236話:祈り
宗教を否定しない。
でも。
「祈るだけでは救えない」
雨は止んだ。
しかし。
病は止まらない。
神殿国家ルーメシア南部。
かつて豊穣を誇った街道都市は、
今や咳と呻き声に覆われていた。
痩せ細る子供。
倒れた老人。
熱に浮かされる母親。
汚れた水。
腐臭。
濁った井戸。
そして。
絶望。
神殿前では、
多くの人々が祈っていた。
「神よ……」
「どうかお救いを……」
祈りは間違いではない。
心を支える。
絶望を耐えさせる。
人を前に進ませる。
それは確かに必要だった。
しかし。
祈るだけでは、
病は止まらない。
循環領医療派遣隊。
巨大な仮設医療区画。
そこでは、
全員が走っていた。
「重症者こっち!」
「水を沸騰させろ!」
「患者隔離!」
「食料切れるぞ!」
「物流班急げ!」
怒号が飛ぶ。
しかし混乱ではない。
機能している。
分業。
教育。
訓練。
それが現場を支えていた。
ピーターは中央指揮所で地図を見ていた。
感染範囲。
井戸。
患者密集地。
死亡率。
索敵教師からの報告が絶え間なく届く。
「西区画患者増加!」
「南側水路汚染!」
「避難民集落発見!」
ピーターは即座に指示を出す。
「隔離区画追加」
「浄化班を回せ」
「炊き出し増量」
「薬師班は南へ」
隣でミネルバが動く。
「治癒師班は?」
「重症優先」
「魔力切れを避ける」
「はい」
その時。
扉が開いた。
若い薬師たち。
スキルポーション生成持ち。
十人。
まだ若い。
だが。
目は強かった。
ピーターの教導スキル。
Lv8。
その影響は絶大だった。
薬師たちは、
短期間で急成長していた。
知識共有。
技術共有。
失敗共有。
つまり。
教育。
それが、
人を異常速度で成長させる。
一人の薬師少女が報告する。
「体力回復ポーション三百本完成!」
「滅菌ポーション百二十本!」
「免疫力回復ポーション八十本!」
続く。
「追加生産可能です!」
「素材班から薬草搬入あり!」
ピーターが頷く。
「全力で回す」
「患者を死なせるな」
「はい!」
薬師たちが散る。
次々に。
ポーションが作られていく。
体力回復。
滅菌。
免疫回復。
従来の世界にはなかった概念。
治癒魔法だけに頼らない。
身体環境を整える。
病と戦うための知識。
それが今、
現実を変え始めていた。
医療区画。
衛生教師たちが叫ぶ。
「飲ませろ!」
「少しずつでいい!」
「水と一緒に!」
患者へ。
ポーションが配られる。
苦しそうだった男が、
ゆっくり呼吸を戻す。
熱に浮かされていた少女が、
目を開く。
そこへ。
ミネルバ派の治癒師たちが到着した。
「次!」
「魔力循環安定!」
「内臓負荷軽減!」
光属性魔法。
癒。
しかし。
今回は違う。
ポーションで体力を維持した上で、
治癒魔法をかける。
だから効果が跳ね上がる。
患者たちの顔色が変わる。
呼吸が戻る。
泣き声が上がる。
「助かった……」
「生きてる……」
ミネルバが静かに目を閉じた。
治せる。
今回は。
助けられる。
その時。
外から巨大な魔力波動が広がった。
光。
広域浄化。
ピュリフィケーション。
巨大水路全体へ、
浄化魔法が流れ込む。
濁った水が透明になる。
腐臭が消える。
病原が消えていく。
鑑定持ち教師たちが確認する。
「汚染反応減少!」
「北水路安全!」
「南側残留あり!」
即座に索敵教師が動く。
「残留地点特定!」
「浄化班移動!」
連携。
迷いがない。
料理教師たちも動いていた。
巨大鍋。
炊き出し。
温かいスープ。
消化しやすい粥。
塩分補給。
栄養補給。
これも医療。
食べないと治らない。
教育国家は知っている。
人間は、
魔法だけで生きていないことを。
ルーメシア住民たちは、
呆然と見ていた。
神官ではない。
教師。
薬師。
料理人。
物流担当。
索敵教師。
治癒師。
皆が役割を持ち。
動いている。
誰も威張らない。
誰も祈るだけで終わらない。
現実を見ている。
その時。
一人の老神官が、
静かに呟いた。
「……祈りは」
「無意味だったのか」
隣にいたピーターが首を振る。
「違います」
老神官が顔を上げる。
ピーターは穏やかだった。
「祈りは人を支えます」
「恐怖の中で立たせる」
「絶望を耐えさせる」
「それは大切です」
「でも」
ピーターは患者たちを見る。
「祈るだけでは救えない」
静かな声だった。
しかし。
誰より強かった。
老神官は涙を流した。
初めてだった。
誰かが。
宗教を否定せず。
それでも現実を見る。
その姿を見たのは。
夜。
作業は続いていた。
薬師たちは、
疲れ切った顔でポーションを作る。
しかし。
止まらない。
スキルレベルが上がっていく。
薬師Lv3。
Lv4。
Lv5。
衛生教師も。
料理教師も。
索敵教師も。
全員が成長していた。
現場。
経験。
責任。
それが人を育てる。
環境が人を育てる。
グロマールの思想は、
今や国家を超え始めていた。
遠く。
中央都市。
グロマールは報告を読んでいた。
セレスが静かに言う。
「抑え込み成功です」
「死亡率大幅低下」
「感染拡大停止」
グロマールは短く息を吐いた。
「よくやった」
セレスが少し笑う。
「ええ」
「本当に」
「強くなりました」
窓の外。
光が広がる。
学校。
病院。
工場。
物流。
農地。
そして。
人。
かつて。
貧困しかなかった世界。
病で死ぬしかなかった世界。
教育が存在しなかった世界。
そこから。
人は。
ここまで来た。
祈りは残る。
信仰も残る。
だが。
世界はもう。
“祈るだけの時代”には戻らなかった。




