114話:病人街
ベルセリア王国の北風は、人を殺す。
肌を裂くような寒気。
肺を焼く冷気。
飢えた身体から、さらに体温を奪っていく。
そして。
寒さだけでは終わらない。
病が来る。
熱病。
肺病。
壊血。
凍傷。
栄養失調。
咳き込む声が、王都の裏路地から絶えず響いていた。
ピーターは静かに歩いていた。
隣には治癒教師ミリア。
後ろには数名の治癒班。
さらに護衛兵。
索敵教師リシェルも同行している。
王女フィリアもいた。
白い吐息を漏らしながら、周囲を見ている。
そして。
路地へ入った瞬間。
彼女は言葉を失った。
「……っ」
そこは“病人街”だった。
雪に埋もれた木造家屋。
崩れた壁。
凍った水路。
汚物。
痩せ細った人々。
咳。
呻き。
泣き声。
死臭。
道端に座り込んだ老人。
子供を抱いたまま動かない母親。
熱で震える兵士。
腐った包帯。
黒く壊死した足。
誰も助けられていない。
いや。
助ける仕組みそのものが存在していなかった。
フィリア王女の声が震える。
「こんな……」
「こんな場所が……まだ……」
ミリアが静かに答えた。
「医療崩壊です」
「人手不足、食料不足、衛生不足」
「全部が重なっています」
ピーターは周囲を見回す。
鑑定。
状態確認。
感染状況。
栄養。
重症度。
脈拍。
呼吸。
皮膚色。
瞳孔。
魔力反応。
一瞬で情報が流れ込む。
その量は普通の人間なら処理できない。
でも。
ピーターはグロマールの弟子だった。
学び続けてきた。
逃げなかった。
だから今、立てている。
ピーターは深く息を吸う。
「……始めます」
声は震えていない。
ミリアが頷いた。
「はい」
ピーターはまず地面へ土魔法を使う。
石板。
区画。
線を引く。
「軽症区域」
「中等症区域」
「重症区域」
フィリアが驚く。
「分けるのですか?」
ピーターは頷く。
「全員を一気には救えません」
「だから優先順位を決めます」
「トリアージです」
王女は苦しそうな顔をした。
「見捨てるのですか」
ピーターは即答する。
「違います」
「助けられる人数を最大化します」
そこに迷いは無かった。
感情だけでは人は救えない。
それを彼は知っている。
治癒班が動き出す。
軽症者。
発熱初期。
脱水。
軽度栄養失調。
凍傷初期。
彼らへ優先的に治癒を施す。
理由は明確。
回復が早い。
再行動可能。
看護側へ回れる。
つまり。
救助効率が跳ね上がる。
ピーターは光属性魔法を発動する。
淡い光。
傷が閉じる。
熱が下がる。
咳が止まる。
痩せた子供が目を開いた。
母親が泣き崩れる。
「熱が……!」
「熱がない……!」
ミリアも高速で治癒を行っていた。
彼女は冷静だった。
感情に飲まれない。
だから強い。
「この子は軽症区域へ」
「この方は診療所搬送」
「凍傷進行。足を温めてください」
治癒班が即座に動く。
ピーターはさらに土魔法を展開。
建物横へ簡易診療所を形成。
石壁。
断熱層。
火属性暖炉。
寝台。
棚。
器具。
水路。
衛生区域。
病人街の人々が呆然と見ていた。
数分前まで何もなかった場所に、“病院”が生まれている。
フィリア王女が小さく呟く。
「これが……教育……」
ピーターは重症患者へ近づく。
老人。
肺病。
呼吸困難。
衰弱。
普通なら見捨てられていた。
でも。
ピーターは違った。
「診療所へ運びます」
兵士たちが戸惑う。
「こ、ここまで重い患者を?」
ピーターは頷く。
「治せます」
「時間をかければ」
それが重要だった。
“すぐ全員完治”ではない。
現実的な治療。
管理。
看護。
休養。
栄養。
衛生。
環境改善。
それら全部が医療だった。
ピーターは周囲へ指示を飛ばす。
「水属性班!」
「熱湯消毒!」
「器具洗浄!」
「飲用水精製開始!」
「火属性班は暖房維持!」
教師たちが即座に動く。
混乱がない。
教育されているから。
役割理解があるから。
病人街の住民たちは、その光景を信じられない顔で見ていた。
ある老女が震える声で言う。
「どうして……」
「どうして、そこまでしてくれるんだい……」
ピーターは少しだけ考えた。
昔の自分なら答えられなかった。
でも今は違う。
「環境で人は壊れるからです」
「なら」
「環境を変えれば、人は生きられます」
老女は泣き出した。
そこへ騒ぎ声。
若い兵士が倒れた。
高熱。
痙攣。
呼吸異常。
感染症。
周囲が慌てる。
でも。
ピーターは冷静だった。
「隔離」
「風属性障壁」
「接触制限」
索敵教師リシェルが即座に風障壁を形成。
空気流動を制御。
感染拡大を抑える。
ミリアが患者を診る。
「栄養失調による免疫低下です」
「肺炎も併発しています」
ピーターは光属性治癒を重ねる。
さらに水属性で体温調整。
熱暴走を抑制。
闇属性で炎症負荷を吸収。
兵士の呼吸が安定する。
周囲が静まり返った。
フィリア王女は呆然としていた。
「……救えた」
「今のを……」
ピーターは汗を拭う。
魔力消費は激しい。
でも。
魔力循環。
魔力操作。
魔力吸収。
学び続けた技術が彼を支える。
周囲の魔力を薄く吸収し、循環へ変える。
無駄なく使う。
だから長時間動ける。
それは“才能”じゃない。
教育だった。
夜。
診療所。
重症患者たちが寝かされている。
暖房。
清潔な布。
温かいスープ。
消毒。
換気。
それだけで死亡率は激減する。
病人街の住民たちは静かだった。
泣いている者もいる。
生き残れると思っていなかった。
見捨てられると思っていた。
でも違った。
診療所の外。
フィリア王女がピーターへ言う。
「私は……国を見ていたつもりでした」
「でも」
「何も見えていなかった」
ピーターは否定しない。
責めもしない。
ただ静かに言う。
「知らなかったんです」
「教育が無かったから」
王女は息を呑む。
その言葉は重かった。
誰か一人が悪だったわけじゃない。
構造だった。
知らないまま維持されてきた。
だから壊れた。
ピーターは病人街を見つめる。
まだ苦しむ人は多い。
全然足りない。
でも。
今日。
初めて。
この街に“医療”が生まれた。
それは奇跡ではない。
学びだった。
人が人を救うための技術だった。
そして。
病人街の小さな少女が、温かいスープを抱えながら、小さく笑った。
その笑顔を見て。
ピーターは静かに思う。
環境は、人を壊す。
でも。
環境は、人を育てもするのだと。




