191話:道路国家
朝の霧が、まだ地面に残っていた。
循環領中央会議所。
巨大な石造りの建物の中では、既に朝から人が動いている。
教師。
役人。
工兵。
物流担当。
索敵班。
鍛冶師。
農業管理者。
誰か一人の命令ではなく、仕組みとして人が流れていた。
以前の世界では考えられない光景だった。
かつて国家とは、王が命じ、貴族が怒鳴り、兵が従うものだった。
だが今、この場所では違う。
記録があり。
統計があり。
教育があり。
通信がある。
そして何より。
人が、“考える”。
それが循環国家だった。
会議室中央。
巨大な地図が広げられていた。
循環領。
帝国北部防衛都市グランゼル。
ベルセリア王国。
周辺農業都市。
工業地区。
街道。
河川。
既存の道には赤い線。
新設予定には青い線。
セレスが腕を組み、地図を睨んでいた。
「……やっぱり鉄道は無理ね」
静かな声だった。
だが。
そこには悔しさが混じっていた。
周囲は黙る。
誰も笑わない。
誰も否定しない。
なぜなら。
ここにいる全員が、“考えた”からだ。
夢ではなく。
現実として。
鉄道を。
ジミーが書類をめくる。
「試算、出たぜ」
机に並ぶ数字。
鉄必要量。
木材。
石材。
保守費。
事故率。
降雨影響。
維持人員。
どれも現実だった。
「レールだけで国家予算飛ぶ」
ジミーが頭を掻いた。
「しかも雨季で停止率が高ぇ。湿気もヤバい。錆びる。地盤沈下もある」
ピーターも頷く。
「調査したけど……この世界、思った以上に地形が厳しいです」
彼の前にも大量の資料が積まれていた。
地盤強度。
降雨量。
洪水頻度。
魔物移動経路。
土砂崩れ区域。
全部、現地調査済みだった。
泣き虫だった少年は、今では国家級の現場教師になっている。
ピーターは地図の一角を指した。
「ここ、去年崩れた山です。もし鉄道敷いてたら、丸ごと落ちてました」
マイクが顔をしかめる。
「そんな危ねぇもんに金突っ込むのかよ」
「だから却下するの」
セレスが即答した。
その声に迷いは無かった。
グロマールは黙って資料を見ている。
誰も彼の顔色を窺わない。
それが循環国家だった。
意見を言う。
分析する。
検証する。
その上で決める。
ミレナが静かに口を開いた。
「……でも、セレス」
「うん?」
「貴女、最初は本気だったわよね」
セレスは小さく笑った。
「本気だったわ」
窓の外を見る。
道路を大型輸送ゴーレムが歩いていく。
石材。
木材。
食料。
布。
薬品。
全部を運び続けている。
「でもね。夢を見るのと、国家を動かすのは違う」
その言葉に、グロマールが少しだけ目を細めた。
セレスは続ける。
「鉄道は未来には必要になる」
「でも今じゃない」
「今の循環国家は、“動脈”が足りない」
指で地図をなぞる。
都市。
村。
工業地区。
農業地帯。
それらを繋ぐ線。
「今必要なのは、“全部を止めない道路”よ」
グロマールが口を開いた。
「説明しろ」
「はい」
セレスは頷き、地図の中央に青い線を引く。
「ゴーレム専用道路構想」
空気が変わった。
工兵達が顔を上げる。
鍛冶師達が前のめりになる。
マイクがニヤリと笑った。
「来たな」
セレスは説明を始める。
「前提として、この世界の最大問題は“雨”」
「土道は崩れる」
「馬車は止まる」
「補給が死ぬ」
「だから国家が止まる」
誰も否定しない。
それはこの世界の常識だった。
雨季が来れば物流は死ぬ。
物流が死ねば。
飢える。
病が増える。
兵站が切れる。
国家が死ぬ。
だからこそ。
循環国家は違った。
「なら、最初から“止まらない道”を作る」
セレスが言う。
「大型輸送ゴーレム専用」
「重量前提」
「排水前提」
「雨季前提」
「魔物襲撃前提」
「最初から全部込みで設計する」
マリーが目を見開く。
土木教師団責任者。
元はただの農村娘。
今では数万人規模の工事を動かしている。
「……待って。それ」
「道路そのものを規格化するってこと?」
「そう」
セレスが頷く。
「幅も」
「傾斜も」
「排水溝も」
「橋の強度も」
「全部統一」
ジミーが吹き出した。
「国家全部を工業化する気かよ……」
「するわよ」
即答だった。
ミレナが呆れ半分に笑う。
「貴女、本当に止まらないわね」
「止まったら死ぬもの」
セレスは平然と言う。
だが。
それは冗談ではない。
この世界は、本当に止まれば死ぬ。
グロマールが立ち上がる。
全員が静まった。
彼は地図を見る。
静かに。
長く。
そして言った。
「道路幅」
マリーが即答する。
「大型輸送ゴーレム二体がすれ違える幅を基準にします」
「最低七メートル」
「排水」
「両側二重溝」
「雨季でも水が溜まらない構造を」
「橋梁」
「魔導鉄骨化を試験」
「木橋は禁止」
「魔物」
リシェルが答える。
索敵教師。
「索敵塔を一定距離で配置」
「夜間魔物接近を通信共有します」
グロマールは頷いた。
そして。
「やれ」
その一言で決まった。
だが。
誰も歓声を上げない。
ここにいる全員が理解している。
これは。
国家工事だ。
数年では終わらない。
十年単位。
いや。
文明単位。
マイクがニヤリと笑う。
「面白ぇじゃねぇか」
「山削ってでも通してやるよ」
マリーが即座に睨む。
「削りすぎないでください」
「去年も崩したでしょう」
「アレは事故だ」
「三回目です」
会議室に笑いが漏れた。
昔ならあり得なかった。
農民。
孤児。
元奴隷。
女。
子供。
そんな者達が国家計画を動かしている。
旧世界なら処刑されていた。
でも今。
ここでは。
それが当たり前になり始めている。
グロマールは窓の外を見る。
道路。
輸送。
人。
動き続ける国家。
彼は知っていた。
鉄道はまだ早い。
工業力が足りない。
鉄が足りない。
時間も。
技術も。
人材も。
全部足りない。
だが。
道路なら違う。
今ある技術で。
今ある人材で。
今ある教育で。
積み上げられる。
それが重要だった。
夢ではなく。
循環できるか。
そこに価値がある。
セレスが小さく息を吐いた。
「……悔しいけど」
「今の私達に必要なのは、“未来の夢”じゃない」
「今日、止まらない国家よ」
ピーターが笑う。
「でも、いつか鉄道も作れますよ」
「そのために学校がありますから」
その言葉に。
グロマールが僅かに笑った。
ほんの少しだけ。
誰も気づかないほど小さく。
だが確かに。
循環は続いていた。




