254話:最後の忠臣
ベルグラード王国。
建国から五百年。
北方最大国家。
豊かな穀倉地帯。
巨大紡織産業。
誇り高き騎士団。
かつてその国は、“北の盾”と呼ばれていた。
だが今。
王都ベルグレイスの空気は、死に始めていた。
市場は静かだった。
いや。
“静かすぎた”。
肉屋は閉まり。
パン屋は列だけが残る。
薬草店には空箱。
井戸には疲れた民。
誰も怒鳴らない。
暴動すら起きない。
その気力が残っていない。
痩せた子供たちが石畳へ座り込んでいる。
咳。
発熱。
空腹。
冬はまだ来ていない。
それなのに、王都には既に“冬の臭い”が漂っていた。
王城。
巨大な白亜の宮殿。
五百年国家の象徴。
その大広間では、今日も重苦しい会議が開かれていた。
玉座。
ベルグラード国王ガルドレイン三世。
豪奢な衣装。
黄金の王冠。
だがその目には、疲労と苛立ちが浮かんでいた。
その前に立っているのは、王子アルベルト。
そして王女エレノア。
二人とも顔色が悪い。
既に数日、まともに眠っていない。
王子が声を上げた。
「民が逃げています!」
大広間が静まり返る。
王子の声は震えていた。
怒りではない。
焦り。
恐怖。
そして絶望。
「北部だけではありません!」
「東部、西部、中央外縁!」
「地方領主まで循環領へ降伏しています!」
王は眉を寄せた。
「だから何だ」
王子が拳を握る。
「もう維持できません!」
「王国は崩壊しています!」
その瞬間。
王が玉座を叩いた。
轟音。
「黙れ!!」
空気が震える。
王の目には怒気が宿っていた。
「王国は永遠だ!!」
誰も声を出せない。
王女エレノアが前へ出る。
彼女もまた疲弊していた。
だが瞳だけは真っ直ぐだった。
「父上」
「もう地方へ食料が届いておりません」
「騎士団も崩壊しています」
「領民たちは飢えています」
王は顔を背けた。
「地方が弱いだけだ」
その言葉に、王子が息を呑む。
「弱い……?」
「違います!」
「徴発で食料を奪ったのは王都です!」
「物流を壊したのも!」
「地方税を増やしたのも!」
王子の声が響く。
「我々だ!!」
静寂。
王は立ち上がった。
「アルベルト」
低い声。
「王へ責任を押し付けるな」
王子が震える。
「押し付けているのではありません!」
「現実です!」
その時。
横に控えていた老宰相が前へ出た。
痩せた男だった。
しかし衣服だけは豪華。
彼は穏やかな口調で言った。
「陛下の御威光を示せば民は戻ります」
王子が絶句する。
王女も目を見開いた。
宰相は続ける。
「循環領は一時的な混乱に過ぎません」
「民は必ず、正統なる王国へ帰属します」
「必要なのは威厳です」
「王威です」
「王国騎士団を動かし、威光を示せば――」
王子が怒鳴った。
「だから滅びるんだ……!」
空気が凍る。
王子は肩を震わせていた。
「まだ分からないのか……!」
「民は腹が減ってるんだぞ!」
「病で死んでるんだぞ!」
「王威でパンは増えない!」
「威厳で冬は越せない!」
王子の叫びが響く。
王女エレノアも静かに言った。
「もう、“王都だけ”では国は維持できません」
「地方が死ねば国家も死にます」
だが王は聞かない。
聞けなくなっていた。
五百年国家。
その重さ。
誇り。
伝統。
王という立場。
それら全てが、現実を見ることを拒絶させていた。
王は玉座へ座り直す。
「循環領が異常なのだ」
王子が唇を噛む。
確かに異常だった。
人口二十万。
食料充足率七百五十%超。
百五十万人分の備蓄。
魔力循環式農業。
巨大灌漑。
寒冷地農法。
紡織産業。
物流革命。
教育制度。
通信網。
それら全てを、たった数年で構築した。
普通ではない。
だが。
“現実”だった。
王女が静かに言う。
「循環領は、もう国家です」
宰相が鼻で笑う。
「成り上がりの集落です」
「王国とは格が違う」
その瞬間。
王子が机へ拳を叩きつけた。
「格で民は食えない!!」
沈黙。
王子は荒い呼吸を繰り返す。
「北部十五領、既に循環領支援開始」
「教師百名派遣」
「治癒師二十」
「薬師二十」
「携帯魔導通信機配布」
「食料先行支援」
「各領再建開始」
宰相が顔を歪める。
「そんな真似、長続きするはずが――」
「します」
王女が遮った。
「循環領には備蓄があります」
「百五十万人分です」
宰相が絶句する。
王も目を細めた。
王子が続ける。
「一領辺り人口は一万未満」
「数千規模も多い」
「百五十領あっても、食料だけなら足りる」
王女が俯く。
「もう……地方は循環領を選び始めています」
その言葉は重かった。
国を捨てたのではない。
“生きられる場所”を選んだ。
それだけだ。
その頃。
循環領。
巨大中央倉庫。
大量の馬車。
教師団。
治癒師団。
物流部隊。
夜でも作業は止まらない。
ベル芋。
乾燥麦。
保存肉。
薬草。
魔導冷却箱。
次々積み込まれていく。
ジミーが帳簿を見ながら怒鳴る。
「第五輸送隊出発!」
「北部優先!」
「農具も積め!」
部下が叫ぶ。
「教師団準備完了!」
「治癒班移動開始!」
循環領は回っていた。
止まらない。
それはまるで、一つの巨大な生命体だった。
そしてその中心には。
もうグロマールはいない。
彼は旅へ出ている。
ミレナと共に。
だが循環領は止まらなかった。
なぜなら。
“環境”が人を育てたからだ。
教師。
治癒師。
物流管理者。
農業指導者。
武人団。
全員が、既に循環領そのものになっていた。
王都。
大広間。
王子が静かに言った。
「父上」
「民はもう、“王国”を見ていません」
「生活を見ています」
王は答えない。
いや。
答えられなかった。
窓の外。
夜の王都。
かつて眠らなかった巨大都市。
今は灯りが少ない。
寒々しいほどに。
静かだった。




