226話:禁書
雪解け水が、
静かに水路を流れていた。
循環領。
朝。
子供たちは今日も学校へ向かう。
木板を抱えた農民。
本を読む孤児。
魔法式を書き写す獣人の少女。
算術を教わるドワーフ。
もう、
誰もそれを特別だと思っていない。
学ぶ。
それが、
当たり前になっていた。
「先生!
この字これで合ってますか!」
「うん、綺麗に書けてる」
ピーターは笑いながら答える。
教室の空気は明るい。
昔なら考えられなかった光景だ。
奴隷の子。
孤児。
農民。
元盗賊。
全員が机に座っている。
ミネルバは後ろからその光景を見て、
小さく微笑んだ。
「……本当に増えましたね」
「あはは……」
ピーターは苦笑する。
「最近、
学校だらけです」
実際、
循環領だけではない。
帝国。
ベルセリア。
奴隷王国跡地。
どこでも学校が建ち始めている。
理由は簡単だった。
結果が出るから。
食料が増える。
病が減る。
税収が増える。
犯罪が減る。
兵站が安定する。
つまり。
国家が強くなる。
もう誰も、
教育を“慈善”だと思っていない。
完全に、
国家戦略だった。
その時。
転移魔法陣が光る。
セレスだった。
顔が疲れている。
「……また来たわ」
グロマールが書類から顔を上げる。
「何が」
セレスは紙を机へ置いた。
宗教国家レヴァイン。
正式通達。
内容は簡潔だった。
『文字教育の即時停止を要求する』
部屋が静まる。
マイクが紙を覗き込む。
「……は?」
セレスは頭を押さえた。
「私も同じ反応した」
ピーターが困惑する。
「えっと……
なんでですか?」
セレスが読む。
「“民衆への識字教育は神意に反する”」
「“知識は神に選ばれた者のみが扱うべきである”」
「“無知は純潔である”」
沈黙。
マイクが口を開いた。
「意味わからん」
「ええ」
セレスも即答。
「何の権限でそんなこと言ってるのかしら」
ミネルバが悲しそうに言う。
「文字を覚えたら、
本が読めるのに……」
「それが嫌なのよ」
セレスは冷静だった。
「読めるようになると、
比較するから」
「比較?」
ピーターが聞き返す。
「そう」
セレスは窓の外を見る。
「税率」
「食料」
「病死率」
「治療法」
「法律」
「全部比較される」
「だから困るの」
ピーターは少し考えた。
そして。
「あ……」
理解してしまった。
無知なら、
疑問を持たない。
知らなければ、
支配できる。
マイクが呆れた顔をする。
「ホンマにバカの相手は疲れるな」
「かなり」
セレスも同意した。
グロマールは紙を読んでいた。
無表情。
怒っているわけでもない。
呆れているだけだった。
「……再び始まったな」
小さく呟く。
「再び?」
ミネルバが聞く。
グロマールは頷いた。
「昔も同じだった」
「文字を独占した」
「知識を独占した」
「教育を閉ざした」
「どの世界でもある」
静かな声。
だが、
重い。
「文字を読める人間は、
世界を理解し始める」
「だから怖い」
ピーターがぽつりと言った。
「でも……
文字って便利ですよね」
「便利だ」
グロマールは即答した。
「物流も。
農業も。
魔法も。
治療も」
「全部文字で加速する」
セレスが補足する。
「教導スキルとの相性も最悪なのよね」
「最悪?」
「宗教国家側から見ればね」
セレスは机に地図を広げた。
「文字が読める」
「教師がいる」
「本がある」
「転移流通がある」
「つまり、
知識が爆速で複製される」
マイクが笑う。
「あー……
そりゃ嫌がるわ」
今まで。
知識は支配だった。
持つ者だけが強かった。
でも今は違う。
学校が増えるたび、
教師が増える。
教師が増えるたび、
覚醒者が増える。
覚醒者が増えるたび、
文明が加速する。
しかも。
止まらない。
「どうします?」
セレスが聞く。
グロマールは普通に答えた。
「無視」
全員が頷いた。
当然だった。
「というか、
止める理由がない」
グロマールは本を一冊手に取る。
農業教本。
簡単な文字。
簡単な絵。
初心者向け。
「これで今年の収穫量が三割増えた」
次の本。
衛生管理。
「これで冬季病死率が半減した」
次。
魔力循環基礎。
「これで覚醒率が上がった」
本を置く。
「止める意味が分からん」
マイクが吹き出した。
「それな」
ピーターも苦笑する。
その時。
外が騒がしくなる。
子供たちの声。
「先生ー!」
一人の少女が駆け込んできた。
獣人の子供だった。
息を切らしている。
「字が読めた!」
教室が沸く。
少女は嬉しそうに板を見せた。
震える字。
でも、
確かに書けている。
自分の名前。
ミネルバは目を細めた。
「おめでとう」
少女は涙ぐんでいた。
「お母さんに読んであげるの!」
その瞬間。
部屋の空気が止まる。
セレスが静かに目を閉じた。
ピーターは笑っていた。
マイクは頭を掻く。
グロマールだけが、
静かに窓を見ていた。
「……これだ」
小さく呟く。
宗教国家は、
これが怖い。
文字。
知識。
教育。
だが本当に恐れているのは。
“自分で考え始めた民”
だった。
その頃。
宗教国家レヴァイン。
聖堂地下。
大量の本が積まれていた。
禁書指定。
農業理論。
衛生学。
数学。
魔力循環。
物流管理。
全部、
循環領由来。
神官たちは怒鳴っている。
「危険思想だ!」
「民が賢くなる!」
「秩序が壊れる!」
若い神官は、
その光景を見ていた。
震えている。
だが。
恐怖ではない。
違和感だった。
「……民が賢くなると、
何故困る?」
誰も答えられなかった。
その瞬間。
彼は理解してしまう。
宗教国家は、
神を恐れているのではない。
“考える民”
を恐れているのだと。




