11話:ミレナの警戒
夜は静かだった。
リードル村の広場には、まだ火の余熱が残っている。
大鍋は空になっていた。
肉も。
スープも。
久しぶりの満腹。
それは村人たちから、確かに疲労を奪っていた。
家々には灯りがある。
笑い声も少し聞こえる。
子供たちは眠り、老人たちは温かな息を吐いていた。
村が、生きている。
ミレナは一人、村の外れに立っていた。
夜風が髪を揺らす。
静かな空。
遠くの森。
そして、村。
以前とは違う空気だった。
けれど。
ミレナの胸には、まだ消えないものがあった。
警戒。
不安。
恐怖。
「……何者なの」
小さな呟き。
答える者はいない。
だが背後から足音がした。
「考え事?」
セレスだった。
ミレナは振り返らない。
「別に」
「嘘」
セレスは隣へ立つ。
そして同じように村を見る。
しばらく沈黙が流れた。
その後。
ミレナがぽつりと言う。
「怖いの」
セレスは何も言わない。
急かさない。
ミレナは続けた。
「村が変わっていくのが」
夜風が吹く。
「嬉しい」
ミレナは素直に認めた。
「皆が笑ってるのも、子供がちゃんと食べてるのも……嬉しい」
けれど。
その後、少しだけ声が弱くなる。
「でも怖い」
セレスは静かに聞いている。
ミレナは拳を握った。
「だって、おかしいじゃない」
その視線の先には、村の中央にある小屋があった。
グロマールが使っている場所だ。
「井戸を直して」
「病を減らして」
「魔法を教えて」
「狩りまで変えた」
ミレナは息を吐く。
「そんな人間、普通いない」
それが本音だった。
強すぎる。
知りすぎている。
何でもできる。
だから怖い。
今まで、そんな存在は“奪う側”だった。
貴族。
騎士。
役人。
強い者は、弱い村を利用する。
それが当たり前だった。
セレスは小さく笑う。
「まあ、化け物よね」
「軽いわね……」
「でも事実じゃない?」
セレスは肩をすくめた。
「魔力吸収とか普通じゃないし」
ミレナは黙る。
あの光景を思い出していた。
魔物から魔力を吸い上げる姿。
まるで世界そのものを循環させているようだった。
異常だ。
なのに。
「……支配しようとしない」
ミレナが呟く。
そこが分からない。
普通なら、村を従わせる。
力を誇示する。
命令する。
けれどグロマールは違う。
「動いてるのはお前たちだ」
何度もそう言った。
セレスは少しだけ笑みを深くする。
「だから困ってる?」
ミレナが睨む。
「別に困ってない」
「そう」
セレスはわざとらしく頷いた。
「じゃあ、さっきからずっとあの小屋見てるのは何?」
ミレナの眉が跳ねる。
「見てない!」
「見てる」
「見てない!」
「近いな」
「……っ」
ミレナが言葉を詰まらせる。
セレスは静かに笑っていた。
ちょっかい。
だが深追いはしない。
それが彼女の距離感だった。
ミレナは視線を逸らす。
「……違う」
「何が」
「そういうのじゃない」
セレスは少し間を置く。
そして。
「なら離れればいい」
ミレナが黙る。
風が吹く。
沈黙。
それが答えだった。
セレスはそれ以上言わない。
ただ、少しだけ口元を緩める。
その時。
小屋の扉が開いた。
グロマールだった。
夜だというのに、また外へ出ていく。
ミレナが眉を寄せる。
「こんな時間に?」
グロマールは井戸の方へ向かう。
迷いがない。
セレスが呟く。
「また確認じゃない?」
「毎日やってるわよね」
「崩れたら困るからでしょ」
ミレナは少しだけ苛立つ。
「ちゃんと休めばいいのに」
その言葉に、セレスが視線を向けた。
「心配?」
「違う」
即答。
しかし少し早かった。
セレスは笑う。
「分かりやすい」
「うるさい」
ミレナは不機嫌そうに歩き出す。
だが足は自然と井戸の方へ向かっていた。
セレスは何も言わない。
ただ後ろから見ている。
完全に分かっている顔だった。
井戸の近くでは、グロマールが水を確認していた。
流れ。
濁り。
魔力の循環。
全部見ている。
ミレナは少し離れた場所で止まる。
「……寝ないの」
グロマールが振り返る。
「まだやることがある」
「働きすぎ」
「必要だ」
相変わらず短い。
ミレナは少しだけ眉を寄せる。
「倒れたら意味ないでしょ」
グロマールは井戸を見る。
「倒れない」
「そういう問題じゃない」
ミレナは小さく息を吐く。
「……なんでそこまでやるの」
また同じ問いだった。
けれど以前とは少し違う。
今のミレナは、責めているわけではない。
本気で分からないのだ。
グロマールは静かに答える。
「止めたくないからだ」
「何を」
「循環を」
夜風が吹く。
グロマールは続けた。
「人が育ち始めている」
村を見る。
「止まれば戻る」
その言葉に、ミレナは胸を突かれた。
確かにそうだ。
まだ何も完成していない。
少し食べられた程度。
少し病が減った程度。
少し魔法を覚え始めた程度。
止まれば、また戻る。
飢え。
病。
絶望。
だからグロマールは止まらない。
ミレナは少しだけ視線を落とした。
「……一人で背負いすぎ」
グロマールは否定しなかった。
しかし。
「背負ってるのは村人だ」
またそれだった。
ミレナは少し苛立つ。
「そういうこと言ってるんじゃない」
グロマールが視線を向ける。
ミレナは言葉に詰まる。
うまく言えない。
感情が整理できない。
強い。
頼れる。
でも危うい。
無理をしている。
放っておけない。
なのに、それを認めたくない。
セレスが少し離れた場所で見ていた。
そして小さく笑う。
「……近いな」
誰にも聞こえないくらい小さな声。
ミレナはグロマールへ近づく。
そして。
井戸の縁へ座った。
自然な動作だった。
グロマールのすぐ隣。
しかし本人は気づいていない。
グロマールは何も言わない。
ただ水面を見ている。
ミレナも同じように井戸を見る。
静かな時間。
不思議と嫌ではなかった。
セレスは少し離れた場所で腕を組む。
「……分かりやすすぎる」
けれど邪魔はしない。
その役割ではない。
成立させる側。
それがセレスだった。
ミレナはしばらく沈黙した後、小さく言う。
「……無茶しないで」
グロマールが視線を向ける。
「村には、もう必要だから」
その瞬間。
ミレナ自身が少し固まる。
言ってしまった。
顔が少し熱い。
グロマールは短く答える。
「分かってる」
それだけ。
なのに。
ミレナの胸は少しだけ騒がしくなっていた。
夜風が吹く。
井戸の水面が揺れる。
灰色だった村は、少しずつ変わっていく。
そしてミレナ自身もまた、少しずつ変わり始めていた。




