115話:治癒院設立
ベルセリア王国の冬は厳しい。
それは変わらない。
吹雪は吹く。
雪は積もる。
北風は皮膚を裂く。
それでも。
病人街は変わり始めていた。
咳が減った。
呻き声が減った。
死臭が薄れた。
そして何より。
人々の目から、“諦め”が少しずつ消えていた。
病人街中央。
かつて廃棄倉庫だった巨大建築。
そこは今、“治癒院”へ変わっていた。
土魔法で補強された壁。
石造りの床。
火属性暖炉。
換気用風魔法通路。
温水循環。
隔離室。
診察区域。
入院区域。
消毒区域。
薬品保管庫。
そして。
入口上部には、大きく刻まれている。
《ベルセリア中央治癒院》
王女フィリアは、その文字を静かに見上げていた。
「……病院が、国に存在する」
小さな呟き。
その言葉には重みがあった。
今までベルセリアには存在しなかった。
治す場所。
学ぶ場所。
生き延びる場所。
それが初めて生まれたのだ。
院内では、忙しく人が動いていた。
治癒教師ミリア。
ピーター。
派遣教師たち。
さらに。
新たな人々。
“ミネルバ派治癒師”。
グロマール領から派遣された、ミネルバの教え子たちだった。
共通しているのは、優しさだけではない。
芯がある。
逃げない。
現実を見る。
泣くだけで終わらない。
それがミネルバ派だった。
若い女性治癒師エレナが、患者の包帯を交換していた。
「熱は下がっています」
「食事も取れているので大丈夫ですよ」
痩せた女性患者が涙を流す。
「こんなに……優しくされたの、初めてだ……」
エレナは微笑む。
「ここでは皆、生きるために来るんです」
「遠慮しなくて大丈夫です」
その横では、ミリアが重症患者を診ている。
肺病。
壊血。
感染症。
栄養失調。
凍傷。
以前なら死んでいた患者たち。
でも今は違う。
治療。
衛生。
栄養。
休養。
環境改善。
それが揃っていた。
ピーターは診療所中央で石板を立てる。
「今日も授業を始めます」
患者たちが顔を上げる。
兵士。
農民。
織工。
老人。
子供。
全員が、生徒でもあった。
フィリア王女が驚いた顔をする。
「病人にも教えるのですか?」
ピーターは頷く。
「病気を治しても」
「環境が変わらなければ、また壊れます」
「だから教えます」
それはグロマールの思想だった。
救済だけでは足りない。
自立。
循環。
再生。
そこまで行かなければ意味がない。
ピーターは石板へ文字を書く。
《魔力循環》
「まず呼吸です」
「吸って」
「巡らせる」
「流す」
患者たちが静かに真似をする。
教導スキルが発動する。
理解補助。
集中補助。
習得速度向上。
学びやすい環境。
それが教育の本質だった。
最初に変化したのは、若い兵士だった。
「……あ」
彼の身体に、薄い光が流れる。
魔力循環成功。
兵士自身が驚いている。
「身体が……軽い」
ミリアが頷く。
「循環で血流が改善しています」
「回復力も上がります」
次にピーターは続ける。
「次は魔力操作です」
掌へ小さな光球を作る。
淡い光。
優しい輝き。
患者たちが集中する。
真似をする。
そして。
一人の少女の掌が光った。
小さな白光。
光属性。
周囲が静まり返る。
少女は怯えた顔になる。
「わ、私……?」
ピーターは笑った。
「光属性です」
「治癒適性があります」
少女は泣きそうになる。
「私が……人を治せる……?」
ミリアが優しく言う。
「できます」
「学べば」
その瞬間。
周囲の患者たちの空気が変わった。
魔法は貴族のもの。
才能ある者だけ。
そう思っていた。
違う。
学べる。
覚えられる。
人は変われる。
さらに次々と覚醒者が現れる。
風属性。
水属性。
土属性。
火属性。
ごく稀に闇属性。
そして。
光属性。
ピーターは光属性覚醒者へ説明する。
「希望する方には、治癒院で働いてもらいます」
「最初は補助です」
「掃除でも、水運びでもいい」
「学びながら覚えていきます」
痩せた青年が震える声で聞く。
「俺みたいなのでも……働けるのか」
「字も読めないのに」
ピーターは即答する。
「読めるようになります」
「教えます」
そこに迷いは無い。
なぜなら。
教育があるから。
その青年は泣いた。
声を殺して。
ずっと“不要”と言われてきた。
病人。
貧民。
役立たず。
でも今。
必要と言われた。
それだけで、人は変わる。
治癒院は日に日に拡大していく。
軽症患者は回復後、補助員になる。
掃除。
洗浄。
配膳。
暖炉管理。
水精製。
そして。
学び続ける。
教育が循環していた。
フィリア王女は、それを見ながら呟く。
「病院ではないのですね」
ミリアが答える。
「はい」
「ここは再生施設です」
その言葉を聞き、王女は黙る。
ベルセリアは今まで、“延命”しかしてこなかった。
死ぬのを少し遅らせるだけ。
でもここは違う。
人を再び立たせている。
夜。
治癒院の講義室。
患者だった者たちが文字を書いている。
光属性覚醒者が治癒訓練をしている。
水属性覚醒者が消毒水生成を学んでいる。
土属性覚醒者が建材補修を学ぶ。
風属性覚醒者が換気管理を担当する。
役割が生まれていた。
人は役割を持つと強くなる。
環境がそれを引き出す。
ピーターは静かに教室を見る。
昔の自分を思い出していた。
泣き虫だった。
自信が無かった。
失敗ばかりだった。
でも。
グロマールがいた。
環境があった。
だから今、自分がここにいる。
そこへ、ミリアが近づく。
「患者数、増えてますね」
ピーターは苦笑する。
「はい」
「でも」
「前より怖くないです」
ミリアが少しだけ笑う。
「教師らしくなりましたね」
ピーターは照れ臭そうに頭を掻いた。
その時。
入口から声が響く。
「た、助けてください!」
新たな患者。
凍傷。
高熱。
衰弱。
でも。
治癒院の誰も慌てない。
動ける者が動く。
支える者が支える。
学んだ者が、人を助ける。
循環が始まっていた。
そして。
治癒院入口の灯りは、吹雪の中でも消えなかった。
それはまるで。
ベルセリア王国に生まれた、最初の“希望”のようだった。




