横へ振った。
「違う」
短い。
だが重い。
「文明を残す」
会議室が静まり返る。
アレクシスは続ける。
「王は愚かでもいい」
「だが民まで滅ぼす必要はない」
「教育は残せ」
「文化は残せ」
「技術は残せ」
「次代を残せ」
彼は側近を見る。
「王子と王女は保護しろ」
老将軍が目を細めた。
「王族を?」
アレクシスは頷く。
「罪を継がせるな」
「国が壊れても、人材まで潰す必要はない」
その言葉に、帝国側近たちは静かに頭を下げた。
その頃。
循環領。
中央管理区。
巨大な通信魔導板。
人口推移。
物流情報。
索敵情報。
全てがリアルタイム更新されていた。
中央に立つのはセレス。
疲労はある。
だが判断は止まらない。
索敵教師が報告する。
「王都東街道、貴族集団確認」
「馬車二十七」
「使用人多数同行」
別教師が続ける。
「西街道集団、使用人置き去り確認」
セレスは静かに目を閉じた。
彼女は見ていた。
全部。
老女侯爵。
使用人を見捨てなかった。
侍女を抱き締めていた。
老執事へ席を譲っていた。
食料を分けていた。
一方。
太った侯爵。
宝石箱優先。
使用人切り捨て。
泣く侍女を突き飛ばした。
セレスは静かに言う。
「転移教師班」
教師たちが即座に反応する。
「はい」
「老女侯爵一団を優先保護」
「全員受け入れ」
教師たちが動き出す。
だがセレスは続けた。
「デブ侯爵側は」
空気が変わる。
セレスの目は冷たい。
「本人と側近を排除」
沈黙。
「使用人たちは回収」
教師たちは頷いた。
迷いはない。
循環領は、行動を見る。
何を守ったかを見る。
それが循環領の“選別”だった。
転移教師たちが魔法陣を展開する。
風属性索敵。
空間固定。
転移。
高度魔法が同時起動する。
教育。
それが循環領最大の力だった。
王都東街道。
老女侯爵一団。
馬車列は疲弊していた。
使用人たちも限界近い。
その時。
空間が揺らぐ。
風が吹く。
転移教師たちが現れた。
私兵が武器を構える。
だが老女侯爵は理解していた。
「……循環領」
女教師が一礼する。
「セレス様命令です」
「お迎えに参りました」
老女侯爵は目を閉じる。
涙が零れた。
後ろでは侍女たちが泣いている。
一方。
別街道。
太った侯爵一団。
使用人たちは道端へ捨てられていた。
老人。
侍女。
料理人。
全員、震えている。
その時。
空間が裂けた。
武人団。
転移教師。
侯爵が青ざめる。
「な、何だ貴様ら!」
教師は冷たい。
「循環領です」
侯爵が叫ぶ。
「助けに来たのか!」
教師は答えない。
武人団が前へ出る。
側近たちが武器を抜く。
だが遅い。
風拘束。
氷鎖。
土壁。
一瞬だった。
侯爵と側近たちは制圧される。
使用人たちが震えている。
若い侍女が泣きながら言った。
「わ、私たちも捨てられるんですか……?」
女教師が首を横へ振る。
「違います」
「迎えに来ました」
その言葉で、崩れるように泣き出す者が続いた。
その頃。
循環領中央物流区。
ジミーが大量の帳簿を見ていた。
物流。
住宅。
避難民。
農地。
全てが限界近い。
だが回っている。
通信が入る。
「回収完了」
「使用人三百四十六名保護」
「老女侯爵一団受け入れ完了」
ジミーが短く息を吐く。
「……まだ回るな」
部下が苦笑する。
「普通の国家なら崩壊してます」
ジミーが笑った。
「グロマールさんが備蓄狂だからな」
食料充足率七百五十%超。
百五十万人分備蓄。
農業革命。
巨大紡織産業。
物流網。
教育網。
全部。
“今日のため”だった。
遠く。
王都ベルグレイス。
巨大王城だけが灯りを残している。
だが、その灯りも弱い。
民が消えた。
商人が消えた。
使用人も消えた。
国家は剣で壊れない。
生活が消えた時。
静かに死ぬのだ。




