161話:凶作
北方連合。
冬が来る前に、国が死に始めていた。
畑は枯れている。
土は割れ、水路は干上がり、風が吹くたび白い砂塵だけが舞った。
麦は育たない。
豆は腐る。
家畜は痩せ、次々倒れていく。
村の広場。
痩せ細った老人が静かに崩れ落ちた。
誰も動けない。
助ける食料が無い。
若い母親が子供を抱えている。
だが乳は出ない。
子供は泣く力すら残っていなかった。
空腹。
病。
絶望。
それが当たり前になっていた。
北方連合中央都市。
市場は崩壊していた。
食料価格は暴騰。
小麦一袋で銀貨十枚。
数日前の五倍。
盗賊が増え、商隊は襲われ、街道は閉鎖され始めている。
商人たちは逃げた。
残ったのは、飢えた民だけだった。
会議室。
北方連合の貴族たちが怒鳴り合っていた。
「帝国から買え!」
「買えません!」
「何故だ!」
「物流が止まっています!」
「旧商会が崩壊した影響です!」
「では南方は!」
「既に帝国が契約済みです!」
怒号。
焦燥。
恐怖。
だが。
現実は変わらない。
食料が無い。
それだけだった。
老将軍が低く呟く。
「……負けたな」
誰も返せない。
戦争ではない。
剣でもない。
食料。
物流。
教育。
それで敗北した。
その頃。
帝国。
山岳都市メタルビレッジ。
そこは別世界だった。
巨大灌漑水路。
段々畑。
新設農地。
大型土木ゴーレムが大地を耕し、水路を維持し、岩盤を砕いている。
空には飛行魔法を覚えた若者たち。
索敵班。
気流観測班。
農地監視班。
以前の山岳都市では考えられない役割だった。
農民たちは笑っている。
「第三農地完成だ!」
「まだ広げられるぞ!」
「今年の芋、過去最高だ!」
「豆も凄いぞ!」
子供たちまで畑を駆け回っていた。
食料倉庫。
巨大だった。
小麦。
豆。
干し肉。
乾燥野菜。
保存食。
山のように積み上がっている。
食料自給率三百%超。
既に帝国内消費だけでは余る水準へ到達していた。
物流管理室。
ジミーが大量の帳簿を睨んでいる。
輸送速度。
消費量。
移民増加率。
備蓄量。
未来予測。
全てが頭の中で繋がっていた。
そこへセレスが入って来る。
「北方連合、かなり崩れてるみたい」
ジミーは顔を上げない。
「当然だな」
「水路整備なし」
「農地改革なし」
「物流旧商会依存」
「凶作来たら終わる」
セレスが腕を組む。
「助ける?」
ジミーは少し黙る。
その後、静かに答えた。
「助ける」
「でも、こっちの流通へ組み込む」
セレスが笑う。
「商人ね」
ジミーは肩をすくめた。
「食料は命だ」
「だから支配になる」
現実だった。
その時。
外が騒がしくなる。
窓を見る。
マイクだった。
飛行魔法訓練。
以前より遥かに安定している。
後ろには民兵の若者たち。
飛行速度も上がっていた。
マイクが空中で叫ぶ。
「うおおおおっ!!」
旋回。
急降下。
着地。
今度は成功。
民兵たちから歓声が上がる。
マイクは得意げだった。
「見たか!」
「これが防衛隊長だ!」
直後。
バランスを崩して転倒。
周囲が爆笑した。
セレスが呆れる。
「締まらないわね」
ジミーは笑った。
「でも、ああいう奴がいると空気が軽くなる」
それは本当だった。
文明は人を強くする。
だが。
張り詰めすぎれば壊れる。
だから笑いも必要だった。
その頃。
防壁都市グランゼル。
ピーターは治療院を回っていた。
病人は減っている。
栄養状態改善。
衛生改善。
教育改善。
全部が繋がっていた。
どれだけ治癒魔法があっても、飢えれば死ぬ。
だから食料が必要。
農業が必要。
物流が必要。
教育が必要だった。
子供へスープを渡す。
「おいしい!」
ピーターが笑う。
その光景をミネルバが見ていた。
彼女は既に治療院責任者になっている。
孤児保護。
教育補助。
医療管理。
今や彼女無しでは現場が回らない。
ミネルバが静かに言う。
「……昔じゃ考えられませんね」
ピーターが頷く。
「うん」
昔。
この辺りも飢えていた。
病人が倒れ。
冬を越せず死ぬ者がいた。
教育なんて夢。
文字を読めるだけで特別だった。
だが今は違う。
子供たちが学ぶ。
笑う。
未来を語る。
ピーターは窓の外を見る。
防壁都市グランゼル。
巨大城壁。
その向こうでは、新農地開拓が進んでいた。
ミネルバが言う。
「北方連合から避難民が増えています」
「かなり衰弱しています」
ピーターの表情が変わる。
「受け入れ準備は?」
「進めています」
「食料は十分あります」
「ただ住居が……」
その時。
転移光。
グロマールだった。
空気が変わる。
誰もが自然と背筋を伸ばす。
グロマールは資料へ視線を落とす。
避難民数。
病原。
死亡率。
栄養状態。
水質。
数秒。
それだけで把握した。
「東側未使用区域開放」
「建築ゴーレム班投入」
「水路追加」
「教育班増員」
即断。
迷いが無い。
ミネルバが頷く。
「はい」
グロマールは続ける。
「食料は惜しむな」
「飢えた人間は正常に思考できない」
短い。
だが重い。
ピーターが静かに言う。
「……助けるんですね」
グロマールは窓の外を見る。
痩せた子供。
疲れ切った母親。
怯えた老人。
昔の帝国にもいた。
「教育は空腹に勝てない」
「まず食わせる」
その瞬間だった。
遠くから重低音が響く。
ゴゴゴゴゴ……。
巨大な振動。
避難民たちが顔を上げる。
巨大輸送ゴーレム群。
大型ゴーレム輸送隊だった。
山のような物資を積載している。
小麦。
保存食。
薬草。
建築資材。
毛布。
全てが運ばれて来る。
避難民たちの目が揺れる。
信じられない。
本当に来た。
本当に食べられる。
子供が泣き出した。
母親も泣いている。
ミネルバが静かに息を吐く。
ピーターはその光景を見る。
そして理解する。
文明圏。
それは。
ただ豊かな場所ではない。
人が。
人として生きられる場所だった。




