215話:家族
春。
循環領の朝は、昔とはまるで違う音で始まる。
子供の笑い声。
鍋を叩く音。
織機の規則的な振動。
学校へ向かう足音。
そして。
家族の声。
かつてこの土地にあったのは、生き延びるための沈黙だった。
腹が減る。
病が流行る。
冬を越えられない。
家族を作る余裕など無かった。
愛する前に、死んでいた。
だから人々は。
深く関わることを恐れていた。
失うからだ。
だが今。
違う。
循環が始まった世界では、人は未来を考え始めていた。
未来。
それはつまり。
家族だった。
循環領中央区。
大通り。
朝市。
そこでは、様々な種族が自然に混ざって歩いていた。
ドワーフの鍛冶師がエルフの薬師と値段交渉をし、獣人の運搬夫が魔族の教師に頭を下げる。
昔なら考えられない光景だった。
血。
種族。
身分。
出身。
全部が絶対だった時代。
今は。
“誰と何を作るか”が重要になっていた。
広場中央。
大歓声が上がる。
「おおおおおっ!!」
「マイクーーー!!」
「カーラさーーーん!!」
花が舞う。
鐘が鳴る。
そこにいたのは。
正装したマイクとカーラだった。
マイクは緊張していた。
筋肉は凄まじい。
戦場でも笑う男。
魔物相手にも突っ込む男。
だが今。
耳まで真っ赤だった。
セレスが吹き出す。
「防衛隊長が震えてる」
ミレナも笑う。
「かわいいじゃない」
マイクが叫ぶ。
「う、うるせぇ!」
周囲が爆笑する。
カーラも笑っていた。
白い衣装。
ミーナが仕立てた最高級の礼服。
帝国北部防衛都市グランゼル最高峰の紡織職人。
その技術は完全に芸術だった。
雪国仕様。
保温性。
軽さ。
動きやすさ。
全部が異常。
カーラが少し照れながら言う。
「似合ってるよ」
マイクの顔がさらに赤くなる。
周囲の女性たちが絶叫した。
「ずるい!!」
「マイク様かっこいい!!」
「なんでカーラさんなのーー!!」
「私も抱えられたいーー!!」
「筋肉すごい!!」
マイクは元々モテる。
子供人気最強。
現場人気最強。
喧嘩最強。
しかも最近は。
災害救助。
土木作業。
農地防衛。
全部やっている。
完全に英雄だった。
カーラが苦笑する。
「すごい人気ね」
マイクが頭を掻く。
「知らねぇよ……
俺はお前がいいんだよ」
静まる。
女性陣。
絶叫。
「きゃあああああ!!」
「言った!!」
「直球!!」
「無理!!」
カーラが顔を赤くする。
だが嬉しそうだった。
彼女は昔。
名前を持たなかった。
元娼婦。
捨てられた人間。
生きるためだけに生きていた。
そこを。
ピーターに救われた。
料理を教わった。
衛生を学んだ。
人を喜ばせる意味を知った。
そして今。
家族を作る。
人生とは。
環境で変わる。
グロマールは静かにその光景を見ていた。
英雄ではない。
支配者でもない。
だが。
人が未来を選べる環境。
それを作った。
だから。
人々が自分で幸せを掴み始めている。
式が始まる。
マイクが真っ直ぐカーラを見る。
「俺は馬鹿だ」
笑いが起きる。
「でも」
「お前を守る」
「お前が泣くなら支える」
「お前が疲れたら背負う」
「お前が笑うなら……
俺も笑う」
カーラの目に涙が浮かぶ。
「はい」
「お願いします」
拍手。
歓声。
子供たちが走る。
大鍋から湯気が立ち上る。
ベル芋煮スープ。
肉。
野菜。
香草。
巨大な鍋が並ぶ。
食べ物がある。
笑顔がある。
家族がある。
それだけで。
世界は変わる。
その少し離れた場所。
ピーターが静かにミネルバを見ていた。
ミネルバは子供たちに囲まれている。
笑っている。
優しい。
暖かい。
昔から知っている。
だが。
最近。
少し違って見える。
ミネルバが気づく。
「あれ?」
「ピーター先生?」
「どうしました?」
ピーターが慌てる。
「い、いえ!」
「なんでも!」
セレスが遠くから見ていた。
完全に察する。
ニヤニヤしている。
ミレナが呆れる。
「また始まった」
「弱者系恋愛」
セレスが笑う。
「でも相性いいのよね」
本当にそうだった。
ピーターは。
弱い側を知っている。
ミネルバも。
弱い。
だから。
痛みを理解できる。
誰かを救える。
その二人が並ぶと。
空気が柔らかくなる。
子供たちも自然に集まる。
ミネルバが小さく言う。
「最近……
子供増えましたね」
ピーターが頷く。
「はい」
「すごく」
治療院。
保育院。
学校。
全部足りなくなり始めている。
だが。
それは良い悲鳴だった。
昔は。
死が多かった。
今は。
命が多い。
全然違う。
ミネルバが小さく笑う。
「なんだか……
未来って感じがします」
ピーターがその横顔を見る。
胸が少し熱くなる。
だが。
言えない。
まだ言えない。
弱いから。
怖いから。
失いたくないから。
その時。
後ろから声。
「おーい!」
ジミーだった。
隣にはエバがいる。
商業区の会計担当。
頭が良い。
厳しい。
だが面倒見が良い。
完全に夫婦みたいだった。
ジミーが笑う。
「お前ら遅いぞー!」
エバがため息を吐く。
「式終わるわよ」
だが。
その声は優しかった。
ジミーが最近変わった。
昔は。
要領だけだった。
逃げる。
誤魔化す。
楽する。
だが今。
責任を持ち始めていた。
物流。
会計。
市場。
人を支える側になっていた。
エバの存在が大きい。
誰かが見ている。
誰かが待っている。
それだけで。
人は変わる。
夕方。
循環領。
大広場。
巨大な食卓。
人。
人。
人。
帝国。
ベルセリア。
循環領。
全部の人間が混ざっていた。
種族も違う。
言葉も違う。
過去も違う。
孤児。
農民。
元奴隷。
元娼婦。
兵士。
貴族。
魔族。
獣人。
全部いる。
だが今。
同じ鍋を囲んで笑っていた。
フィリア女王もいる。
アレクシス・ヴァルディスもいる。
剣聖。
拳豪。
教師。
農民。
全員がいる。
誰かが呟く。
「昔じゃ考えられねぇな」
本当にそうだった。
昔の国家は。
恐怖で繋がっていた。
今は。
循環で繋がっている。
グロマールが静かに言う。
「文明維持には」
周囲が耳を傾ける。
「子供が必要です」
静かな言葉。
だが。
重い。
軍。
金。
技術。
全部必要。
だが。
次世代がいなければ終わる。
教育。
食事。
安全。
家族。
全部は。
未来へ繋ぐために存在する。
その時。
子供たちが走ってくる。
「グロマール先生ー!」
「見てください!」
小さな水球。
小さな火。
小さな風。
魔法。
自然だった。
もう。
特別ではない。
才能は。
血ではなかった。
環境だった。
だから。
世界は変わる。
第二世代。
そして。
家族。
文明は。
静かに次の時代へ進み始めていた。




