235話:疫病
物流差。
工業差。
医療差。
残酷に出る。
雨季が長引いた。
それだけだった。
本来なら、
それだけで終わる話だった。
しかし。
教育のない国家では、
雨は“災害”になる。
神殿国家ルーメシア南部。
湿った空気。
濁った水。
腐敗した食料。
そして。
病。
最初は小さな咳だった。
熱。
倦怠感。
腹痛。
数日後には、
村単位で人が倒れ始めた。
「神罰だ……」
神官はそう言った。
祈りを捧げろ。
神に懺悔しろ。
清めの祈祷を受けろ。
だが。
病人は減らない。
むしろ増えた。
理由は単純だった。
汚染水。
手洗い不足。
排泄管理不足。
腐敗食。
感染隔離知識ゼロ。
つまり。
衛生教育不足。
神官たちは気づいていなかった。
病とは。
“精神”ではなく、
“環境”で広がることを。
循環領。
中央医療院。
ピーターは静かに報告書を読んでいた。
机には大量の紙。
症状。
死亡率。
感染経路。
水源位置。
発生地域。
識字率が上がったことで、
報告精度が桁違いに上がっていた。
読める。
書ける。
だから状況共有できる。
これだけで、
国家は変わる。
「……早いな」
ピーターが呟く。
隣でミネルバが頷いた。
「南部から広がっています」
「水路沿いです」
「井戸も汚染されています」
「死者は?」
「報告上では千二百人を超えています」
部屋が静かになる。
かつてなら。
もっと死んでいた。
数万。
十万。
それでも不思議ではない。
しかし今は違う。
教師たちがいる。
索敵教師。
衛生教師。
治療教師。
物流教師。
教育が、
感染速度を遅らせていた。
ピーターは立ち上がった。
「最近の覚醒者で」
「薬師で“スキルポーション生成”っていう生徒がいたよね」
ミネルバがすぐに反応する。
「十人ほどいます」
「呼んでくれ」
「はい」
治癒魔法には限界がある。
これは、
循環側が最初期から理解していた。
傷。
裂傷。
骨折。
魔力欠乏。
それらには強い。
しかし。
病は違う。
細菌。
寄生。
汚染。
内臓障害。
それらは、
身体そのものの環境問題。
つまり。
薬。
衛生。
栄養。
休養。
そちらが必要だった。
ピーターは窓を見る。
外では、
子供たちが掃除をしている。
昔はなかった光景。
水路管理。
消毒。
手洗い。
沸騰。
下水分離。
食料保管。
全部、
教育で広まった。
だから循環側は、
疫病に強い。
魔法国家だからではない。
教育国家だから。
数時間後。
十人の若い薬師たちが集められた。
皆まだ若い。
十代後半。
二十代前半。
しかし目は真剣だった。
その中の一人。
少女が緊張した顔で言う。
「本当に……私たちが?」
ピーターは頷く。
「君たちしかできない」
「治癒魔法では間に合わない」
「ポーションで少しでも体力が回復していたらと思う」
沈黙。
薬師たちは顔を見合わせた。
恐怖はある。
当然だ。
疫病地域へ行く。
死ぬ可能性もある。
しかし。
逃げる者はいなかった。
なぜなら。
彼らは知っている。
自分たちが、
誰に育てられたか。
貧困。
病。
飢餓。
絶望。
そこから救われた。
だから。
今度は自分たちが救う。
一人の青年薬師が前に出た。
「行きます」
続く。
「私も」
「自分の家族を助けたい」
「兄を病で亡くしました」
「だから薬師になったんです」
ミネルバが静かに目を伏せた。
強くなった。
本当に。
昔なら、
泣いていた子たちだ。
今は違う。
自分で立っている。
環境が、
人を育てた。
ピーターは頷いた。
「ありがとう」
「物流班を付ける」
「衛生教師も同行」
「水路管理班も出す」
「感染地域は隔離」
「井戸は封鎖」
「沸騰指導を徹底」
「栄養食配布」
「ポーションは重症者優先」
指示が飛ぶ。
全員が動く。
迷いがない。
これが。
教育国家。
神殿国家ルーメシア。
一方その頃。
南部大神殿。
枢機卿が怒鳴っていた。
「なぜ止まらん!」
「祈祷はどうした!」
神官が震える。
「し、しかし……」
「病人が増え続けております……!」
「医療神官も倒れ始めています……!」
「井戸が……!」
枢機卿が机を叩く。
「黙れ!」
「信仰が足りん!」
その瞬間。
部屋の空気が凍る。
若い神官が静かに言った。
「……違います」
全員が振り返る。
若い。
二十代前半。
識字教師出身。
元々、
秘密学校に通っていた男だった。
「原因は水です」
「汚染されています」
「隔離と煮沸が必要です」
「排泄管理を変えないと」
枢機卿が顔を歪める。
「異端思想か!」
「誰に吹き込まれた!」
若い神官は静かだった。
「現実です」
「人が死んでいます」
「祈りでは止まりません」
枢機卿が杖を振り上げた。
しかし。
その場にいた別の神官が。
動かなかった。
さらに別の神官も。
俯いたまま。
誰も従わない。
なぜか。
もう知ってしまったから。
循環側の知識を。
文字を。
医学を。
衛生を。
現実を。
知った人間は戻れない。
それは。
宗教国家にとって、
最悪の病だった。
循環領。
グロマールは報告書を読んでいた。
セレスが隣に立つ。
「南部です」
「予想通り崩れ始めました」
グロマールは短く言う。
「死者は減らせ」
「はい」
「宗教はどうでもいい」
「人を救え」
セレスが小さく笑った。
「相変わらずですね」
「当たり前だ」
グロマールは視線を上げる。
窓の外。
巨大な物流都市。
学校。
病院。
工場。
紡織施設。
農業区画。
水路。
衛生管理。
教育。
全部が繋がっている。
これが。
循環。
英雄ではない。
奇跡でもない。
環境。
仕組み。
教育。
それが国家を変える。
そして今。
世界は。
その差を、
残酷なほど理解し始めていた。




