16話:距離
夜だった。
リードル村には、静かな灯りが広がっている。
以前なら、夜は“終わり”だった。
腹を空かせたまま眠る時間。
病人の咳が響く時間。
明日を諦める時間。
しかし今は違う。
広場には火がある。
笑い声がある。
人が残っている。
生きるためだけではなく、“暮らしている”空気が生まれ始めていた。
倉庫整理を終えた村人たちは疲れていた。
だが顔は悪くない。
マイクは肉串を片手に笑っている。
「エバ、マジで容赦ねぇ」
エバは椅子へ座りながら鼻を鳴らした。
「甘い管理してる方が悪い」
「言い方!」
周囲で笑いが起きる。
以前の村には無かった光景だった。
余裕がある。
ほんの少しだけ。
それだけで、人は笑える。
セレスはその様子を眺めながら、静かにスープを飲んでいた。
その視線が、ふと広場の端へ向く。
グロマール。
一人で座っていた。
いつもの場所。
火から少し離れた木箱の上。
騒ぎの中心へ入らない。
しかしちゃんと見ている。
村人。
火。
荷物。
警戒。
全部。
ミレナもまた、その姿を見ていた。
自然と。
本当に自然と。
視線が向く。
最近ずっとそうだった。
気づけば探している。
どこにいるか。
何をしているか。
疲れていないか。
それを考えてしまう。
ミレナは少し眉を寄せた。
「……何なのよ」
自分でも分からない。
怖い。
近づきたい。
安心する。
でも認めたくない。
セレスが隣で笑う。
「分かりやすい」
ミレナが振り返る。
「何が」
「視線」
「見てない」
「見てる」
即答だった。
ミレナが少し黙る。
セレスは追撃する。
「今日だけで十回くらい見てる」
「数えてないでしょ」
「数えてないけど分かる」
ミレナはスープを飲む。
落ち着かない。
セレスは笑みを深くする。
「行けば?」
「は?」
「隣」
ミレナがむせた。
「な、何でそうなるのよ!」
「近づきたいんでしょ」
「違う!」
声が少し大きい。
周囲が見る。
ミレナは慌てて咳払いした。
セレスは完全に面白がっていた。
エバが横から口を挟む。
「素直じゃないタイプ?」
ミレナが睨む。
「黙ってて」
エバは笑う。
「図星っぽい」
ミレナはさらに不機嫌になる。
セレスが肩をすくめた。
「分かりやすすぎるのよ」
ミレナは火を睨む。
近づきたいわけじゃない。
ただ。
気になるだけ。
ちゃんと休んでるのか。
無理してないか。
それだけ。
そう自分へ言い聞かせる。
その時だった。
グロマールが立ち上がる。
そして井戸の方へ向かう。
ミレナの視線も自然と動く。
セレスが小さく呟いた。
「ほら」
「……うるさい」
だが。
ミレナは立ち上がっていた。
自分でも自然だった。
考える前に足が動く。
エバがそれを見て笑う。
「行った」
セレスは静かにスープを飲む。
「行ったわね」
ミレナは井戸の方へ歩く。
夜風が少し冷たい。
グロマールは水を確認していた。
循環。
浄化。
毎晩の確認。
もう習慣だった。
ミレナは少し離れた場所で止まる。
何を言えばいいのか分からない。
けれど。
帰るのも違う。
そのまま数秒。
沈黙。
グロマールが先に気づく。
「どうした」
短い。
いつも通り。
ミレナは少しだけ視線を逸らす。
「別に」
「そうか」
会話が終わる。
それなのに。
ミレナは帰らない。
グロマールも追い返さない。
静かな時間。
井戸の水音だけが聞こえる。
ミレナは少しだけ息を吐いた。
そして。
自然に。
本当に自然に。
グロマールの隣へ座った。
木箱の端。
距離は近い。
肩が触れそうなくらい。
けれど本人は、その瞬間まで気づいていなかった。
座ってから、自分で固まる。
「……っ」
近い。
近すぎる。
今さら気づく。
だが立ち上がるのも変だった。
グロマールは特に反応しない。
普通に井戸を見ている。
それが逆にミレナを落ち着かなくさせた。
心臓がうるさい。
夜風が冷たいはずなのに、妙に熱い。
しばらく沈黙。
その後。
ミレナが小さく言う。
「……疲れてないの」
「問題ない」
「そういう問題じゃない」
以前にも言った。
同じ言葉。
グロマールは少しだけ視線を向ける。
ミレナは井戸を見る。
顔を見れない。
「村、変わってきたわね」
「そうだな」
「皆、笑うようになった」
グロマールは静かに頷く。
ミレナは続けた。
「マイクも変わった」
「ピーターも」
「ミネルバも」
少し間を置く。
「……私も」
その言葉だけ、少し小さかった。
グロマールは何も言わない。
ミレナは自分の手を見る。
以前の自分なら。
こんな風に誰かの隣へ自然に座ったりしなかった。
弱さを見せるのが嫌だった。
頼るのが怖かった。
でも。
今は違う。
グロマールの隣は、不思議と落ち着く。
それが悔しい。
ミレナは少しだけ唇を尖らせる。
「……勘違いしないで」
グロマールが見る。
「何をだ」
「その……」
言葉が詰まる。
何を言おうとしたのか、自分でも分からない。
セレスなら笑っていた。
“言葉が追いついてない”と。
ミレナは誤魔化すように井戸を見る。
「ここ、風が涼しいだけ」
グロマールは短く答える。
「そうか」
否定しない。
からかわない。
そこがまた、ずるかった。
ミレナは少しだけ肩の力を抜く。
静かな時間。
それが嫌じゃない。
その時。
少し離れた場所。
物陰からセレスとエバが見ていた。
エバが笑う。
「近いわね」
セレスが頷く。
「本人だけ気づいてない」
「男の方も?」
「そっちは別方向で鈍い」
エバは少し面白そうに笑った。
「なるほど」
セレスは視線を戻す。
ミレナはもう自然に座っている。
距離感が壊れ始めていた。
それなのに本人は否定する。
そこが、少し可笑しかった。
エバがぽつりと言う。
「嫌いじゃない」
セレスが見る。
「何が」
「こういう距離」
エバは笑う。
「言葉じゃなくて、行動が先のやつ」
セレスも少しだけ笑った。
「分かる」
井戸の側では、ミレナがまだ座っている。
グロマールもそのままだ。
会話は少ない。
けれど離れない。
その空気は、少しずつ変わり始めていた。
環境が人を育てる。
それは戦いだけじゃない。
距離もまた、人を変えていく。
ミレナはまだ、自分の感情を上手く理解できていなかった。
ただ。
グロマールの隣が、前より自然になっている。
それだけは、確かだった。




