175話:守る力
南方国境地帯。
夜だった。
乾いた風が砂を巻き上げ、荒れた街道を叩いている。
遠く。
黒煙が上がっていた。
また一つ、村が燃えている。
奴隷国家群は混乱していた。
暴動。
逃亡。
労働停止。
兵士脱走。
そして。
“外へ逃げる民”の急増。
もう抑えきれなかった。
風魔法放送は、確実に世界を変えていた。
『食えないなら来い』
『学ぶ意思があるなら教える』
『子供を飢えさせるな』
たったそれだけ。
たったそれだけの言葉で。
民衆は、“自分たちが人間である”ことを思い出してしまった。
だから。
旧国家側は焦った。
逃亡奴隷を捕まえる。
見せしめを増やす。
街道封鎖。
国境閉鎖。
処刑。
処刑。
処刑。
恐怖で縛ろうとした。
今まで成功していたやり方だった。
だが。
今回は違った。
恐怖の向こうに、“希望”が存在してしまった。
だから。
人は命を賭け始める。
南方国境・第七街道。
闇の中を、大量の人影が歩いていた。
老人。
女。
子供。
痩せ細った男たち。
誰も武器を持たない。
ただ歩く。
北へ。
生きるために。
だが。
街道の先には、奴隷国家軍がいた。
槍を構えた兵士たち。
逃亡防止隊。
指揮官が怒鳴る。
「止まれ!」
民衆が止まる。
兵士たちが前へ出る。
「逃亡奴隷は国家財産だ!」
「全員戻れ!」
女が震えながら言う。
「子供だけでも……」
兵士は容赦なく蹴り飛ばした。
子供が泣く。
男たちが歯を食いしばる。
だが武器がない。
戦えない。
絶望が空気を覆う。
その時だった。
風が変わる。
低い振動音。
地面が揺れる。
兵士たちが顔を上げた。
暗闇の向こう。
無数の灯り。
整然と並ぶ光。
奴隷国家軍がざわめく。
「な、なんだ……?」
次の瞬間。
風が裂けた。
轟音。
空を走る風刃。
奴隷国家軍の前方地面を一直線に抉る。
土が吹き飛ぶ。
兵士たちが後退る。
恐怖した。
精度が異常だった。
殺していない。
だが。
「次は当てられる」
と理解させる一撃。
闇の向こうから声が響く。
「そこまでだ」
低い声。
よく通る。
灯りの列が止まる。
そこにいたのは。
黒鉄の鎧を纏った部隊だった。
統率されている。
無駄がない。
先頭に立つ男が前へ出る。
マイク。
かつてのガキ大将。
今は。
国境防衛軍総指揮官。
彼は大剣を肩に担ぎ、奴隷国家軍を睨んだ。
「その列車みてぇな顔、やめろ」
兵士たちが固まる。
マイクは鼻を鳴らした。
「俺らは侵略しに来たんじゃねぇ」
後ろ。
防衛軍が一斉に動く。
水属性部隊。
土属性部隊。
風属性索敵班。
治癒班。
護衛班。
避難誘導班。
全部が連携していた。
無駄がない。
訓練されている。
教育されている。
マイクが言う。
「目的は三つだ」
指を立てる。
「避難路確保」
もう一本。
「奴隷保護」
最後。
「子供救出」
静まり返る。
奴隷国家軍の兵士たちが困惑する。
理解できない。
なぜそんなことをする。
利益は?
領土は?
奴隷は?
マイクは理解していた。
昔の自分なら。
たぶん同じ顔をしていた。
力は殴るためのものだと思っていた。
強い奴が勝つ。
弱い奴は泣く。
それが世界だと思っていた。
でも違った。
グロマールは違った。
あの男は。
“支配”しなかった。
力があるのに。
誰より強いのに。
誰も踏み潰さなかった。
最初は意味が分からなかった。
でも今なら分かる。
本当に強い奴は。
“守れる”。
マイクは大剣を下ろす。
「道を開けろ」
兵士長が怒鳴る。
「き、貴様ら!」
「ここは南方国家領だぞ!」
「逃亡奴隷を保護するなど――」
風が鳴った。
次の瞬間。
兵士長の槍が真っ二つになる。
風刃。
マイクではない。
後方の風属性狙撃班。
精密射撃。
兵士長の顔が青ざめる。
マイクは静かに言った。
「勘違いすんな」
「俺らは戦争しに来たんじゃねぇ」
「でも」
大剣を肩へ戻す。
「子供泣かせる奴は止める」
空気が変わる。
奴隷たちが顔を上げる。
初めてだった。
守るために武器を持つ軍隊を見るのは。
奴隷国家軍が後退る。
怖かった。
相手が強いからじゃない。
“統率”されているからだ。
隊列。
連携。
視線。
呼吸。
全部が噛み合っている。
教育された軍。
それを本能で理解してしまった。
マイクが手を上げる。
「誘導開始!」
防衛軍が一斉に動く。
土属性部隊が街道横へ壁を作る。
矢除け。
風属性班が周囲索敵。
水属性班が飲み水生成。
治癒班が子供を診る。
老人を運ぶ。
全員役割を理解している。
奴隷たちは呆然としていた。
兵士なのに。
奪わない。
殴らない。
蹴らない。
命令怒号がない。
代わりに。
「ゆっくりでいい」
「子供優先!」
「荷物捨てなくていい!」
そんな声が飛んでいる。
女が泣き崩れる。
「なんで……」
治癒師がしゃがむ。
「大丈夫です」
女は震えた。
“優しくされる”ことに慣れていなかった。
マイクはその光景を見ていた。
胸が重かった。
怒り。
悔しさ。
色んな感情が渦巻く。
子供が骨みたいに痩せている。
老人が栄養失調で立てない。
病気なのに治療されていない。
昔のマイクなら。
怒鳴っていた。
殴っていた。
敵を殺そうとしていた。
でも。
今は違う。
グロマールが教えた。
壊すだけじゃ終わらない。
守らなきゃ意味がない。
繋げなきゃ意味がない。
循環させなきゃ意味がない。
マイクは初めて理解する。
力とは。
勝つためだけのものじゃない。
“誰かを生かすため”にも使える。
その瞬間だった。
背後から悲鳴。
子供。
奴隷国家軍の一部が暴走した。
逃亡奴隷へ突撃。
焦っていた。
命令系統崩壊。
恐怖。
混乱。
マイクが動く。
地面を砕く。
身体強化。
筋肉強化。
風圧。
一瞬で間合いを潰す。
大剣を振るう。
だが。
斬らない。
剣圧だけで兵士たちを吹き飛ばした。
鎧が砕ける。
武器が飛ぶ。
兵士たちが転がる。
マイクは怒鳴る。
「これ以上、子供に近づくな!」
響く。
夜空に。
兵士たちが止まる。
恐怖した。
強すぎる。
だが。
それ以上に。
“殺してこない”ことが怖かった。
マイクは呼吸を整える。
昔なら斬っていた。
でも今は違う。
守るための力。
それを理解した。
グロマールが後ろから見ていた景色。
少しだけ。
分かった気がした。
風が吹く。
北へ向かう避難民の列が続く。
終わりが見えない。
それでも。
防衛軍は止まらない。
一人ずつ。
支える。
運ぶ。
守る。
その光景を見ながら。
奴隷国家軍の若い兵士が呟いた。
「……なんで」
誰も答えない。
だが。
答えはもう出ていた。
教育。
環境。
人。
守る力。
それら全部が。
今。
この国境で形になっていた。




