216話:ミレナ
春の終わり。
循環領は、静かな熱を帯びていた。
子供が増えた。
家族が増えた。
笑顔が増えた。
それはつまり。
人々が“未来”を信じ始めた証だった。
朝。
中央広場。
大鍋から湯気が立ち上る。
ベル芋煮。
焼き立てのパン。
干し肉。
乳製品。
市場には色が溢れていた。
綿布。
薬草。
木工品。
金属器。
そして。
婚礼用の衣装。
最近、特に増えている。
ミーナの工房は完全に戦場だった。
帝国北部防衛都市グランゼル最高峰の紡織職人。
その名は既に帝国中へ広がっている。
織機の音が響く。
カタン。
カタン。
ミーナは大量の布を裁断しながら苦笑していた。
「また結婚式……?」
助手が笑う。
「今月だけで三十組目です」
異常だった。
だが。
悪い異常ではない。
人が未来を見始めると。
家族を作り始める。
それは文明の回復だった。
工房の外。
綿花農家の青年が待っていた。
不器用。
無口。
でも真面目。
毎日。
綿花を届ける。
毎日。
黙って手伝う。
ミーナはそんな彼を見て、少し笑う。
「今日も来たの?」
青年が照れながら頷く。
「……うん」
「布、重いだろ」
ミーナが吹き出す。
「毎日来てる人の台詞じゃないわね」
その空気。
穏やかだった。
昔の世界には無かった。
生き延びるだけで精一杯だった時代。
恋愛など贅沢だった。
今は違う。
未来がある。
だから人は。
誰かと生きたいと思える。
その頃。
循環領中央学校。
巨大講堂。
歓声。
拍手。
そこでは合同結婚式が行われていた。
索敵教師リシェル。
帝国最強格の拳神ドグラム。
二人が並んでいる。
完全に似合っていた。
リシェルがため息を吐く。
「まさか私が結婚するなんて」
ドグラムが笑う。
「俺もだ」
「昔は拳しかなかった」
「今は?」
「守りたいもんがある」
静かな言葉。
重かった。
リシェルが少し顔を赤くする。
周囲が騒ぐ。
「おおおお!!」
「拳神様かっこいい!!」
「リシェル先生綺麗!!」
そこへ。
ジミーとエバも現れる。
ジミーは妙に緊張していた。
商人相手には強い。
悪徳商会にも喧嘩を売れる。
でも。
結婚式には弱かった。
エバが呆れる。
「なんでそんな顔なの」
「だ、だってよ……」
「怖ぇだろ」
「結婚って」
エバが吹き出す。
「馬鹿」
「逃げる?」
ジミーが即答する。
「逃げねぇ」
その顔。
完全に男だった。
周囲が笑う。
セレスが小声で言う。
「最近ジミーかっこよくない?」
ミレナも頷く。
「責任持つ男って変わるのね」
本当にそうだった。
環境が人を育てる。
今。
責任を持てる世界になった。
だから。
人が変わる。
そして。
ベルセリア。
雪国王都。
巨大広場。
フィリア女王が立っていた。
隣には。
ベルセリア最強剣士。
帝国最強剣士の一人。
剣聖エルグレイ。
無骨。
巨大。
怖い。
なのに。
フィリアを見る時だけ少し優しい。
そのギャップに周囲がざわついていた。
フィリアが微笑む。
「緊張してます?」
エルグレイが真顔で答える。
「……敵軍一万より怖い」
周囲が爆笑する。
フィリアも吹き出した。
「剣聖なのに?」
「剣は簡単だ」
「女王は難しい」
フィリアの頬が少し赤くなる。
その空気を。
ミレナは遠くから見ていた。
静かだった。
周囲は幸せになっていく。
家族を作る。
未来を作る。
でも。
自分だけが止まっている気がした。
胸が苦しい。
理由は分かっている。
グロマール。
ずっと隣にいた。
助けられた。
変えられた。
支えられた。
なのに。
自分は何も返せていない。
ミレナは昔から強かった。
強くあろうとした。
弱い村。
壊れる現実。
守らなければいけなかった。
だから。
甘え方を知らない。
頼り方を知らない。
泣き方を忘れた。
その時。
セレスが隣へ来る。
「また難しい顔」
ミレナが目を逸らす。
「してない」
「してる」
即答だった。
セレスは全部分かっている。
ミレナの感情。
恐怖。
焦り。
全部。
セレスが静かに言う。
「好きなんでしょ?」
ミレナが固まる。
顔が赤くなる。
「なっ……」
「声大きい」
「うるさい!」
セレスが笑う。
「でも分かるわよ」
「ミレナって」
「支えたい人だから」
その言葉。
ミレナが黙る。
そうだった。
守りたい。
支えたい。
でも。
グロマールは強すぎる。
自分なんか必要なのか。
その不安が消えない。
すると。
広場中央。
エルグレイが模擬剣を持ち上げる。
巨大。
圧倒的。
ベルセリア最強剣士。
帝国最強剣士の一人。
完全に怪物。
その姿を見た瞬間。
ミレナの中で何かが決まった。
彼女が立ち上がる。
セレスが気づく。
「ミレナ?」
ミレナが前へ出る。
真っ直ぐ。
剣聖エルグレイの前へ。
周囲が静まる。
ミレナが言う。
「模擬戦をお願いします」
どよめき。
エルグレイが目を細める。
「理由は?」
ミレナが拳を握る。
震えていた。
怖い。
でも。
逃げたくない。
「勝ったら」
「グロマールに告白します」
静寂。
次の瞬間。
大爆発。
「うおおおおおお!!」
「言ったあああ!!」
「ミレナ様ぁぁ!!」
セレスが腹を抱えて笑う。
「ついに言った!!」
フィリア女王が目を丸くする。
エルグレイは少し驚いた後。
笑った。
「いい目だ」
「逃げてない」
ミレナが剣を抜く。
空気が変わる。
風。
土。
魔力循環。
完全安定。
彼女も成長していた。
昔の“守られる少女”ではない。
エルグレイが剣を肩に乗せる。
「受けよう」
「剣聖対剣聖だ」
歓声。
その時。
索敵教師リシェルが前へ出る。
空間魔法陣。
転移座標。
巨大魔法陣が展開される。
青白い光。
周囲がざわめく。
転移。
文明が次段階へ進み始めていた。
リシェルが笑う。
「ベルセリア闘技場へ転移します」
「全員掴まってください」
マイクが大声を上げる。
「うおおおお!!」
「転移だぁぁ!!」
子供たちが騒ぐ。
教師たちが苦笑する。
グロマールは静かにその光景を見る。
人が変わっていく。
国家が変わる。
文明が変わる。
そして。
ミレナも。
ついに。
前へ進み始めていた。




