240話:文明圏
もう国家じゃない。
文明。
朝。
循環領中央議事堂。
巨大な会議室。
教師。
行政官。
物流責任者。
各都市代表。
エルフ。
ドワーフ。
獣人。
魔族。
人族。
種族が混ざる。
それがもう当たり前になっていた。
議題は多い。
工業都市拡張。
新物流路。
孤児院設置。
衛生基準更新。
識字率推移。
農業生産予測。
国家会議ではない。
文明運営だった。
セレスが資料を整理していた。
「北部物流都市、来月人口二十万突破です」
「工業学校拡張が必要ですね」
隣でフェルド・レイヴンが頷く。
元伯爵家次男。
今は違う。
大臣スキル覚醒者。
行政責任者。
「水路を先に整備しましょう」
「人口増加速度が予測以上です」
会話が速い。
全員理解している。
識字率。
教育。
工業。
物流。
全部繋がっているから。
そこへ。
扉が開いた。
使者。
二名。
衣装を見た瞬間。
空気が止まる。
神殿国家ルーメシア。
宗教国家レヴァイン。
かつて。
教育を禁じた国。
識字を禁じた国。
教師を捕らえた国。
その使者だった。
マイクが露骨に嫌そうな顔をする。
「……また面倒か?」
セレスが小さく息を吐く。
「一応聞きましょう」
使者たちは静かに跪いた。
以前と違う。
傲慢さが無い。
痩せている。
疲れている。
しかし。
目だけは真剣だった。
ルーメシア使者が口を開く。
「我々は」
「方針を変更しました」
静まり返る。
レヴァイン使者も続ける。
「教育を認めます」
「信仰も維持します」
その瞬間。
会議室が静かにざわついた。
マイクが眉をひそめる。
「急やな」
「何があった?」
答えは単純だった。
「民が逃げました」
使者は俯く。
「工業」
「衛生」
「物流」
「教育」
「全部で差が出ました」
「もう誤魔化せません」
誰も笑わない。
現実だった。
ルーメシア。
かつて巨大宗教国家。
今。
崩壊寸前。
理由。
単純。
文明差。
食料不足。
物流停滞。
病死増加。
識字率不足。
工業力不足。
全部。
積み重なった。
しかも。
民は知ってしまった。
循環領を。
教育都市を。
工業都市を。
孤児院を。
戻れない。
知識は戻らない。
使者が続ける。
「枢機卿」
「大司祭」
「刷新されました」
「旧体制は解体中です」
セレスが静かに確認する。
「……誰が新体制を?」
使者は顔を上げた。
「循環領に捕縛されていた」
「司祭と神官たちです」
その瞬間。
ピーターが少し目を見開いた。
覚えている。
かつて。
教育弾圧側だった者たち。
しかし。
循環領で再教育された。
働かされた。
学ばされた。
そして。
変わった。
使者が続ける。
「彼らは」
「スキルを覚醒していました」
「教導スキルです」
会議室が静かになる。
教導。
つまり。
人を育てる力。
ピーターが呟く。
「……本当に変わったんですね」
彼は知っている。
教導スキル。
簡単に覚醒しない。
本気で人を導こうとした者だけ。
だから。
意味が重い。
使者が深く頭を下げる。
「どうか」
「彼らを返還していただけないでしょうか」
「新たに民を導く必要があります」
グロマールは静かだった。
少し考える。
そして。
短く答えた。
「本人の意思を確認する」
それだけだった。
数時間後。
中央教育区画。
旧ルーメシア司祭たち。
今は違う。
教師補佐。
衛生指導員。
孤児院管理。
物流管理。
普通に働いている。
以前のような豪奢な法衣はない。
しかし。
表情は穏やかだった。
その中の一人。
元司祭エドワルド。
彼は使者を見て固まった。
「……国が」
「変わるのですか」
使者が頷く。
「はい」
「もう」
「変わらなければ滅びます」
静かだった。
誤魔化しがない。
その言葉に。
エドワルドは長く沈黙した。
彼は思い出す。
昔。
文字を禁じた。
教育を恐れた。
無知を信仰と言った。
しかし。
間違っていた。
ここで知った。
教育は。
人を壊さない。
むしろ。
救う。
孤児。
病人。
貧民。
全員。
知識で救われていた。
エドワルドが静かに言う。
「……帰ります」
「今度は」
「本当に導かなければならない」
その隣。
元神官リディアも頷いた。
彼女も変わった。
教導スキル。
衛生指導。
孤児教育。
全部学んだ。
「祈るだけでは」
「救えませんでした」
「でも」
「祈ること自体は無駄じゃなかった」
ミネルバが静かに笑う。
「はい」
「支える力にはなります」
そこに敵意は無かった。
否定しない。
しかし。
現実から逃げない。
それが循環領だった。
翌日。
返還式。
しかし。
まるで戦争捕虜返還ではない。
教師派遣だった。
元司祭たちは。
大量の教材。
衛生資料。
物流基礎本。
識字教育用冊子。
全部を抱えている。
ドワーフ教師が笑う。
「鍛冶学校も作れよ」
エルフ教師が続く。
「水路整備は最優先です」
獣人教師。
「治安維持は食料からだ」
魔族教師。
「感情論だけでは回りません」
全部。
知識だった。
使者たちは呆然とする。
宗教国家。
その再建に。
他国教師が普通に協力している。
もう。
国家単位ではない。
文明圏。
その概念が生まれ始めていた。
夜。
会議室。
セレス。
フェルド。
ピーター。
グロマール。
静かな会議。
セレスが地図を見る。
「……完全に変わりましたね」
地図上。
教育都市。
工業都市。
物流都市。
医療都市。
農業都市。
それぞれ線で繋がっている。
国境を越えて。
フェルドが呟く。
「国家ではなく」
「文明そのものが広がっています」
ピーターが静かに言う。
「昔は」
「村を救うだけだったのに」
グロマールは窓の外を見る。
灯り。
無数。
学校。
工場。
病院。
孤児院。
全部動いている。
誰か一人の力ではない。
循環。
人が人を育てる構造。
それが今。
世界を覆い始めていた。
そして。
かつて教育を否定した宗教国家ですら。
もう。
その流れを否定できなくなっていた。
文明は。
止まらない。




