110話:痩せた畑
ベルセリア王国の空は重かった。
灰色の雲が空を覆い、吹き付ける風は皮膚を裂くように冷たい。
雪は止まない。
止む気配もない。
北方国家ベルセリア。
極寒。
飢餓。
慢性的食料不足。
それがこの国の現実だった。
王都から離れた北部農地。
かつて畑だった場所を前に、ピーターは足を止めた。
白い。
広大な土地が、雪と氷に覆われている。
農地なのに、人の気配がない。
農具もない。
笑い声もない。
ただ冷たい風だけが吹いていた。
その光景を見つめながら、ベルセリア女王エルザ=ベルセリアが静かに言う。
「ここは、昔は麦畑だったの」
声に力がない。
諦めが滲んでいた。
隣には王女フィリアが立っていた。
年齢は十六。
銀髪。
青い瞳。
美しい少女だった。
しかし痩せている。
頬が少しこけていた。
王族ですら満足に食べられていない。
ピーターはその事実に胸を締め付けられる。
フィリア王女は雪原を見る。
「毎年、少しずつ収穫が減っていきました」
「農民たちは努力しました」
「でも……何をしても育たなかった」
その言葉に、ピーターは静かに膝をついた。
土に触れる。
冷たい。
軽い。
死んだ土だ。
ピーターは目を閉じる。
鑑定。
魔力が流れる。
情報が脳内へ展開されていく。
土壌水分。
微生物量。
栄養残存率。
作物適性。
地熱循環。
そして。
結論。
ピーターの表情が変わった。
「……これは」
ダンが近づく。
「分かったか?」
ピーターは静かに頷いた。
「土壌死滅です」
その場の空気が止まる。
女王エルザが眉を寄せた。
「死滅……?」
ピーターは地面を指差す。
「土が壊れてます」
「寒いから育たないんじゃない」
「栄養循環が止まってる」
フィリア王女が息を呑む。
「そんなことが……」
ピーターはさらに鑑定を進める。
窒素。
極端不足。
リン。
ほぼ空。
カリウム。
致命的不足。
土壌内生命反応。
低下。
地熱循環。
停止寸前。
ピーターはゆっくり立ち上がった。
「この土地、長年同じ作物だけを作り続けましたね?」
女王が驚く。
「……なぜ分かるの?」
「土が叫んでるからです」
その言葉に、ベルセリア農民たちが顔を上げた。
ピーターは続ける。
「土地から奪うだけ奪って、戻していない」
「だから土が死んだ」
農民の老人が震える声で言った。
「戻す……?」
「そんなこと、考えたことも……」
ピーターは頷いた。
当然だった。
この世界には教育がない。
知識が継承されていない。
誰も知らなかった。
どうすれば土地が生きるのか。
グロマールは知っていた。
だから村は変わった。
ピーターは地面に手を置く。
「直せます」
即答だった。
女王エルザが目を見開く。
「……本当に?」
「はい」
「循環を戻せばいい」
その時。
後ろからリシェルが言った。
「周辺索敵完了。敵性反応なし」
魔導通信機が淡く光る。
遠距離通信。
各派遣組とも繋がっている。
ベルセリア兵たちは驚きを隠せない。
「本当に会話している……」
「こんな距離で……」
ピーターは通信を確認しながら言う。
「まず寒冷地向けに切り替えます」
「麦は効率が悪い」
「根菜類」
「芋類中心です」
フィリア王女が不思議そうに尋ねる。
「芋……?」
「寒さに強いんです」
「保存も効く」
「食料効率が高い」
「痩せた土地でも比較的育つ」
女王は静かに呟いた。
「……そんな作物が」
ベルセリアには無かった。
知らなかった。
だから飢え続けた。
ピーターはマジックバッグを開く。
中から大量の種芋を取り出す。
さらに乾燥肥料。
灰。
発酵素材。
ベルセリア農民たちが目を見開いた。
「そんな量を……」
「バッグに……」
ピーターは説明する。
「非生物は時間停止保存できます」
「腐りません」
ベルセリア兵たちがざわつく。
国家戦略級。
それが分かる。
物流革命。
保存革命。
兵站革命。
全部変わる。
ダンが前へ出る。
土属性魔法。
大地が揺れた。
凍った地面が砕ける。
深く。
広く。
硬い土が耕されていく。
農民たちが息を呑む。
「一瞬で……」
「畑が……」
ピーターは指示を飛ばす。
「灰を撒いてください!」
「家畜糞を混ぜます!」
「枯草も必要です!」
農民たちは困惑する。
「糞を畑に?」
ピーターは即答した。
「栄養です」
「捨てるから土地が死ぬ」
その瞬間。
女王エルザの顔が変わった。
理解した。
ベルセリアは長年、“戻す”という概念を失っていた。
奪うだけ。
削るだけ。
耐えるだけ。
だから全部痩せた。
土地も。
人も。
国家も。
フィリア王女は震える声で呟く。
「……私たちは」
「知らなかっただけなの?」
ピーターは静かに頷く。
「はい」
「教育が無かった」
「だから間違えた」
その言葉は優しかった。
責めない。
否定しない。
環境が悪かった。
だから壊れた。
ピーター自身がそうだった。
弱かった。
泣き虫だった。
自信が無かった。
でも。
環境が変わった。
教育があった。
支えてくれる人がいた。
だから変われた。
なら。
国も変われる。
ピーターは種芋を土へ置く。
フィリア王女がそれを真似する。
雪の中。
王女が膝をつく。
農民たちが驚く。
「王女様……!」
フィリアは小さく笑った。
「国を救うのでしょう?」
「なら、私もやります」
その姿を見て。
農民たちが動き始めた。
一人。
また一人。
止まっていた国が、少しずつ動き出す。
雪の中。
無数の手が土を触る。
死んだ畑へ。
希望を埋めていく。
女王エルザはその光景を見つめていた。
目に涙が浮かぶ。
「……畑に」
「人が戻ってる」
誰も信じなくなっていた。
農地を。
未来を。
生きることを。
でも今。
この雪の国で。
人々は前を向き始めていた。
ピーターは静かに空を見る。
吹雪は厳しい。
簡単には終わらない。
ベルセリアはまだ弱い。
それでも。
循環は始まった。
痩せた畑に。
凍った国に。
小さな命の流れが、確かに戻り始めていた。




