166話:選別
世界が変わり始めていた。
それは戦争ではない。
侵略でもない。
もっと静かで、もっと深い変化だった。
人が動き始めている。
防壁都市グランゼル。
巨大広場。
朝から民衆で埋め尽くされていた。
農民。
職人。
兵士。
商人。
教師。
帝国民だけではない。
北方小国から来た者たち。
南方から流れてきた難民。
奴隷国家から逃げ出した者までいる。
みな空を見ていた。
巨大な風属性魔法陣。
都市中央塔の上空。
青白い魔力が渦を巻いている。
風が鳴る。
空気が震える。
次の瞬間。
世界中へ声が流れた。
『食えないなら来い』
ざわめきが走る。
風属性拡声魔法。
超長距離伝達。
風属性の振動を増幅し、大陸規模へ音声を飛ばす。
普通なら不可能。
だがグロマールには可能だった。
魔力操作。
魔力循環。
魔力吸収。
実質無限魔力。
そして膨大な魔法理論。
『働く意思があるなら受け入れる』
『学ぶ意思があるなら教える』
声は静かだった。
怒鳴らない。
威圧しない。
それでも世界が止まった。
南方奴隷国家。
荒れ果てた農村。
痩せ細った女が空を見上げる。
子供を抱えたまま涙を流した。
「……来いって……言った……」
北方小国。
雪の村。
老人たちが震えながら顔を上げる。
「食わせて……くれるのか……?」
略奪国家。
崩れた砦。
兵士たちが黙り込む。
今まで聞いたことがない言葉だった。
国王の命令ではない。
徴兵でもない。
税でもない。
民へ直接届いた。
グランゼル中央塔。
魔法陣管理室。
エバが静かに目を閉じる。
「……これでいい」
隣ではセレスが腕を組んでいた。
「随分優しい文面にしたわね」
「優しくないわ」
エバは首を振る。
「選別よ」
「来る者は拒まない」
「でも、選ぶ」
冷静な声。
現実を知っている人間の言葉だった。
グロマール文明は万能ではない。
無限に受け入れられるわけでもない。
だからこそ基準が必要だった。
学ぶ意思。
働く意思。
循環へ入る意思。
それを持つ者だけを受け入れる。
逆に。
略奪。
暴力。
奴隷支配。
教育拒否。
そういう者は切る。
セレスが小さく笑う。
「国を相手にするの、やめたのね」
「無駄だから」
エバは即答した。
「民は生きたいだけ」
「腐ってるのは上」
その言葉に、部屋の空気が静かに重くなる。
実際そうだった。
支援を拒否したのは国家だ。
民ではない。
食料輸送を止めたのは貴族だ。
民ではない。
教育を禁じたのも支配層。
民ではない。
なら。
民へ直接語りかける。
それだけだった。
一方。
グランゼル外縁。
巨大受け入れ区域。
数万人規模の難民列が形成されていた。
泣く子供。
痩せた母親。
武器を捨てた兵士。
職人。
農民。
全員が疲弊している。
だが暴動は起きていない。
整列している。
理由は簡単。
食料が見えるからだ。
巨大炊き出し場。
大型土ゴーレムが運ぶ穀物。
水属性魔法で沸騰する大鍋。
湯気。
香り。
飢えた人間は、食べ物を見るだけで従う。
「次!」
怒鳴る声。
ジミーだった。
以前の軽薄な青年ではない。
今は物流管理責任者。
難民選別総責任者。
その目は鋭かった。
机の前へ一人ずつ呼ぶ。
「名前」
「……エルマ」
「職歴」
「紡織工です……」
ジミーの目が光る。
流通鑑定。
商売鑑定の進化系。
価値だけではない。
適性。
技能。
物流能力。
市場価値。
人格傾向。
全部が見える。
「嘘はついてない」
「織機経験あり」
「指先精度高い」
「集中力良好」
「第三工房回せ」
後ろの官僚が即座に書き込む。
次。
「名前」
「ラルフ」
「元兵士です」
流通鑑定発動。
ジミーが鼻を鳴らす。
「盗賊経験あり」
「暴力依存傾向」
「酒癖最悪」
「……ただし仲間意識強いな」
男が震える。
「ち、違……」
「嘘つくな」
静かな声。
怖かった。
ジミーはもう昔の青年ではない。
人を見る側へ変わっていた。
「防衛隊送り」
「マイクのところ行け」
「殴られて来い」
男が呆然とする。
「……追い出さないのか?」
「働けるなら使う」
「でも次問題起こしたら切る」
それだけ。
シンプルだった。
拒まない。
だが選ぶ。
グランゼル防壁上。
マイクが難民列を見下ろしていた。
「増えたなぁ……」
隣には帝国兵。
以前ならあり得なかった。
帝国兵と元難民が一緒に立っている。
「怖くねぇのか?」
若い兵士が聞いた。
マイクは笑う。
「腹減った奴は怖ぇよ」
「だから先に食わせる」
「食った後なら話聞く」
単純だった。
だが正しい。
実際、グランゼルでは暴動率が激減している。
理由は食料。
そして教育。
環境。
「グロマールさんって、何なんですかね……」
兵士が呟く。
マイクは少し考えた。
「……支配しねぇ人だよ」
「え?」
「だから人が集まる」
マイク自身、それ以上うまく説明できなかった。
だが感覚で分かる。
グロマールは命令しない。
考えろと言う。
学べと言う。
働けと言う。
だから人が育つ。
都市内部。
孤児保護区域。
ミネルバが子供へ食事を配っていた。
「ゆっくり食べてね」
子供たちは必死だった。
泣きながら食べている。
痩せすぎてスプーンすら持てない子もいる。
ミネルバは一人ずつ支える。
怒らない。
急かさない。
ただ隣にいる。
それだけで泣く子供もいた。
「……なんで優しくするの?」
少女が聞く。
ミネルバは少し困ったように笑う。
「優しくされたこと、無かった?」
少女は黙った。
答えられない。
ミネルバは頭を撫でる。
「ここでは大丈夫」
「もう売られない」
少女が崩れるように泣いた。
その光景を、グロマールは少し離れた場所から見ていた。
何も言わない。
ただ見ている。
隣にセレスが立つ。
「……随分増えたわね」
「まだ増える」
「怖い?」
「当然」
グロマールは即答した。
「受け入れ失敗すれば崩壊する」
「でも止めない」
「止めたらもっと壊れる」
セレスは静かに息を吐いた。
現実主義。
綺麗事ではない。
理想論でもない。
全部計算の上。
それでも。
結果として人を救っている。
空では再び風魔法が鳴り始める。
『食えないなら来い』
『学びたいなら来い』
『働く意思があるなら受け入れる』
世界はもう止まらない。
国家ではなく。
民が動き始めていた。




