160話:責任
帝都ヴァルディス。
皇宮中央会議室。
議会ではない。
今回は非公開だった。
出席者は少ない。
若皇帝。
前皇帝。
レオハルト。
軍務大臣。
教育省代表。
物流省代表。
農業省代表。
それだけ。
巨大な円卓の中央には、帝国全土の地図が広がっている。
赤。
青。
緑。
無数の印。
物流路。
教育都市。
農地拡張区域。
移民流入地点。
魔物発生区域。
帝国そのものが、机の上に存在していた。
静寂。
最初に口を開いたのは軍務大臣だった。
「……旧貴族連中は、もう止まらん」
低い声。
疲労が滲んでいる。
「地方で私兵を集め始めている」
「数は多くない」
「だが問題はそこじゃない」
レオハルトが視線を向ける。
軍務大臣は続けた。
「兵が動きたがらん」
空気が変わる。
「同じ帝国民と戦いたくないらしい」
「教育を受けた兵ほど、その傾向が強い」
若皇帝は静かに目を閉じた。
理解している。
もう昔の軍ではない。
教育を受けた。
学んだ。
考えるようになった。
命令だけでは動かない。
それは弱体化ではない。
文明化だった。
農業省代表が報告書を置く。
「地方収穫量、さらに増加しています」
「食料自給率三百%突破」
「山岳都市メタルビレッジ周辺では、大規模灌漑が成功」
「新規移民受け入れも可能です」
物流省代表も続く。
「物流網も安定しました」
「旧商会依存率は既に二割以下」
「現在は地方共同物流へ移行しています」
前皇帝が小さく笑った。
「完全に負けたな」
誰も否定しない。
もう分かっていた。
旧貴族は負けた。
戦争ではない。
経済。
物流。
教育。
それで終わった。
レオハルトは地図を見る。
赤印。
旧貴族支配地域。
日に日に減っている。
原因は単純。
人が逃げる。
教育都市へ。
仕事がある場所へ。
病気が治る場所へ。
飢えない場所へ。
つまり。
文明圏へ。
若皇帝が静かに言った。
「……戻れないな」
前皇帝が頷く。
「戻せば帝国が死ぬ」
それが現実だった。
保守派を潰したい訳ではない。
だが。
旧体制では、もう人口を支えられない。
教育が広がった時点で終わっていた。
民が知ってしまった。
学べば変われることを。
その時。
扉が叩かれる。
近衛兵が入室した。
「失礼します」
「防壁都市グランゼルより緊急通信」
レオハルトが立ち上がる。
魔導通信具が起動する。
光。
映像が浮かび上がる。
セレスだった。
冷静な顔。
疲れている。
だが目は鋭い。
『こちらグランゼル』
『旧貴族側の私兵集団、一部が投降しました』
軍務大臣が眉を動かす。
「理由は」
セレスは即答した。
『食料不足です』
『兵糧が維持できていません』
『物流停止の影響が直撃しています』
物流省代表が息を吐く。
予想通りだった。
もう旧貴族には物流がない。
倉庫も。
輸送も。
信用も。
全部失った。
セレスが続ける。
『さらに農民側民兵が武装化』
『ですが戦闘意思は低いです』
『ほぼ全員が』
『“戦いたくない”と言っています』
若皇帝が静かに目を閉じる。
それが答えだった。
教育された民は。
無意味な殺し合いを望まない。
前皇帝が呟く。
「皮肉だな」
「教育した結果、戦争を嫌う兵が増えたか」
軍務大臣が苦笑する。
「だが、その方が強い」
全員が理解していた。
恐怖だけの軍は崩れる。
だが。
守る理由を持つ軍は崩れない。
その時だった。
通信の向こうで騒ぎが起きる。
『えっ』
『ちょ、待っ』
ドゴォォン!!
爆音。
映像が揺れる。
セレスが顔をしかめる。
『……マイクです』
レオハルトが頭を押さえた。
「今度は何をやった」
映像が切り替わる。
そこには。
地面へ巨大な穴を開けて立っているマイク。
周囲の民兵たちが呆然としていた。
マイク本人も困惑している。
『……いや』
『飛行魔法で降りる練習してたんだけどよ』
『着地失敗した』
沈黙。
前皇帝が吹き出した。
若皇帝も笑いを堪えている。
軍務大臣は顔を覆った。
セレスだけが冷静だった。
『ですが住民被害はありません』
『本人も無傷です』
『あと着地衝撃で旧貴族私兵が全員投降しました』
レオハルトが深くため息を吐く。
「……結果的には成功か」
通信の向こうでマイクが叫ぶ。
『成功じゃねぇ!』
『めちゃくちゃ痛ぇんだぞこれ!』
周囲の民兵たちが笑っていた。
張り詰めていた空気が、少しだけ和らぐ。
若皇帝はその光景を見る。
そして小さく呟いた。
「……これが新しい帝国か」
レオハルトは静かだった。
だが。
その目には覚悟が宿っている。
ここから先。
失敗も出る。
事故も起きる。
反発もある。
死人も出るかもしれない。
それでも。
止められない。
止めれば。
再び民が飢える。
病で死ぬ。
教育を失う。
だから。
進むしかない。
レオハルトは静かに言った。
「全責任は私が負います」
会議室が静まる。
若皇帝が視線を向ける。
レオハルトは続けた。
「教育改革」
「物流再編」
「地方自治」
「全て私が推進しました」
「失敗した時は、私を切ってください」
迷いは無い。
前皇帝が静かに目を細める。
若皇帝は数秒沈黙した後、ゆっくり首を横に振った。
「違うな」
レオハルトが顔を上げる。
若皇帝は真っ直ぐ言った。
「帝国が選んだ道だ」
「ならば責任は帝国が負う」
静かな声だった。
だが強かった。
逃げていない。
前皇帝が笑う。
「……良い顔になった」
若皇帝は窓の外を見る。
帝都ヴァルディス。
その灯りは増え続けていた。
学ぶ者。
働く者。
飛ぶ者。
作る者。
治す者。
支える者。
帝国は今。
ようやく、自分の足で立ち始めていた。




