234話:飢餓国家
物流差。
工業差。
医療差。
残酷に出る。
神殿国家ルーメシア。
世界最大級の宗教国家。
かつては「神に最も近い国」と呼ばれていた。
巨大な白亜の神殿。
黄金の祭壇。
数万を超える神官。
広大な農地。
強大な権威。
だが。
その内側は、静かに崩れ始めていた。
原因は戦争ではない。
魔王でもない。
災害でもない。
もっと単純だった。
教育。
それだけだった。
ルーメシア中央神殿。
大会議室。
老枢機卿が苛立たしげに机を叩く。
「またか!」
「また教師流出か!」
若い神官が震えながら報告する。
「北部神殿学校教師六名失踪」
「記録官三名」
「農業技師五名」
「治癒補助神官二名」
「物流記録係四名」
空気が重くなる。
ここで重要なのは。
ルーメシアは“完全無教育国家”ではない。
そんなもの国家として成立しない。
教育は存在する。
ただし。
独占されていた。
文字。
計算。
契約。
法律。
農業知識。
全部。
神殿が管理していた。
知識は権力。
だから。
一般市民には教えない。
農民には教えない。
読めない方が支配しやすいから。
しかし。
国家維持のため。
最低限の専門職だけは教育していた。
神殿学校教師。
記録官。
会計官。
農業技師。
治癒補助。
物流管理。
その“中間層”が。
今。
ごっそり消えていた。
老枢機卿が怒鳴る。
「なぜ逃げる!」
「神への信仰はどうした!」
若い神官は俯いたまま答える。
「……食えるからです」
静まり返る。
「向こうでは」
「教師にも給料が出ます」
「病気も治療されます」
「契約も平等です」
「子供も学校へ通えます」
「だから……」
「皆、向こうへ行くんです」
誰も反論できない。
現実だった。
帝国。
循環領。
教育国家群。
そこでは。
農民も文字を読む。
職人も計算する。
子供も契約を理解する。
物流も理解する。
農業改善も学ぶ。
しかも。
飢えない。
これが決定的だった。
ルーメシア南部。
農村地帯。
痩せた畑。
崩れた水路。
雑草。
病害。
放棄された風車。
老人が咳き込みながら呟く。
「技師が逃げた……」
「水路直せる奴がもうおらん……」
若者も消えた。
教師も消えた。
残ったのは。
読み書きできない農民だけ。
改善できない。
修理できない。
記録できない。
だから。
崩壊する。
帝国北部農業区。
一方こちらでは。
風属性農業班が受粉補助。
土属性班が地盤調整。
水属性班が灌漑制御。
索敵教師が害虫察知。
全部が仕組み化されていた。
しかも。
記録が残る。
数字が積み上がる。
改善される。
だから強い。
老人農民が笑っていた。
「昔は勘だった」
「今は学問だ」
若い農業教師も笑う。
「教育です」
その一言が。
世界を変えていた。
帝国中央物流局。
巨大倉庫群。
荷車。
ゴーレム。
転移門。
全部が動いている。
ジミーが帳簿を見る。
「南部支援物資追加」
「食料余剰問題無し」
部下が驚く。
「本当に食料尽きませんね……」
ジミーは笑う。
「物流止まってねぇからな」
「余ってる場所から運べばいい」
単純。
だが。
それができる国家は少ない。
物流には教育が必要だから。
記録。
在庫。
契約。
管理。
全部識字率が必要。
だから。
教育国家は強い。
ルーメシア。
そこでは。
まだ口伝が多かった。
記録が弱い。
だから物流が死ぬ。
結果。
飢える。
戦争も無いのに。
飢える。
帝国医療区。
ピーターが巡回していた。
治癒院。
薬品庫。
衛生区。
全部確認する。
若い治癒師たちが勉強している。
読み書き。
人体知識。
病原。
浄化。
消毒。
昔は存在しなかった概念。
ピーターが小さく呟く。
「……病気が減ってる」
ミネルバが資料を見る。
「乳児死亡率も下がってる」
「平均寿命も」
これも教育だった。
煮沸。
洗浄。
保存。
衛生。
全部。
知識。
その時。
補佐教師が駆け込む。
「ルーメシア難民到着!」
「発熱多数!」
ピーターは即座に動く。
「隔離!」
「浄化班!」
「煮沸開始!」
迷いが無い。
昔の泣き虫少年はいない。
今の彼は。
世界最高峰の教師だった。
帝国中央会議室。
セレスが地図を見る。
ルーメシア。
赤い印が増えていた。
飢餓区域。
医療崩壊区域。
物流停止区域。
マイクが眉をひそめる。
「戦争してねぇのに国が死んでくな」
セレスは静かに答える。
「教育差よ」
「それが今は、そのまま生存率になる」
誰も喋らない。
重い。
だが。
現実だった。
工業差。
物流差。
医療差。
識字率差。
全部。
最後は。
食料差になる。
つまり。
生きられるかどうか。
そこへ直結する。
グロマールは資料を閉じた。
「……止まらないな」
セレスが頷く。
「止まらない」
「知った人間は戻れないから」
文字。
計算。
物流。
農業。
衛生。
教育。
全部。
一度知れば。
もう戻れない。
昔の世界には。
戻れない。
ルーメシア。
その崩壊は。
戦争ではない。
革命でもない。
もっと静かで。
もっと残酷だった。
教師が消える。
技師が消える。
若者が消える。
すると。
国が死ぬ。
ただ。
それだけだった。




