186話:包囲網
ガルディア王国、王都グランゼル。
王城最上階。
重厚な扉の向こうにある円卓会議室には、各国の王族、宰相、軍務卿、財務官が集められていた。
誰も声を荒げない。
それどころか。
静かだった。
異様なほどに。
それが逆に、事態の深刻さを物語っていた。
円卓中央。
魔導投影。
そこに映るのは、一枚の地図。
南方。
循環国家。
赤ではない。
黒でもない。
淡い青。
その色が、周囲の国家領域へ静かに広がっていた。
まるで水だった。
「……三ヶ月で人口流入、推定二十七万」
報告官の声が響く。
「流入元は主に南方奴隷国家群、西部飢饉地帯、旧鉱山都市、崩壊農村」
「年齢層は若年層が中心」
「識字率、急上昇」
「農業生産量、継続増加」
「病死率、大幅減少」
「都市治安、安定」
「反乱件数、減少」
誰も驚かない。
もう何度も聞いた。
問題はそこじゃない。
「……止まらんのか」
王が言った。
疲れた声だった。
報告官は沈黙する。
代わりに、宰相バルディスが口を開いた。
「止まりません」
即答だった。
誰も反論しない。
宰相は続ける。
「既に民が知ってしまいました」
「文字を」
「教育を」
「病で死なぬ生活を」
「飢えぬ社会を」
「そして」
少し止まる。
「人として扱われる世界を」
空気が重くなる。
西方貴族連合の代表が低く言った。
「……たかが教育だ」
宰相は否定しない。
静かに返す。
「我々も、そう思っていました」
その声に感情は無かった。
現実だけがあった。
「ですが違った」
「教育は知識ではない」
「国家構造そのものです」
円卓に資料が並べられる。
農業。
物流。
人口推移。
病死率。
兵士復帰率。
識字率。
どれも異常だった。
いや。
正確には。
“繋がっていた”。
「循環国家は、全てが連動しています」
「農業が人口を支え」
「教育が技術者を生み」
「技術者が物流を強化し」
「物流が都市を支え」
「治癒が人口を増やし」
「人口がさらに生産力を生む」
「国家そのものが循環している」
誰も喋らない。
理解してしまったからだ。
これはもう。
一部の英雄ではない。
仕組みだ。
「軍では勝てません」
宰相が言った。
北部騎士国家の将軍が頷く。
「現場報告も同じだ」
「兵の練度が均一すぎる」
「補給崩壊が無い」
「負傷兵が戻る」
「指揮官が死んでも機能停止しない」
「異常だ」
異常。
それが最も正しい表現だった。
今までの国家は違った。
強い将軍。
強い貴族。
強い魔法使い。
少数の有能で成り立っていた。
しかし循環国家は違う。
普通の人間を育てている。
それが恐ろしい。
「包囲は」
王が問う。
軍務卿が首を振った。
「無意味です」
「食料自給率が高すぎる」
「農地拡張速度も異常」
「さらに難民流入すら国力変換している」
「封鎖しても耐久されます」
「戦争は」
「長引くほどこちらが崩れます」
また沈黙。
誰も怒鳴らない。
誰も机を叩かない。
それが重要だった。
彼らは理解していた。
感情論の段階ではない。
既に。
国家の寿命の話になっている。
西方の老貴族が口を開く。
「……なら、どうする」
その声は震えていた。
宰相バルディスは即答しなかった。
少しだけ考える。
そして。
静かに言った。
「延命します」
会議室が静まり返る。
「止められません」
「倒せません」
「既に時代そのものが変わり始めています」
「ならば我々にできるのは、自国崩壊を遅らせることだけです」
王が目を閉じた。
老いていた。
だが愚かではない。
だからこそ。
理解してしまった。
「……具体的には」
財務官が問う。
宰相は答える。
「まず、飢饉対策を優先」
「軍費を削ります」
空気が揺れた。
軍務卿が睨む。
だが反論しない。
兵を維持できない。
皆分かっている。
「地方徴税を緩和」
「農民流出を止める」
「技術職の税率も下げる」
「職人流出を少しでも遅らせます」
「さらに下級役人教育を開始」
「識字限定です」
「計算教育も最低限」
「兵站維持能力だけでも上げる必要があります」
西方貴族が顔をしかめる。
「平民教育だぞ」
宰相は冷たく返した。
「だから限定です」
「全面解禁ではありません」
「ですが、もうやらねば国家が崩れます」
誰も否定できない。
既に崩れ始めているからだ。
若者が消えている。
職人が消えている。
奴隷が逃げている。
農民が流れている。
理由は単純。
向こうでは。
学べる。
食える。
死ににくい。
それだけ。
それだけで十分だった。
「……遅いな」
北部将軍が呟く。
宰相は頷いた。
「ええ」
「遅い」
「ですが、それでもやるしかありません」
「我々は今まで、“教育されぬ民”の上に国家を築いてきた」
「だから今、崩れている」
「有能な人材が足りないのではない」
「育ててこなかった」
誰も言葉を返せない。
その通りだからだ。
会議室の窓から王都が見える。
巨大都市。
長い歴史。
強大な軍。
豊かな貴族。
だが。
今、その全てが。
静かに時代遅れになり始めていた。
そして。
遠く離れた循環国家。
夜。
学校の灯りがまだ消えない。
子供達が文字を書く。
農民が計算を学ぶ。
元奴隷が魔力循環を覚える。
教師が増える。
治癒師が増える。
物流が繋がる。
国家が回る。
静かだった。
だが。
誰よりも恐ろしかった。
それはもう。
軍ではない。
時代そのものだった。




